あなたはだあれ

黄金のレガシーのストーリーもテーマも悪いものだとは思っていません。
前半はまるで友好部族クエストじゃーんと言われてましたが、自分は友好部族クエスト大好きなんで別に苦痛ではなかったです。
ちょっとご都合主義、かなぁとか。(ショックで記憶が曖昧)
もっと候補者にまんべんなく勝ち負けがあっていいのでは?とか。
折角の新しい世界をもっと自分のペースで回りたかったですね~。
まるでバスツアーみたいだなあとは思っていました。自分の行きたいスポットの目の前で今はそっちに行きませんとか、昼食はここでとか本当にそっくり。でもバスツアーにもいいところはあります。予約をしないと入れないところに入れたり、順番待ちも基本なし、自分で慣れない土地で運転もしなくていいし疲れたら次の場所まで寝ててもいい、そもそも移動が難しかったりする場所を最短ルートで自分の行きたい場所を確実に回れるから好きな人も多いですよね。
だから悪いことばかりではないのです。ウクラマトとエレンヴィルが一緒に回ってくれたおかげで、最初からそこそこ友好的に接してくれた部分は大きいと思いますし、各ロケーションへの移動手段が全て無料なのは、王女サマのツレだからという理由はある気がします。(気球代もとられない!)
後半も題材としては面白かったと思います。ちょっと悪趣味かなとは正直思いますが。今までの冒険を綺麗に逆手に取っているし、絶妙に気味が悪いのもまあ夏っぽいのかなと。(怪談……?)まあ9に思い入れがある人はどうだったのかなというのは多少気になりました。
※自分はFF9をプレイしたのがはるか昔PS2が主力の頃で覚えているのはクイナとビビが式をあげて「幸せアル」って言ってたことくらい。音楽とかは覚えているけどストーリーの記憶が曖昧です。

黄金のレガシーのクリア後の自分におきたこと


  • 選びたくない選択肢を選ばされ続ける

  • いてもいなくてもいい空気の存在のまま進行する

  • やりたいことをやれないストレスを抱え続ける

  • リビングメモリーでシャットダウンを決断させられ続ける

  • EDで暁の全員がこの旅を良かったと感じていることが判明する

  • 満足そうに微笑む自キャラと目が合い『一番要らなかったのはこのストーリーを楽しめなかった自分自身の感情であり、自キャラの旅は自分がいなくても楽しく続いていくことを明示された』気がした

  • 自キャラとのこれまでの想い出を、過去のカットシーンを振り返ったり別の好きだった場所を辿り直すことで取り戻そうとしても、全部形が変わっている

  • 一緒にここまで旅をしてきた自キャラとの絆をズタズタにされ、14というゲームへの熱意と興味と愛情そのものの多くを失った

黄金のレガシー楽しみに待っていました。
既に悲鳴を上げていた自分のPCでは黄金のレガシーを遊べないことを理解していたので、16が出たのがいい機会とPS5を購入。
非力なPCで無理矢理遊ぶために全部のオプションでパフォーマンス優先の低画質モードにしていたため、本来の美しさに喜んでいました。影がある!花が生えている!!動きが滑らかだ!!今回のグラフィックアップデートは自分にとっては二度目に近いです。そこからたっぷりと良い状態一年間14を満喫したんでPS5買ってよかったと心の底から思っています。(値上がり前に買えたし!)
別にPS5買ったのにこの内容ではという理由で怒ったりはしてません。別のゲームも楽しむことが出来てますし、16も好きですからね。
生活環境が大きく変わって嫌なことがある度に、来年の黄金のレガシーを遊ぶまでは頑張るぞ、と励みにしてきました。こんな期待を勝手に乗せられてしまうのは単純に重荷なだけなのは理解しています。
でも新生から暁月まで一度たりとも面白くないと思ったことがなかったのでそこは越えてくれるだろうと思っていたのです。漆黒ほどの面白さや暁月のようなカタルシスはなくとも。別に良かったのです。
ですが、EDを見ているうちに指先がどんどん冷えてきて、こんなはずない、こんな終わり方はない。(周りは楽しんでいる人が多めの環境でした)自分の感覚が何かきっと間違っているに違いない。でも、自分の光の戦士が宿屋で次の旅の計画をたてているのを次のカットで見た時、彼女の自身の意志を持って旅立ってしまった感覚が抜けなかったんです。
暁の皆も、自分のキャラクターも全員この旅が楽しかったらしい。この先もきっと彼らは旅を続けていくんです。自分をここに置き去りにしたまま。

黄金のレガシーは面白くなかった?


  • シナリオの地の文が雑 ストーリー・設定はいい ウクラマトと行動させられ過ぎで他の同行者から嫌われてるのかなとたまに感じていた

  • カットシーン 別にカットシーンでなくとも?というものがいくつもあり特に双子の表情が常に死んでいるのが気になった

  • 新規BGMはすごくいいけど、時々これはないという使われ方をしている

  • ID BGM、ロケーション共に没入感抜群 ギミックは難しいけれど出来た時の達成感はあった

  • キャラクター 別に魅力がないわけではない けれど一番薄味なウクラマトが画面に8割以上いたため全体的にぼんやりしたのかなと思う マムージャたちとウケブがキャラがたっていたけれど他はほとんど印象がない……くない カフキワやシェールとかオーティス好き!です 一番引っかかってるのはゾラージャ

  • ロケーション とても素晴らしかったけどウクラマトとの同行で気分が萎えSSをほとんど撮らないまま次の場所に移動を繰り返した 過去の拡張で一番SSを撮っていない

  • 暁は二十代以上の男性陣とクルル以外がキャラクター崩壊 サンクレッドは顔面が……別人さんいらっしゃい 双子は表情がずっと死んでいる

  • ボスふたり 不憫 ウクラマトに救われなかったのが幸いと今は逆に思う

エターナルクイーン戦まではウクラマトへ思うことがあってもFF14への信頼、愛情、思い入れなんかは変わっていませんでした。けれど、ウクラマトが落下してくるあたりで一変し、ED後拒否反応が出ます。
だから大筋のストーリーは好きだと答えるし、トラル大陸というロケーションだって好きです。評判があんまり良くないと言われる荒野編だって自分はウクラマトがいない!解放感とエレンヴィルとの二人旅を満喫しました。
キャラクターだってひとりひとりはいいと思う。
でも自分のキャラクターとの絆をずたずたにされて、それまでの楽しかった記憶が壊されたら、ゲームとしては最低としか言いようがないでしょう。
超える力が、光の加護が、自キャラを特別な存在でいさせてくれた。
この世界になくてはならないものであらせてくれた。
今までは別の鏡像世界に行けるのも、過去に飛べるのも主人公だけでした。
でもあのアゼム印のアーティファクトが、その最後の主人公たる『特別』を奪うんでしょう。そして主人公である必然を全部失うわけですね。
逆にアーティファクトの完全な制御が出来るのがヒカセンだけの可能性もありますが、他の鏡像世界に行くウクラマトが想像できてだんだん腹が立ってきました。
別に自分の主人公が英雄でない普通の冒険者であるほうが気楽だし好みという人もいます。その気分もわかるし、自分もそうありたい時もある。でも自分が動かしているキャラクターは誰かと容姿がまる被りしていたとしたって、そのストーリー自体の中心人物でなくたって、唯一無二の手に取って遊んだ人の物語の主人公であるべきです。そこはプレイヤー本人の聖域であり、作り手でそのキャラクターやストーリー世界の全部のリソースの所有権を持つスクエニだって手を出すべきではないと……多分ね、堀井さんだったら言ってくれると思います。

つい比較してしまうDQ10のこと


堀井さんの名前が何で?と思うかもしれませんが、今回の黄金のレガシーはDQ10と近い作りのゲームです。自分はバージョン5まで進めましたが、クリアしたのはバージョン4まで。
黄金のレガシーのストーリーとDQ10を比較している方がいたので、自分もやってみようかなと思いました。
DQ10では主人公はプレイヤーそのものです。それは一切ブレません。
主人公がムービーで勝手な動きを見せる時はありますが、命からがら逃げるとか、その時はそれ以外の行動は絶対ないという動きをするだけです。
バージョン1は完全に主人公のストーリー、バージョン2から世界が広がる度にヒロインや相棒との出会いが描かれます。
暁の血盟メンバーのような常に同行するキャラクターはいません。その時その時そのストーリーのヒロインや、相棒となるキャラクターと一緒にストーリーを進めます。けれど必ずその物語の時の役割や身分が主人公側に宛がわれ、主人公は絶対その場にいなければ物語が進行しない構造が作られるし、同様に主人公にも物語を進めないといけない理由付けが必ずされます。勇者を手助けする勇者の盟友とか、変化させられてしまった自分の身体を取り戻すとか。だからDQ10の主人公は光の戦士に負けないくらい、吉田PD並みに肩書が増えていきます。(笑)
少なくともバージョン5まではそうでした。
DQ10はバージョン4で綺麗に話がまとまり、なんとなく燃え尽きた気分になって、紅蓮の終わりにFF14を始め、一か月おきにDQとFFをやっていましたが、折角一ヶ月課金したのにDQ10は家族と一緒のペースでストーリーを進めなければならないという当時のルールに嫌気がさして、ひとりで気楽に遊べるFF14をメインで遊ぶようになりました。
FF14のグラフィックアップデートほどの規模ではありませんが、DQ10でもグラフィックの変更が過去にあり、結構揉めたのを覚えています。
Wii対応が終了したタイミングで目とか指のグラフィックが変わったり、キャラクターの顔アイコンがイラストでなく現在動かしているグラフィックがそのまま適応になった時も色々ざわざわしましたね。
DQ11の製作が難航して、当時のプロデューサーのよーすぴが、DQ11のプロデューサーと兼任となりDQ10のスタッフを移動させてなんとか完成させたら、DQ10のクオリティがさがってユーザーが大ブーイングとか。バージョン3.0の最初、行けるだろうと思っていた異世界に行けず、通じる門の前までの数時間で終わったことや、行けたら行けたで3.2の中ボスが異常に強くてエリアのもう半分に渡れず、主な金策のひとつである素材を拾いにも行けない状況で大量の引退者を出したこと。そこを抜けた先のエリアボスが無限増殖したりとか、修正されるまで同行者のヒロインのAIがびっくりするほどアホだったことでクリア出来ない人を多数出して、さらに引退者数をのばしたこと。(遠い目)自分?緩和待ちでした。(苦笑)
あとはギャグ時空のサブクエストで、主人公よりうっかり強いNPCを出してしまいプレイヤーから強い反発を受けてそのクエストが夢落ちになるように修正されたのも思いだされます。
まあそれはおいておいて、グラフィックアップデートで紛糾、ストーリーが前作で完結、新作ストーリーの出来で賛否両論、別タイトルに人員を割かれてクオリティの低下。
……何処かで聴いた話だなーって正直思いました。DQであったことがこっちでも起るんかいと。でも吉田PDの手腕なら何とかしてくれるだろうと。信じていたわけです。DQよりましなのは、FF16はPC版のアップデートをPS5版にも対応させてくれたこと。DQ11は再度PS4で『完全版』を出し、最初のPS4版を購入した人にも遊びたかったら再度買えという形にしたのはまだ許してません。当時のDQ11のプロデューサー(よーすぴではない)が、ゲームエンジン変わったら別のゲームなんでと言ったインタビューを読んだ時、DQに対する気持ちが若干冷め、DQ10の現在のプロデューサーの不用意な発言と課金体系の品の無さにDQを見限りました。これは正直繰り返してほしくない歴史ではあります。
それでも堀井さんはオッケーを出さなかったと思うのです。ウクラマト、バクージャジャ戦を主人公の目の前で展開させて幽体離脱体験?やEDで主人公とプレイヤーの目が合う演出は絶対に入れないと。それは演出として悪くはなくてもプレイヤーの没入感を奪うことになるからダメとはっきり言ってくれたと思います。今までのNPCを操作するイベントバトルは、その場にいないプレイヤーが物語を体感するために用意されたものです。同じ場所に存在したら、その展開はありえないという感覚が無いのは危ういと思います。まあ、後方腕組み顔が見れて面白かった人もいるんで、絶対ダメ―というわけでもないんでしょうけど。ゲームである以上いわゆる禁じ手ってやつだと自覚的に取り入れるべきだと思います。


盤上に置かれた駒としての暁


完全にブレなかった休暇中のエスティニアン。(羨ましい……)
キャラクターとしてはブレずに、グラフィックは良くなっていたように見えるウリエンジェ。キャラとしてはブレなかったけれど、顔が別人さんいらっしゃいだったサンクレッド。(あの顔だと漆黒のストーリーの捉え方が変わるのでは?顔が優しくなったからリーンがあんなに悩まずに済む気がする)
いい子で真面目だからか、それほどキャラのブレはなかったクルルさん。
若干アホの子になり、表情が死んでいたアルフィノ。
ラマチを気に入っているのに、ラマチからあんまりいい反応貰えてなくてなんだかなって思ったラマチの意志を貫く剣になるらしいアリゼー。
一番リビングメモリーを見るべきだったのに、多分面倒くさいことになるからと愛の重めなセリフを吐かされて黄金郷の外に出されたヤ・シュトラ。
最後までただ一人ヒカセンに寄り添ってくれた。EDでヒカセンと満足げに目線を交わした後にタコス食べてどっか行っちゃったグ・ラハ。
一番イヤだったのは盤上に置かれる暁の駒を動かすシナリオライターの手が見えちゃってることです。今までは違和感なく自然だったのに。
はい、もう必要ないので君は下がって別行動。君は同行するのでこっちに動いて。討滅戦なので何人か合流、みたいなね。暁とヒカセンが強すぎて、どうやって手加減して場を持たせようかと思考しているのが見えてしまうのもなかなかの萎えポイント。
そして駒である暁が未来を知った上で動いてしまってる感じがすることです。アリゼーが無茶苦茶ゾラージャに好戦的ですが、あれだって99討滅戦のボスだからそういう対応だったんでは?って感じ。
あとコンテナが青く光ってる理由何処で知ったんアリゼー?
リビングメモリーは必ずアレキサンドリアにウクラマト入れた状態で入らないといけないからヒカセンあわせて戦闘員4名固定+エレンヴィルっていう風に都合が見えてしまっているというか。そんな書き手の都合をストレートに見たくないなぁと思いながら進めていた覚えがあります。


文化を侵害しないために


どなたかが、文化的な侵略をしなくて良かった。頑張るのは、解決するのは現地の人。そういう配慮が行き届いていてさじ加減がいいと言っていました。それは理解できますし成功しているとは思いますが、そうだからこそ暁が今まで積み重ねてきた経験が前半には必ずしもなくてはならないものだったという描写が弱くなる欠点があります。
そう、クルル以外がウクラマトに同行する理由無くなっちゃうんです。
ヴァリガルマンダ戦も三兄弟+クルル+サンクレッド+ウリエンジェ+勇連隊の誰かかサレージャがいれば勝てたんじゃない?っていう……。
前作主人公は、正確には光の戦士ではなくてアルフィノとアリゼーだと思います。まあ一番要らなかったのは光の戦士なんですけど。そしてそう思わせてしまった時点である意味負けなんですけど。グルージャジャ戦を早めて、光の戦士を正規の監督官にしとくべきでしたね。それだけでもおそらく違ったでしょう。他のNPCから王女の同行者、ではなく見届け人どのと呼びかけられるだけでも、空気扱いは避けられたので。ゾラージャに一目置かれたかったっていうのが正直なところなんですけど!


気持ちが悪い家族の話


家族との関係が悪い人は何処ですかー!?ハーイここでーす!(挙手)
自分は両親との関係性が良いとはとても言えなくて、結婚をして家を出て孫が生まれたら関係が若干改善したという一昔前割とよくあるタイプだと思います。末っ子同士の両親は長子の扱いを持て余し続けて、三人目の子供とようやく良好な関係を築いたっていう。祖堅さんがガンの治療をしていたのと同時期に自分の父もガンで入院をしていて、父は力尽きて亡くなりました。
コロナの期間中の入院で会うのが難しく最後に父に会った時、とても嬉しそうな顔で自分を見た時、ぎくしゃくしてたけど愛されていたんだなと思えたことは、まあ救いです。だからグルージャジャがゾラージャを愛していたんだとしてもそれを上手く表現できなかったのはありふれたことなんだろうと思っています。
本編に出てくる家族、全部歪です。気味が悪いほど歪。普通の家庭を出してはいけない決まりがあるのかと思うくらい歪。ルヴェユール家とロールクエストに出てくる家族や一族以外、全部、ぜーんぶ機能不全です。ほぼ片親。
本当は前半サカ・トラルでエピソードがあったのかもしれないコーナに至っては血の繋がった家族全員生死不明。両親が揃っているバクージャジャは両親とも宗教で機能不全に陥っている徹底ぶり。わりと父親としてまともそうでも、養子に出した手前名乗れないフンムルクと宗教との別れを決断したバクージャジャの両親以外誰も生き残れなかった。親になったゾラージャも討滅。新生アレキサンドリア王国をずっと守ってきたスフェーンも王国民たちの母と言えなくもない。親に何か恨みでもあるんだろうか。
家族の問題は家族にしか解決できない。外から来た暁も光の戦士もこじれた親子関係なんて修復なんてできやしないのです。


黄金のレガシーのテーマはこうして選ばれた


遺産の継承。
トラル大陸を知り、グルージャジャの旅の道程を知り自分の中の問題を見つめ解決し、各地の部族と連王がかつて親交を深め絆を結びその結果がトライヨラ連王国になったように、契約を新たに王になる資格を自ら掴む。
ちゃんとその通りにシナリオは進みました。
現地の問題は現地の人が解決する。
家族の問題は家族が解決する。
それは裏を返せば多分、『第○回、暁と光の戦士に解決・救済できないモノを見つける会議!』でいくつかの候補がピックアップされ、『家族の問題』『地元の問題』『過ぎてしまった時間』『もう死んでしまった人』が今回の暁と光の戦士の敵・課題として選ばれたのでは?と推測します。
まあ確かにそれを出されたら誰も解決できないんですよね。うん。
だからヒカセンが出る幕、本当にないんですよ。
新しい大陸を旅したい冒険心や、憧れのバカンス、エメトセルクの宿題。
トラルから出向いて自分と来てくれとウクラマトの依頼を受けたから以外の理由はないんです。だからウクラマトを好きになれないと、応援できないと虚無なんです。せめてクライアントのウクラマトは特に好きじゃないけどこの依頼本当にやりがいがあるな!!って思えたらそれで良かったのですが、そうはならなかったですね……。
新たな土地の人々も基本ウクラマトを通した後の交流になるので、異邦人のヒカセンが単独で直接信頼関係を結べたかはちょっと怪しいですしね。
そのエリアの最後のエピソードになるサブクエ全部良い話だし、好きなんですけど、本来は時間をかけてウクラマト自身がそこまで持っていかなければいけなかった話を光の戦士が片付けているような気分になってちょっと落ち込みました。(考えすぎ)それくらい、ヒカセン、メインクエストでいてもいなくてもいい人になり果てているんですよ。
まあヨカフィ族とペルペル族の話はウクラマトでも良かったかもしれないけど、シュバラールとマムージャの話はウクラマトが当事者すぎるからよそからきた旅人のヒカセンが取り持った方が自然な気がします。(ほっ)
自分、トラル勇連隊勇連隊言いすぎてる気がしますが、ハヌハヌ族→モブリン族のトラル勇連隊の装備の話(イキってる隊員を叩き直すための儀式的な訓練)が好きで、装備もかっこいいし、折角各ロール揃ってるなら同行ネームドのNPC新生~蒼天までのコンサポさんたちみたいな人が来てくれても良かったのになと思っているんです。そういうキャラクターがいたら暁やヒカセンがトラルを頻繁に訪ねることがなくなる時期が来てもウクラマトやコーナは大丈夫だなと思えただろうし、トラルに生きる彼等の視線からの方がウクラマトの成長や変化を見やすかったと思うのです。
光の戦士か、双子のどちらかが常に同行でよかっただけになってるのは、双子が光の戦士とトラルを旅出来て楽しい良かったと多分、表現してくれていないせいもあるんですよね。双子とトライヨラを巡りたかったしタコス食べたかったな……。

バクージャジャに感謝しよう?


ふと思ったのですが、前半バクージャジャがちゃんと悪役ムーブやってくれないとヴァリガルマンダ討滅戦とウクラマト誘拐が無くなるのでさらにヒカセンの必要性が無くなったんですね。ありがとうバクージャジャ。(←?)
マムークへの道を閉ざして自分もバナナの葉を獲りに行けないのは何でさとは思うけれど、あれがなければゾラージャの心が折れるイベントその1が起きなかったし、バクージャジャと双頭の教えのエピソードが無ければ前半のエピソードがしまらないものになっただろうし、天深きセノーテのBGMを聴くたびに好きなんだけどなんとも言えない気持ちになる、あの深みを出してくれたのもバクージャジャのエピソード。
や、本当に前半のMVPですが、トライヨラ戻る時にはタコス奢ってくれ。
それは、譲れない。
マムークやイクブラーシャでシャブルク・ピビルでもいいよ。


あなたはだあれ


こうやって書いてきてやっぱり黄金のレガシーのストーリーや設定周りはわりと好きなんだなと気付かされました。
ただ残念ながらあちこち雑で、そのクオリティで出されてしまったので、次からもこのクオリティで出る可能性があると思うと、大丈夫か?と疑う気持ちがわいてしまうのが正直しんどいです。
ここ数年、毎日ちょこちょこでも遊んできたエオルゼア、アーテリスという世界が好きなんです。それは変わらない。
やっぱり自分の光の戦士や暁に思入れはあったし、彼女らともっと旅がしたかったなと思うのです。
一ヶ月ぶりにした課金がそろそろ切れますが、継続したい!という強い気持ちは持てなかったし、折角課金したから目いっぱい遊ぶぞ~!という熱意も戻って来ませんでした。
大嫌いなPVPを頑張ってオプレッサーを貰おうとしましたが、若干足らない。報酬が切り替わる前にまた課金をして何とか貰おうかなと画策中です。
PS5を立ち上げて、14にログインして、ヒカセンが宿屋のベッドから起き上がってくるのを眺めつつコントローラーを握ったら、楽しみが待っている。今日は何をしようかな。確かに黄金のレガシー発売前までそんな気持ちでゲームを楽しんでいました。
今はキャラクター選択画面で、貴女は自分と旅してきたヒカセンで間違いないよね?まだ一緒に旅をしてくれるんだよね?と祈るような気持ちでログインボタンを押しています。他のキャラクターも絶妙に別人で、どなた様ですか?レベルで変わったキャラクターもいます。本当は幻想薬で彼等との顔に向き合うべきなんだと思いますが、その気力がわきません。
進めたかった紅蓮も、表情を無くした双子がこちらを見つめてくるのを思い出すたび悲しくなるし、サンクレッドも顔つきが優しくなってしまって。
どなたさまですか?ってなってるの本当に寂しいです。
7.1のコンテンツが面白くて不安や不満なんか全部吹き飛ばしてくれたら最高なんですけどね!!そうなるといいな。本当に頑張って欲しい。
アルカディアは楽しかった!それは本当ですこれは続きが楽しみ!!
ただED、こちらと目が絶妙に合わない角度に変えておくのが安全だと思います。うん……。あと、英雄に続けってアルフィノのテーマなのかもしれないけど、主人公軸がヒカセンではなくウクラマトの時にかかるのがどうしようもなくイヤでした。(あのシーン、ウクラマトについて走っていって終わる)あと次がどう考えても討滅戦なのに勝ち確のテーマは緊張感を削ぐし、99討滅戦の格が下がると思います。


追記:主人公に花道を


ラストバトルが主人公の前座。露払い。これ、二度目なんです。
ゼロムス戦後ののことなんて記憶の彼方の人も多いでしょうけど(バトルが楽しかったので)弱らせたゼロムスを後から駆け付けたゼロとエスティニアンとヤ・シュトラがぼこぼこにしている間、ヒカセンは棒立ちでそれを眺めています。痛恨の演出ミス。ここまで削ってくれてありがとうあとはわたしたちが……!って、何ですか。主人公ゼロの前座か何かですか。
息を切らせてニヤリとか笑うとか、来てくれて助かった感があればいいんですが、ぼんやりと見上げるのみ。
せめて武器を構えるとかやりようはあると思うのですが。
ゼロ(リーパーからパラディンにジョブチェンジ)+エスティニアン+ヤ・シュトラ+ヴリトラ+かつての仇敵が共に戦ってくれるというアツいパターンのゴルベーザ……なんなんだその完璧な勇者パーティは。それに駆けつけてもらって完全に倒してもらうヒカセン。おお?勿論メモリアできるのはゼロなので、ゼロにしか完全に倒せないのは理解しています。
その後ゼロはゴルベーザと手をとり合って世界を救う旅に改めて出発するんです。師匠は弟子の成長を見て嬉しく思うんですが、嫉妬もありちょっと苦しい。ゼロはゴルベーザと手をとれたけど、ヒカセンはエメトセルクと手をとれなかった。師匠にもできなかったことを弟子が成し遂げるのは、なんというか師匠、ちょっともやもやするけれど耐えないと。それも良い師匠であるということなのですから。(でも大ダメージ)
そしてミソロジー・オブ・エオルゼアでは大好きになってしまった十二神とのお別れ。……パンデモニウムでも皆を見送ったなーと思いながら見ていたら、オポオポの鳴き声で呼び戻されるオシュオン。戻れるんだ?
オポオポのピュアな叫びにはそんな力が。ウルティマトゥーレで無言で見送っちゃったからヒュトロダエウスとエメトセルクは還ってしまった?また次の生でとか、今の自分で、その形の君たちと一緒にいたいのに来世なんて。もうプレイヤーには手が届かないじゃないか。
こっちも変則的ではあるけれどNPCがヒカセンに出来なかったことを同パッチで成し遂げるというなんというかいい話なんだけど食い合わせが……。
ゼロと十三世界のストーリーは6.1からなんですけど6.4あたりからゼロが主人公になっているんですね。6.4は去年の5月。光の戦士なんとメインストーリーで一年間主人公ではない状態が続いていたんですね。しばらくウクラマトが主人公なのは変わらないのでこの状態はおそらく来年まで続くと腹を括った方がよさそうです。



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