雑感【追悼 中村龍史】

 最初に中村龍史の名前を認識したのは恐らく『The Levue 1993』だったと思う。生観劇ではなくWOWOWで放送されたのを見ただけだが、吉本新喜劇とダンスその他をごった煮にしたような作品で、なんとなく泥臭く、洗練されてないと感じた。
 その後、演劇専門誌で他の中村作品の紹介文を読んでも全て同じで、あまり印象が良くなかった。

 結果的に生で作品を観たのは1999年3月の『青空~川畑文子物語~』(再演)のみだったが、これも今一つ物足りなかった。
 当時のメモには[2幕すぐのドタバタ劇、笑えたけど、あれはこの舞台には要らないような気がした。あれでこの舞台にまとまりがなくなった]とある。過去の作品群と同じ、ごった煮で泥臭くて洗練されてない。私が観客参加型演出を嫌いということもあり、全く好きになれない舞台だった。
 実はこの日の私の席のすぐ横に中村龍史が座っていたのだが、決して好印象の舞台ではなかったので、私は何も声をかけず劇場を後にした。本当ならその場で握手を求め感想を述べるのが演出家に気づいた時の礼儀だと思うのだが、「良くない」とはっきり言うのも礼儀に欠けるので。

 次に中村作品で目を惹いたのは、1999年11月の『ear』。と言っても、悪い方向でだ。チラシには、つけ耳した青塗りの男が3人。両脇には本間仁と本間憲一、そしてセンターの人物はジャン・ルイ・ママカリと名前が振られている。ジャン・ルイ・ママカリ? どう見たって中村龍史だ。何故に演出家がセンター? 確かに双子のようによく似た2人を真ん中に据えるより、赤の他人を真ん中にした方がビジュアル的にバランスがいいのは間違いないが。
 でもここで、私の中では「中村龍史は目立ちたがりな演出家」というイメージが固定された。最近では宮藤官九郎や三谷幸喜みたいな「頼まれれば演者も兼ねる演出家」という人もいるけれど、演出家というのは普通なら裏に徹する職業、と私は思っている。自分が主役になるショーを作る演出家ってのは……演者側の人が自らの作品を演出するというのはまだ判るのだけれど。

 そしてそのチラシには確か「言葉の通じない謎の宇宙人によるパフォーマンスショー」というような事が書いてあった。
 青塗りで無言でパフォーマンス。それって『ブルーマン』の焼き直しだろ! 私は思わずチラシにツッコミを入れてしまった。
 ニューヨークでは1991年から上演されていた『ブルーマン』は当時まだ来日公演をしていなかったが、私はトニー賞の関連番組で紹介されていたのを見ていたので90年代半ばにはその存在を知っていた。その、日本であまり知られていない存在のパフォーマンス集団を焼き直して自分達の完全オリジナルかのように上演しようとしているのが信じられなかった。
 それに端正な芝居やダンスが持ち味の本間兄弟が(特にフレッド・アステアを指標としている憲一が)、『ブルーマン』のようなあの手の怪しい雰囲気を醸し出せるとも思えない。

『青空』以前の悪印象が重なっていたところに『ear』のチラシが決め手となって、以来、私は中村龍史が苦手な存在になった。

 しかし。
 中村作品には独特の雰囲気がある。強烈な個性がある。
 私一人が苦手でも、評価する人やファンは大勢いる。
 たまたま私の趣味に合わなかっただけだ。

 実際、『ear』は1回限りの公演となったが、その2年後には同じ無言パフォーマンスというジャンルの延長線上にある『筋肉(マッスル)ミュージカル』という新しいジャンルを創り上げ、専用劇場も作り、評判を呼んだ。ゴタゴタもあったらしいが公演そのものは長らく続いた。
 まあ、『マッスルミュージカル』だって『シルクド・ソレイユ』の……、となるのかもしれないが、世界観はだいぶ違うと思うので、私はそこに言及しない。

 正直に言うと、テレビの宣伝番組等を見た限りでは『マッスルミュージカル』は好きになれない世界だな、と感じていた。だから演出が中村だと知り、なるほど!と合点がいった。ミュージカルと銘打っていても、基本的には歌も踊りもない『マッスルミュージカル』は、ひたすら己の技を披露するある種の泥臭さと異ジャンルのごった煮感こそが作品の魅力だろう。それこそ中村作品の特徴だ。
 そして私は、自分の中村センサーの確かさに、つい笑ってしまった。

 最後に中村作品に出会ったのは、現在放送中のドラマ『やすらぎの刻~道』。出演者テロップに中村龍史の名前を見た時は驚いた。老人ホームの住人役だった。
 調べると、前作の『やすらぎの郷』から引き続き使われている「やすらぎ体操」の、振付は勿論、作詞作曲も中村龍史が担当していた。

 60代じゃあ老人ホームなんてまだ若いだろ、やっぱり目立ちたがりだなあ、なんて思いながらも毎回の登場を楽しみにしていたのに。
 偶然なのかわからないが、年が明けてからの、普段なら彼がいてもおかしくない、ホームの住人が勢揃いする場面(短歌の会など)に中村龍史の姿がなく、ちょっと気になっていたのだが。
 2月3日放送分のドラマ終わりに訃報が流れた時は心底驚いた。

 68歳。まだ若いだろ!

 中村 龍史さん(なかむら・りょうじ=演出家、俳優、振付家、本名・良二〈りょうじ〉)22日死去、68歳。葬儀は近親者で営まれる。後日「お別れの会」を開く予定。

 劇団四季出身、4期生だった。81年からは演出家として、松任谷由実さんの舞台をはじめ、コンサート、ミュージカルなど多くを手がけた。01年からは「筋肉(マッスル)ミュージカル」を演出した。

 今回の訃報を受けて公式サイトなどで改めて経歴を見た。
 若い頃は劇団四季にいて演者側だったそうで、それなら確かに自分の作品でぐらい板に立ちたいよな、とか。
 やっぱり『ブルーマン』から『ear』だったか、とか。
 1951年生まれで上野出身だったなら、もしかしたら60年代の軽演劇あたりに影響を受けていて、その流れでのごった煮と泥臭さだったのかな、とか。(あの強烈な個性は、1970年代の劇団四季の作風の影響を受けているとは思えない。)
 色々と腑に落ちることが多かった。

 長らく遺伝性の病気を患っていたそうで、だからこそエネルギッシュだったのかもしれない。

 そんなエネルギッシュな彼に敬意を表し、公式サイトから中村の言葉を引用させていただく。

 中村龍史さんのご冥福をお祈りいたします。

四半世紀から一昔を足したぐらいの昔。ニューヨークでノンヴァーバル(セリフのない)作品「ブルーマン」を観た。
顔をブルーに塗った3人組、音楽はバリバリロック生音。映像と照明。マシュマロとトイレットペーパー。
これだっ!と思った頃にはトイレットペーパーにまみれていた。僭越ながら自分の持つ感覚に非常に近いモノを感じた。
その日から、頭はノンヴァーバル、顔もノンヴァーバル?起きても寝てもノンヴァーバル、そこで思いついた。そして作り上げた。中村流ノンヴァーバル第一回作品「ear」
「ブルーマン」+「ストンプ」(リズムパフォーマンス)÷「チャールズ・チャップリン」=「ear」何と贅沢な足し算割り算。どう計算したかは企業秘密。この企業秘密でオレは食ってる。
その後「マッスルミュージカル」「BODY SLAP」「忍者くん走れ!」に至る。来年からまたノンヴァーバル作品を創る予定。ノンヴァーバルなら世界のどこへも行ける、ノンヴァーバルと言えば中村龍史、RYOJI NAKAMURAと言えばノンヴァーバル。世界中に「笑い」と「活力」を!「ノンヴァーバル」バンザーーーーイ!


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