映画『巴里のアメリカ人』&雑感【ジーン・ケリー考】

★★★ 初めて本作を見たのは1984年、中2の時。「雨に唄えば」「掠奪された7人の花嫁」の時と同じ歌舞伎町でのMGM特集の第2弾でした。その時の名残で本作を見ると未だに第1弾として観た「雨に唄えば」と比較しちゃいます。下の文章にもそんな点がいくつかありますがご容赦を(笑)

 その初見の時、「巴里のアメリカ人」は「雨に唄えば」に負けないくらい面白い映画だと本気で思いました。その時はね。
 恐らく本作の中で一番有名であろうハイライトの18分に及ぶダンスシーンは、曲そのものがダイナミックで、またキャストが絵画から飛び出してくるような感じで美しいし。またケリーが子供たちに歌って聞かせる"I Got Rhythm"も、「実際にうちの近所にあんなにーさんがいたら私はああやって近づくだろうか? いや近づかんな人見知りだし」などとイジワルに見てしまうけれど、でも純粋に楽しくて大好きだし。
 出演者も、主演のジーン・ケリーはもちろん、オスカー・レヴァントの指使い、ジョルジュ・ゲタリの甘い歌声、そしてキュートなレスリー・キャロン(個人的好みはキャロンより「雨に唄えば」のデビー・レイノルズだけど)などの主要キャストに始まって、最初の“By Strauss”で踊らされるおばあさんとおばさんのその踊りっぷりなんかに代表される隅々までのキャストの誰もが素晴らしくて…セットやら衣装やら全てひっくるめて、ハリウッドの奥の深さと言うか、底力を見せつけられたって感じでしたね。
 そしてなにより楽曲の良さ。今更私なんぞがガーシュインの素晴らしさを語ったって仕方ないけど、当時の私はガーシュインのガの字も知らなかったので、これらの素晴らしい曲を知る事が出来ただけでも満足でした。

 そういえば、本作がきっかけで、その後暫く映画音楽特集番組や「名曲アルバム」みたいな番組を聞く為だけにFM放送に噛り付いてました。懐かしいなぁ。ガーシュインの「スワニー」とかを一生懸命テープに録音して聞いてたんだよなぁ。

 印象に残ったシーンを敢えて挙げるなら、冒頭のキャロン扮するリズはどんな女の子か説明する“Embraceable You”と、レヴァントのピアノナンバー“Concerto in F”かな。前者は体の柔軟さが(初見の頃はこういう動きを見慣れていなかったから余計に)印象的だったし、後者はまるで指が踊っているようで…彼が本物のピアニストで、しかも実際にジョージ・ガーシュインの親友だったというのは随分後になってから知ったのですが、ピアノ演奏に馴染みのない私にとってあの指の動きは驚異としか言えません。

 とにかく、本当に大満足して帰路につきました。その時はね。

 しかし、その後数年して我が家でいつでも本作が見られる環境になってから、その価値観はガラリと変わってしまいました。
 「大嫌い~っ」とか「つまんな~い」とかではないのだけど、「大好き~♪」とまでは思えなくなってしまったのです。
 理由は主に2つ。

 1つは「18分にも及ぶバレエ」。
 ビデオのお陰で家で何度も繰り返して見られる環境になると、今度は逆にこのシーンが長~く感じるようになってしまいました。このシーンが素晴らしいのは十分わかっているんだけど、それでも長くて飽きてしまうようになっちゃったんです。
 でもつい最近数年振りにビデオを見てみたみたら、やっぱり凄くて見続けちゃう。
 結局は、当時の映画が何度も家で繰り返して見るように作られたものではないのだし(ビデオが無い時代だもの、当たり前)、これはある程度仕方ないのかも。

 もう1つは「18分にも及ぶバレエ」。ってこれじゃ同じですね(笑)
 とりあえず順序立てて説明していきましょう。

 「巴里のアメリカ人」鑑賞の後、他のジーン・ケリーの映画も見るようになりました。その頃から私の中では「ミュージカルは基本的に話が陳腐」というのが頭にあって、だから楽しむ基準は「曲と歌と踊りと、その組み合わせ」。それは今でも変わらないですね。
 で、その頃はミュージカル映画そのものを見始めたばかりで、どれもこれもが新鮮で楽しくてしかたがなかったです。そして本当に沢山の映画を見るようになりました。

 そして。きっかけは「踊る大紐育」を見てからでした。
 「踊る大紐育」を初めて見た時、「これ、『巴里のアメリカ人』のパクリじゃん」って思ったんです。
 両方の作品を見た事ある方ならすぐにわかると思うけれど、非常に似た構成のナンバーがあったんです。具体的には“Embraceable You”と、18分の“An American in Paris Ballet”。
 だけど実際には「踊る大紐育」の方が先に作られてる(1949年)ので、正確には「巴里のアメリカ人」の方がパクってたんです。(こちらも御覧下さい

 …本来「パクリ」という言葉は良くないし、使わないほうがよいのでしょうが、でもこの言葉を使わないと、この2作品の類似点に気づいた時に私が受けたショックは伝わらないでしょう。本当に、がっかりしたというか、「騙された」って感じでした。
 私が「巴里のアメリカ人」初見の時にメチャクチャ感動した「心」が汚されてしまったようでした。

 そしてその後も沢山の映画を見るうちに、ジーン・ケリーという人の作品には、(ここでは一々例を挙げませんが)上の2作品に限らず、ナンバーなり物語なりに共通点のある作品というのがひじょ~~に多いことに気付きました。それは監督や脚本や振付の担当者が違っていても、「ジーン・ケリーの映画」という共通点さえあれば、どの作品でも垣間見る事が出来ました。そしてそのお陰で私は彼の作品の方向性がなんとなく見えたような気がしました。
 それは「パクリ行為」と言うよりも、過去の作品の中で気に入ったシークエンスとかシチュエーションとかを更に膨らまして新たな作品に生かす、という積極的な行為なんだと思います。
 だけど、例えば振付そのものにも「あぁまたこのステップ使ってるよ」と感じる時が非常に多く、それを見る度に、場面を膨らます事ばかりを考えて振付がおざなりになってしまっているように感じると同時に、「フレッド・アステアは同じステップを別のナンバーで使わなかった」という言葉を思い出します。
 …過去の作品に何を言っても始まらないけれど、「曲と歌と踊りと、その組み合わせ」を楽しむ者としては、もっと沢山の新鮮な組み合わせを見てみたかったです。
 だってあまりにも多いんですもん。同じシチュエーションと振付が。
 膨らますのもそれはそれで構わないけれど…

 そんな辺りが気になりだしたらもう止まらない。何もかもが嫌になってしまう。
 これ以来、私は非ジーン・ケリー派です。そして「巴里のアメリカ人」は、非ケリー派へのきっかけとなった記念すべき(?)作品です。

(初出:2001年10月13日)

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