『フェイキング フレッド アンド ジンジャー』1999年5月 二子玉川・アレーナホール

★★★★ 今年はフレッド・アステア生誕100周年。この舞台はそれを記念しての企画だと思うのですが、ダンスはもちろん、構成も良かったし、本間さんと北村さんという役者の個性をよく生かしていた舞台だなと思いました。
 題名で察しがつく通り、アステアとジンジャー・ロジャースという映画史に燦然と輝くダンス・コンビの名場面を2人が再現する舞台でして、私は観劇前にダンスとダンスを繋ぐように話が挿入されて進行すると聞いていたので、まぁショーの類だなと思って劇場にいったのですが、そんな単純なものではありませんでした。どこにでもありそうな男女のこの物語は、決して飾りものではなかったし、とても面白かったです。ダンスはかなり忠実に映画を再現していたし(多少ごまかしがあったけど)、アステア&ジンジャーを知らない人でも、普段は舞台を見ない映画ファンでも十分楽しめたと思います。

 先に映画ネタを紹介しておくと……

・オープニングとエンディングにはタイトルや出演者・スタッフ等の名前(オープニングはアステアとロジャースの名場面の写真付き)を舞台中央に映写していた。舞台でこういう手法を見たのは初めてでした。

・当然の事ながら、フィナーレのごく一部(タップのアドリブ合戦)以外、全てアステア=ロジャース映画のダンスをほぼそのまま再現していたこと。有るべきセットが無いとか、スペース的な問題、また多少省略していたステップもあるようで「完璧」とは言いませんが、映画ファンならばうなずけるものが多かったです。衣装も簡素ながらイメージが近いものでした。

・「サンタ・ベイビー」以外、使用した曲の演奏(というかテープ)は、「Night and Day」以外は映画から流用又はアレンジ・テンポともほぼ全く同じに感じました。「Night and Day」はジャズ調にアレンジした物を使用。

・登場人物2人の本名が「シド」と「ジーン」で、名字がカッスル。
 シド・チャリシーとジーン・ケリーは、コンビではないが何本もの映画で共演し、名シーンを世に送り出してます。またアステア&ロジャースのRKO時代最後の共演作が「カッスル夫妻」。この舞台の2人も結婚しているのでカッスル夫妻。判る人には判る名前ネタでした。

・本間さんの右手小指の指輪。アステアも同じ場所に指輪をしているのを複数の映画で確認できます。

 と、アステア&ロジャースの時代の映画を知っている人は更に楽しめるようになっていました。


 ストーリーは、嫌いじゃないのに、いつもほんの少し言いすぎてしまって、相手を傷つけてしまう…そんな芸人夫婦の他愛も無い話ですが、しかしその見せ方がとても工夫されてました。

 「興行先のステージ上では仲良く踊り、楽屋に帰れば他愛もない事でジーンがすねてしまう」の繰り返しという、ダンスと芝居が交互に入る構成は、一見同じような事の繰り返しなのですが、2人が何故ギクシャクしてしまうのかが徐々にはっきりしていきます。そのいざこざの原因は同じでも揉めるパターンが全部違い、また2人のやりとりが可笑しくて、飽きさせることなく最後まで見せていきます。

 最後は一転ハッピーエンドですが、特に、その直前の、別れを決意するに至るまでの2人の気持ちがすごくよく理解できたし、両方に感情移入してしまいました。最後のキスシーンにもうっとりしてしまいました。

 些細な事で2人の間に少しずつ生じるズレを修復出来るか出来ないか乗り越えられるか。
 題材こそ「アステアとジンジャー」を扱っていますが、似たような事は何時でも何処でも多少ならずともあると思うんです。
 どんな簡素な題材でも芝居に出来る。大作ドラマじゃなくてもミュージカルになる。そんな良い見本のような舞台でした。

 でも最後のシドの現れ方がちょっと唐突だったような気がしました。かといってあれよりも説明的だと間延びしちゃうし…演出って難しいです、ハイ。


 今回の舞台で一番気に入ったのが、舞台装置でした。
 三つに区切られたうち、舞台中央部分はセットらしいものは何も無く、背面に電球の埋められた壁があるだけで、床が客席側に少し張り出していました。アレーナホール初体験の私は、この張り出しが今回の為に作られたのかは分かりません。
 そして舞台両ソデに簡単な「部屋」のセット。この「部屋」がホテルの一室や興行先の楽屋になり、ダンス以外はほとんどこの「部屋」で話が進められました。「部屋」が使われていない時は黒のスクリーン(又はブラインド)が掛けられ、出演者を「部屋」のブラインド越しに見せたり、巡業先の地名をスクリーンに映し出す事で装置転換の無い舞台にアクセントをつけていました。

 他のダンスの事は知りませんが、少なくてもタップダンスというものは、本来広い空間を必要としないんです。たくさん移動しているように見えるけど、自分が前後左右に少し動けるだけのスペースがあれば十分なのだそうです。と、以前タップを習っていた時に先生にお聞きした事があります。
 たった2人だけの舞台。ご本人達には手狭だったかもしれませんが、空間が余りすぎてもいけませんからね。
 張り出し舞台を境に「部屋」・空間・「部屋」と舞台を区切る事で、観ている方も自然と舞台に集中出来たと思います。
 狭くて横長のアレーナホールの特性を生かした良い装置だなと思いました。

 と、構成・演出ともに良い作りだなと思いますが、大満足とまでは言えませんでした。
 アステア&ロジャースのダンスを観に行ったつもりでしたが、ダンスよりもその舞台そのものが気に入って、逆に「アステアとロジャースを模写するのはよい事なのか。それにこの舞台は誰の為のものだったんだろう」という疑問が沸いてきて、いまだそれが消化されません。

 疑問が出たきっかけは、出演者2人の演技スタンスの違いでした。

 まず一言でいうと、北村さんの舞台は「北村岳子が作り上げたジーン・カッスルという女性」でした。
 北村さんはいつも、ダンスだけでなく歌も芝居も器用にこなしますね。今回の舞台で笑いを誘うのはほとんど彼女の仕事でした。
 ちょっと気が強くて、すぐひねくれてしまうけれど、独りぼっちになればか弱い女性。これを台詞や表情を巧みに変えて表現する北村さんの芝居が無かったら、この舞台はここまで好印象にならなかったかもしれません。
北村さんらしい、癖の無いダンスも良かったです。

 それに対し、本間さんは「本間憲一の中のアステア(のダンス)を表現する媒体だったシド・カッスル」だったと思いました。
 ジーンと比べたらおとなしい人という役柄もありますが、「アステアに非常に似ているダンス」が良くも悪くも一番印象に残りました。

 本間さんの、特にダンスについてのみもう少し書いておきます。

 本間さんが同じようにアステアのナンバーを踊った「アステア-バイ・マイセルフ」の時とは全然違いました。この時は「本間憲(本名であり当時の芸名)がアステアを真似て踊る」に対して、今回は「アステアを見事になぞる本間憲一」とでも言えば言いのでしょうか。足さばきはもちろんの事、ちょっとした手の動き(特にタップを踏みながら自然に手を振るところ)まで、以前に比べて恐ろしいほどそっくりに踊っていたんです。
 でも、このアステアをそのままなぞるという行為や右手小指の指輪、そしてついでに言うなら、「~バイ・マイセルフ」でもフィナーレ近くにソロで踊った「Top Hat, White Tie and Tails」を今回もフィナーレで踊った事…これら全てが「アステアに憧れるシド」の「役づくり」なのか、「本間さん個人が自分の為にやりたかった事」なのか。
 アステアの代名詞的ナンバーの「Top Hat,~」が演じられた事自体を深読みする方が間違いかもしれないという事を含めて、私にはわかりませんでした。

 私は本間さんと直接お話した事なんて無いですが、本間さんがアステアに憧れ、アステアを目指しているのも知っているし、もちろん思い入れもわかるつもりです。今回の舞台が、実績や年齢を重ね、研究した成果なのもわかるんです。
 でも…
 憧れているからこそ似てしまうのか。
 「憧れている人」という役だから今まで以上に似せたのか。
 どちらが本意なのか判りませんが、「役者」というより「ダンサー」の色合いが強い本間さんが、憧れの人そっくりに踊る事は一体何を意味するのか…

 あまりにも似ていたダンスを観て、本間さんががこれから進む道がどうなっていくのか、非常に不安を感じました。

 私個人としては、完成に近い(と思われる)「アステアのダンススタイル」は本間さん自身の芸の一つとして「引き出し」にしまっておいて欲しいです。
 「憧れのアステア」からはしばらく離れ、「本間憲一」の色を出せるように更に一層努力して欲しいです。
 舞台人として、アステアとの「同化」ではなく、アステア「越え」を目指して欲しい。
 決して「アステアのそっくりさん」で終わってほしくないです。

 最後に舞台以外でちょっと気になった事をいくつか挙げておきます。

 客席の並び。
 横長の会場のうち、ちょうど「部屋」部分に面した席(つまり会場の2/3)は、正面ではなく舞台中央に向かって斜めに配置されていました(アレーナホールは全席稼動のパイプ椅子で床はフラット)。
 ダンスを見る分にはこれで良いと思いますが、自分寄りの「部屋」は席によっては振り向かないと見えません。その席の方々がちょっと気の毒でした。

 マイク。
 これだけ狭い会場なのだから、マイク無しで、生の歌声を聞いてみたかったです。

 プログラムとスタッフ名。
 今回はプログラムの販売はなく、そのかわり上演ナンバーなどが書かれた用紙が配られました。
 せっかく配ってくださるんでしたら、演出と出演者だけでなく、スタッフの名前も書いて欲しかったです。今回の装置、私はよかったと思うんですけど、誰の手によるのかが判らないのはお互いつまらない事ですよ。
 エンディングに全スタッフを映画風に映写しただけ(それも全文ローマ字)では片手落ちだと思います。
 せっかく川平慈英さんと斉藤晴彦さんが声の出演をしてくださったのに、あの字幕だけでは気がつかなかった人も多いはずですから。

DATA
CAST
 本間憲一、北村岳子
STAFF
 構成・演出:高平哲郎
 他は不明

1999,5,29 ヨル18:00~20:00頃

初出:1999年6月24日

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