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ピエロがぼくらの邪魔をする

⚠ネタバレ注意⚠
この文章には、映画「都会まちのトム&ソーヤ」、ノベライズ版、ドラマに関わるネタバレが含まれています。ご注意ください。

 とある映画館で何度目かの「都会まちのトム&ソーヤ」を見終わり、席を立とうとしたとき、近くにいた中学生くらいの観客からこんな声が聞こえてきました。

「あのピエロ……よくわかんなかったね」

 ほんまそれ! って思いました。私自身、その回は何度目かの視聴でしたが、ピエロの謎について明確な解を導き出せずにいたからです。
 その観客がはやみね作品のファンだったのかはわかりませんが、原作ファンであっても「理解不能わからん」というのが率直なところ。結局なんなんあれ。

 どうも、おはこんばんにちは。甘味処の佐伯といいます。
 ついに「都会まちのトム&ソーヤ」の実写映画 (以下、トムソ映画) が公開されましたね! とか言ってるうちに、劇場公開が終わってしまいました。時の流れとは早いものだ。

 そんなトムソ映画ですが、ピエロの謎が残ったのが非常に印象的でした。謎がある以上、はやみね読者としては解かねばなるまい!

 なお、映画本編だけでは拾いきれない内容がいくつかあります。いくつかは映画ノベライズにて補完されていますので、そちらからも引用させていただきます。(ドラマも微妙に関係してきます)

 それでは、れっつらごー。

 今回の妄想のタイトルは「ピエロがぼくらの邪魔をする」です。



概念的存在としてのピエロ

 とりあえずピエロを大雑把に理解しようとすると、大体以下の感じになると思われます。

①はやみね成分説(雰囲気として感じる「成分」としてのピエロ)
②謎そのものの象徴説(だから最後まで答えが示されなかったという説)
③内人の能力説(危険を知らせてくれるものの象徴としてのピエロ)

 これらは、映画見ながら思いついたフラッシュアイデアです。正直、概念的すぎるとは思ってます。
 ただし、これらは不完全だったり面白くないなーと思ったので、以下の理由でボツにします。(ここは読み飛ばしてもらって全然大丈夫です)

①は、ピエロが主人公たちを殺そうとしてきたっていう本編ってことを考えると、やっぱりしんどい。ピエロ=はやみね世界の象徴が登場人物に危害を加えるっていう内容になっちゃうからです。作品の根幹に関わる部分から「ありえない」と思います。

②はそのままなんですが、ピエロに関しては、あえて明確な解を持ってないっていう意味です。考えても無駄ってことなので、これは今回の妄想の趣旨に反するため保留です。

③危険を察知する本能的な内人の能力が、夢の中に現れて教えてくれるピエロって形で表現されている、という説。そうなると、実体としてエリアZに登場することが説明できないので、これも不完全な説です。

 他には「ピエロは卓也さん説」もあるみたいですね。ただ、その線ではいい感じの妄想が思い浮かばなかったので、それも一旦保留にさせてください。

 さて、それらを踏まえて、私のたどり着いた結論から申し上げます。総合的にまとめると、ピエロとは

④別次元から不正を働いてくる存在

 ということになります。

 結局概念的じゃないか! って話なんですが、本編の内容を踏まえて、もう少し具体的な解説させてください。


ピエロがふたりいる件

 これはご存じの通り。ふたりいるってことはそれぞれ別な存在、概念と考えられるので、それぞれ「何ピエロ」なのかを考えてみます。

まずはおさらい。本編に登場したピエロは、以下の二種類でした。

・第1のピエロ:仮面を被った男のピエロ。内人たちの逃げこんだ倉庫に火を放った。
・第2のピエロ:化粧をした子どものピエロ。ドラマでも冒頭に登場。

 まずピエロは「別次元から不正を働く存在」であると定義しました。これを2種類のピエロという形に分解すると「別々の次元からエリアZへ干渉してきて、それぞれ目的も異なる。しかし片方のピエロの行動にもう片方が便乗したため、内人たちからすると単独の行動に見える」上に、観客はどちらのピエロも視覚化されて認識できるので理解が難しい、というのが今回の妄想の趣旨です。(長え趣旨だ……)
 実際、本編では何も説明がないので、結果的に難解なものになってしまっているなあと思います。

 では、なぜそのような不正を働くものが、トムソ映画で登場するのか。それを理解するためには、「エリアZ」の性質を理解する必要がありそうです。


「エリアZ」──現実と夢の触媒

 まずは大前提として、トムソ映画の世界には、現実世界と夢の世界 (≒死の世界) があります。それは本編やドラマで描かれている通りなので、詳細は割愛します。

 エリアZはそのどちらでもない、もしくはどちらでもあるという、中途半端な世界と言えるのではないでしょうか。現実を拡張するAR的性質を持ち、つまり現実と互換性を持った別世界であり、一方で現実とは隔絶されておらず、夢の世界とも言えない。──これがエリアZの「世界」としての本質であり、性質でもあるわけです。
 その結果、エリアZは現実世界と夢の世界のどちらからも (不正に) アクセスできる状態になっていました。これはR・RPG特有の性質であり、根本的な脆弱性です。
 そして実際事件が起こってしまった。しかも現実からだけでなく、夢の世界からも干渉されるという、とんでもない事態……。主人公たちの視点だけ追うと、第1のピエロが全ての悪事の元凶であるように見えてしまいます。だからトムソ映画はわかりづらいんです。

 では、実際に何が起こっていたのか。まず第1のピエロによる、現実からの干渉を見てみましょう。


第1の「タナアゲ」ピエロ

 原作2巻「音楽室野球」の件で、タナアゲと揶揄される音楽教師・棚橋先生が登場します。自分のことは棚に上げるところから来たあだ名ですが、これが大人の本質を突いているように思います。
 トムソ映画では、大別すると2種類の大人が登場します。乗り越えるべき「壁としての大人」と、本音と建前を使い分けるある種のずるい大人、つまり「タナアゲ系大人」です。
 これが、第1のピエロです。だから仮面を被っているんです。ピエロの姿は本当の彼の姿ではないが、それもまたその人間の一面である……そういう意味だったわけですね。
 では本編にてそのような行いをした人物はいたでしょうか。自分を偽り、または自分さえ欺く行動をした大人……。


 そうです。第1のピエロの正体は清田且弥です。清田は仲間の宮川までも裏切りますし、あろうことか子どもたちに危害を加えます。なぜ清田くんはピエロになってしまったのか。

 彼らにはスポンサーがついています(服装を見たらわかる通りです)。これは逆に考えれば、失敗が許されない環境に置かれているということでもあります。しかし意気込んでエリアZをプレイするものの、内人たちに先を行かれそうになってしまいます。あのクソ生意気な創也のいるチームがです。
 その歪んだ精神状態の結果として誕生したのがピエロその1、通称 清田ピエロだったわけです。大人こわい。

 さて、そんな清田ピエロは内人たちを殺そうとしたのかっていうと、そうではないと私は考えています。ゲームを壊すのが目的ではなく、あくまでクリアするのが清田の目的です。そうでなければ、エリアZに参加した意味がないですから。
 ゆえに、倉庫に火を放ったのは、内人たちを殺して強制的にリタイアさせるためではなく、籠城した内人たちを燻り出して小屋から追い出した後、ブルースピリッツを奪うことが、清田の目的だったに違いないのです。

 美晴を人質に取ったときに内人に咎められた清田はすっとぼけますが、あれは「倉庫に放火した」こと自体を否定したのではなく、「内人たちを殺そうとした」ことを否定したのかもしれません。嘘は言ってないけど本当のことも言わないずるい大人、それが清田なのではないでしょうか。……とはいえ最終的に内人に出し抜かれかけ、ナイフで内人と美晴を傷つけようとした「悪」もまた彼の本質なのでしょう。燻り出すために放火するという発想も、恐喝して強奪しようという企みも、どう考えたって擁護しようがありません。見当違いも甚だしいです。
 だからこそ、本編ではもう一方の「大人」の卓也さんが彼を止める役割を担います。壁としては未熟な卓也さんですが、盾としては優秀そのものですね。(冷静に考えたら卓也も不正にステージにアクセスしてるわけですが、結果オーライということでお咎めなしだった様子?)

 そして清田ピエロは、以降、ドラマにも顔を出さなくなります。ジュリアスによってデバッグされたからですね。正確に考えるならデバッグというより、アカウントをBANされたようなものでしょう。

 やはり総合的に、清田の二面性=ピエロ化、と説明するのが自然です。

 そんな、あまりにも人間くさい清田ピエロの行動に便乗したのが、もうひとりのピエロです。

 本編内で、清田ピエロは倉庫に火をつけますが、彼が鍵を閉めたという描写は出てきていません。これが、もうひとりのピエロの正体を見つけるキーになります。いよいよ謎解きっぽくなってきましたね。


第2の「ジャマー」ピエロ

 夢の世界に棲むピエロ、それがシン・ピエロことジャマーピエロの正体です。高次元の存在ともいえるため、どうしても概念で説明せざるを得ない奴です。
 このピエロの目的は、世界を夢の中に取り込むこと=侵略です。「エリアZ」はその目的のための触媒となってしまったというのが、本編で語られなかったサイドストーリーであると考えています。
 ジャマーは目的こそ大仰ですが、少なくとも現実に対しては「人の夢の中に現れる」程度の干渉しかできないようです。しかしエリアZの世界であれば、その性質上、干渉できる幅が広がってしまっているのです。それが本編内では「倉庫の扉を開けておく(引数の変更)」「倉庫の鍵を閉める (同)」「ドアに穴を開ける(小規模なモデルの改変)」といったことなのです。

 そうです。清田の行動に便乗して倉庫の鍵を閉めたのが、このジャマーピエロです。一連をまとめてみました。

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倉庫の扉を開けておく。(自分の手の及ぶテリトリーに招き入れるため。ついでに、手をこまねいていた清田ピエロの幇助のため)
扉に穴をあけておく。(清田ピエロを目撃させるため。もうひとつのバグをプレイヤーに認識させ、清田ピエロが一連の犯人であるように仕向けるため)
──ここより本編──
・内人たちが倉庫に籠城する
・内人たちが清田ピエロを目撃する
・清田ピエロが倉庫に放火する
・それを認識したジャマーピエロが倉庫の鍵を閉める
・内人たちは機転をきかせて倉庫を脱出する

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 という流れです。
 なんというか、原作における頭脳集団プランナみたいな行動をとっているのが、本編内でのジャマーピエロでした。清田の手助けをしたり、行動を利用したり、最終的に全部清田に罪を被せたり(実際清田は悪いことしてるんですけどね)。ただし頭脳集団的ではありますが、目的が真逆だとも思っていますので、ジャマーピエロ=頭脳集団プランナだとするのは安直ではないでしょうか。

 結果的に清田の思う方に事が運んだわけですが、直後の仲違いで内人たちはバラバラに分散してしまったので、清田は美晴を人質に取るという強硬手段に出ます。(まったく困ったもんです)

 さて、ではなぜジャマーピエロが内人の夢にだけ登場するかというと、内人はあくまでも現実に根を張っており、あくまでそちらの世界にいようとするからです。
 創也という、現実と夢をつなぐゲームを作る素質のある人間は、ジャマーピエロにとっては求めていた人材でしょう。ぜひゲームを完成させてほしいはず。そうすれば目的の達成に近づきます。──だからこそ、R・RPGが作られる可能性のある場所である砦にピエロが出てくるのです。
 一方で、そんな暴走をしようとしてる創也を現実に留めようとするのが他ならぬ内人で、ジャマーピエロにとってはそんな内人こそジャマーです。だから夢の中で内人に迫ってくる。「きみは(つながるかもしれない)この世界をどうする?(邪魔する気か?)」といった具合です。

 しかしいくら内人に干渉したところで、内人は現実を離れようとしないし、創也を現実側に引き戻そうとします。内人について諦めたジャマーピエロは、別の手を考え出します。
 それが「エリアZを永遠に終わらせない」という方法。誰もクリアしなければ、エリアZの世界は本当の意味で終わることがない。ということは、夢と現実とをつなぐ触媒が残り続けるのです。これで、ジャマーピエロの「夢の侵食」が進むことになります。

 まあ結果としてはご存知のとおり、内人と創也がトゥルーエンドを見つけ、ゲームをクリアします。その段階でエリアZは本当の意味で終了を迎えますので、残念ながら触媒はなくなり、夢の世界から侵略されなくなった……これがこのサイドストーリーの迎えたエンディングです。なかなか壮大な物語が進行していたんですね。

 これが私の考えるトムソ映画のピエロの正体と、サイドストーリーでした。もちろん妄想なんですけどね。


内人と創也の話

 この章は、この妄想の趣旨からちょっとずれるんですが……内人たちの視点はそれはそれで面白いですよね、というお話。

 内人からすると、エリアZの現実とゲームの世界の境界が曖昧になる現象が「凄み」に映るわけです。転じて、栗井栄太の凄さの実感といってもいい。エリアZをプレイするということはある種の臨死体験だったわけで、特に内人にとって強烈な経験だったに違いありません。そして、その死の世界に居続けようとする創也のことが理解できないわけです。こんな死にたがりな奴、どうかしてる! とか思う。
 一方の創也は、すでに内人が意識している「現実とゲームの間が曖昧になる」方の現象には興味がなく(すでに数多の経験をしているはずなので)、「ゲームと夢の間が曖昧になる」現象に心を奪われているのではないかと思っています。おそらく創也はその現象を理解まではしていないものの、直感している状態と思うのです。
 そうでなければ、序盤でクラスメイトをあっさり見捨てたことに説明がつかないからです。これは創也の人間性の問題ではなく、創也の立つ段階の問題です。そんなことより面白いことがあるんだ、ぼくはその段階を目指したいんだ! っていうのがクリエイター創也の行動の説明になってる気がします。目の前で起こっている現象に自分自身の「将来の夢」が重なるからこそ、強く栗井栄太に惹かれるし、エリアZが達成していない領域を目指したくなっちゃうんじゃないでしょうか。恐ろしい引力です。
 だからこそ、内人と創也は衝突することになります。内人はあくまで現実から離れようとしない。最初はなんでこちらに来てくれないんだ、と憤る創也。しかし自分が地に足がついてないことに気づく。そこでようやく、現実に根を張っている内人を受け入れることで、ゲーム作りの土台となるチームが完成することに気づく。……これが創也目線でのトムソ映画だと思います。
 内人は、こんな危なっかしい奴を見過ごすことはできなかったのでしょう。もちろん、創也の高みを目指す姿に感化されたというのも、一つの理由だと思いますが。

 そもそも創也がゲームクリエイターを目指した理由は、現実がつまらないからに決まっています(断言すな)。最初の衝動は理由なき反抗だったと思うんですけど、じゃあ自分の思う通りの世界を作るうちに、それが目的になっていった。現実も、「竜王グループに抑圧される竜王創也」から「竜王グループに抑圧されながらもゲーム作りする竜王創也」に書き換わってゆく。すなわち、ゲーム作りで充実してる自分がいる現実に気がつく。
 でもその状態は根無し草ともいえるわけですよね。初動が現実に対する反発だったとすれば、現実を失った瞬間に目的を失うわけですから。やっぱり創也には内人が必要だったんやぁ!


謎のVR空間に込められた意味

 エリアZのZは「Zombie」であると同時に、アルファベットの最後、つまり上位が存在しない「究極」を表していると考えられます。ただしこれは現実世界における話であって、あくまで上位、あるいは高次を想定していないネーミングです。これは栗井栄太の現状を表しているともいえますね。
 他のクリエイターの到達していない領域まで実際に来ているけれど、さらに上の領域にまで気がついているのか……それが問題です。神宮寺さんは気がついていて、裏でジャマーピエロの対応をしている、なんて妄想しちゃいますね。これは本当に根拠なしです。
 エリアZのクリア後に謎のVR空間(森林)が出てきますが、あれについて私はこう読み取っています。「すでにおれたち栗井栄太は、究極のリアリティをもったVR技術を完成させている。だがそれは使わない。なぜなら、おれたちが作りたいのはリアルなVRではなく、現実を飲み込むようなR・RPGだからだ」

 みなさんは、どうですか?


なんでピエロなの?

 実は、最後まで悩んだのがこの謎でした。今でも困ってるんですが、だいたいこの辺りかなーと。他に何かありそうだったら教えてください。

・はやみね作品の「不気味な敵」として。
・ピエロの持つ「愚者を演じる」という性質から。演じるという超越の構造が、すなわち現実や夢の壁を超越するという構造に一致するため。
オマージュとして。ジョジョの奇妙な冒険 スターダストクルセイダースの敵スタンド「死神13デス・サーティーン」が元ネタ。先程の超越の構造はある種の「死」とも捉えられる。


ジャマーは第四の壁を超える

 基本的に内人の行動を邪魔していたジャマーピエロですが、あいつの凄いところは次元を超越するスキルを持ってるところです。といっても基本的に物理的には干渉できないようですが……実は、ジャマーピエロがトムソ映画を見た私たちの世界にも干渉してきているといったら、どうしますか? 最初の方で、ピエロのことを「③謎そのものの象徴」の可能性を示唆したのですが、これが案外いい線を突いてるという可能性についてです。
 つまり驚くべきことに、謎を残すことで観客であるわたしたちの思考を阻害する、という凄い構造になっていたわけです。まんまとジャマーに邪魔された観客は、夢の世界が侵食してきていることに気がつかず、のんきにエリアZやトムソの世界を眺めていたっていう可能性。──これが意図的に取り入れられた構造であったとすれば、メタ・ミステリとして「だまされた……」んじゃないかっていう妄想です。


おわりに

 トムソ映画の感想をまとめているのですが、どうしても整理しきれないので、先にピエロの妄想だけ出しておくことにしました。と思って書き始めたんですが、思った以上にトピックがありましたね。どうせ後でモレとかヌケが見つかるので、気づいたときに修正したいと思います。

 ほなまた。ノシ

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