声優のSさんとリスナーについて、部外者が半年間ラジオのタグを追い続けて思ったこと

このnoteにこれから書くことは、タイトルの通りである。
 
声優のSさんと、彼がパーソナリティを務めていたラジオ番組のリスナー達について思ったこと。
リスナーではなかった私が、半年間ツイッターでラジオのタグ「#psgenki」とその周辺のツイートを追い続けて思ったことを述べるだけのものだ。
 
本題に入る前に、簡単に自己紹介をしたい。
私は、ただの漫画アニメオタクである。
Sさんの熱心なファンではないが、Sさんが関わってきた数多くのキャラクターと作品に思い出がある。
アニメは観るが、アニメや声優さんのラジオはあまり聴かない。
 
そんな私が、何故聴いたこともないラジオのタグを半年も追い続けることになったのか。


始まり


きっかけは、昨年10月末にSさんが週刊誌に取り上げられたことだった。

その内容についてはここでは説明を省略するが、初めてそのニュースを知った時、私は衝撃を受けた。同時に、これからまだ続きがある作品のSさんの担当キャラクターはどうなるのだろうと思っていた。
 
そんな中、ツイッターのTLで偶然見かけたツイート。
Sさんのファンの方が、大量のDVDを床に広げて、これをどうすれば良いのかと綴っていた。
そこから私はこのラジオ番組と、ラジオのタグ「#psgenki」の存在を知ったのだ。
 
最初は、懸念材料として捉えていただけだったと思う。
これからどう対応されていくのだろうかという野次馬のような気持ちもあったと思う。
 
ともあれ、私はここからラジオのタグとその周辺のツイートを追い続けていくことになった。

 

ラジオについて


2013年10月13日にスタートしたインターネットラジオ番組。
毎週日曜日の24時から始まる30分番組で、Sさんがリスナーからのメールを紹介しながらトークしたり、リクエスト曲をかけたりする。
Sさんとラジオスタッフが海外を旅行する企画や、公開イベントがたびたび行われた。
 
【参考】
ウィキペディア


ラジオの突然の終了


2022年10月24日、9年間続いた番組は突然の最終回を迎えた。
一週間前の放送では、Sさんが今後やりたいことの話をしていたそうで、本当に急なものだったようだ。
最終回では、Sさんが旅をした思い出などを語ったが、何故番組が終了するのかという理由は語られなかった。
 
放送終了直後の「#psgenki」タグツイートを検索すると、「突然でびっくり」「どうして?」「寂しい」「まだ実感がわかない」など、番組終了を惜しむ声が上がっている。
同時に、今まで楽しくラジオを聴いていたこと、これまでの思い出や番組への感謝の気持ちを綴っているものが数多くある。
 
【参考】
ラジオ最終回直後のツイッタータグツイート検索(2022/10/24~10/26)
検索ワード:(#psgenki) until:2022-10-26 since:2022-10-24


週刊誌報道


2日後の10月26日。Sさんについての週刊誌報道があった。
このことはネット上で大きな話題となった。
 
リスナー達も、各々がタグを付けて率直な気持ちをツイートしていた。
がっかり、つらい、心が追いつかない。
悲しみや怒りの声が相次いだ。
 
【参考】
週刊誌報道直後のツイッタータグツイート検索(2022/10/26~10/27)
検索ワード:(#psgenki) until:2022-10-27 since:2022-10-26


翌27日、Sさんの所属事務所と本人がホームページに謝罪文を掲載(https://intention-k.com/archives/9562)。
今回の報道により各所に「ご迷惑、ご心配をおかけしている」「今後信頼の回復に努める」等が明記されていた。
 
「ps」ラジオ公式からの声明はなかった。


別のラジオ番組での謝罪


Sさんは、他にもパーソナリティを務めているラジオがあった。
2002年10月12日から20年続く番組で、2022年3月にはその功績を称えられ賞を受賞していた。
 
その番組の10月29日の放送をSさんは欠席。冒頭で肉声によるコメントを流した。
内容は、このラジオを聴いてくれている人に対して、応援と信頼を裏切ることになったという謝罪。
放送時間をいただくが、自分の言葉で伝えたかったのだという想い。
この番組は、自分にとってとても大切なものなのだということ。
しばらくお休みさせてもらうこと、などを約3分にわたって話した。
 
これに対し、「ps」リスナーは複雑な心境を吐露した。
「別の番組では謝罪するんだ」
「(今回の報道の)当事者同士の番組には何もなかったのに」
「こちらに対してもやるべきことがあるのでは」
というような声が上がっている。
 
【参考】
別のラジオ放送後のツイッタータグツイート検索(2022/10/29~10/30)
検索ワード:(#psgenki) until:2022-12-30 since:2022-12-29


リスナーへの謝罪


「ps」ラジオ最終回から2ヵ月近く経った12月20日。
ラジオ公式サイトに、謝罪文が掲載された。
 
皆様の信頼を裏切ってしまい、申し訳なかった。
本来ならば番組終了後に、もっと早く謝罪しなければならなかったと思っている。
自分の身勝手な行動にリスナーを巻き込み、応援や期待を無下にしてしまった、などと謝罪した。
 
これに対しての反応は様々だった。
「今さら遅すぎる」「形だけのように思える」という声もあれば、
「それでもコメントを出してもらえて良かった」という声もあった。
 
【参考】
公式サイトへの謝罪文掲載後のツイッタータグツイート検索(2022/12/20~12/21)
検索ワード:(#psgenki) until:2022-12-21 since:2022-12-20


その後


年が明けた、2023年1月17日。
再びSさんに関する報道があった。前回と同じ週刊誌によるものだった。
ネット上ではまた大きな話題となり、リスナーからも憤りの声が上がった。
 
同31日。
ラジオの公式サイトとツイッターアカウントが閉鎖。
「予告はあったけれど本当に静かに消えた」「この番組ってなんだったんだろう」「これで終わりなのか」などのツイートが見られた。
 
さらに2ヵ月後の、3月31日。
Sさんは、所属事務所を退所した。


リスナーと非リスナー


「#psgenki」タグを追い続けていて、印象に残っていることがある。
 
私のように、今回のことでラジオやタグの存在を知った非リスナーがいた。
その人々が、タグを使用してSさんを批判し始めたのだ。
 
それを見た一部のリスナーが、「リスナーではなかった人はタグを使わないでほしい」と言った。
「ラジオのタグではなく、声優名や作品名のタグなどでツイートしてほしい」と。
 
私はそれを見た時、少し冷たいのではないかと思った。
非リスナーでも、今回の件を見過ごせなかった、いわば「味方」なのではと思ったのだ(もちろん、中には「今回の件を広く他界隈に知ってほしい」「誰がタグを使うかは自由」という意見の方もいた)。
 
しかし、半年間このタグを追いかけて思い至った。
リスナーにとって、このタグがどのようなものだったのかと。


リスナーにとっての「#psgenki」とは


元をたどれば、報道が発覚した時からそうだった。
 
「このタグを使ってこんなことをツイートしたくなかった」
「楽しかった思い出を汚したくなかった」
 
批判に混ざって、そのようなツイートが散見された。
 
そもそもこのタグについて調べてみると、番組が発信したものではなかった。
2013年10月13日24時、第一回目の放送直前にファンの方が提案・作成し、以降定着したものだったのだ。
初期は主に番組の実況用に使われていたが、それ以外の場面でも使われるようになっていったようだ。
 
ラジオの感想やネタ用に。
日々の生活の一コマとともに。
Sさんの誕生日には、お祝いメッセージやファンアートとともに。
 
リスナー達の日常に溶け込んでいた。
リスナー達が、ゆるやかにつながれる場所。
 
「#psgenki」とはそのようなものだったのではないだろうか。


「アンチ派の巣窟」


二度の週刊誌報道があり、Sさんへの批判の声は高まった。
リスナー・非リスナー入り混じって、タグツイートが投稿される。
 
しかし、ネット上にはSさんを擁護する人も多数いた。
その中の一部の人(誤解のないようにもう一度言うが、一部の人)が、タグを使用する人々を非難し始めたのだ。
 
「まだ言っているのか」
「ガチ恋反転アンチ」
「正義中毒」
 
つい最近も、タグについて「これ何?」と聞いた人に「アンチ派の巣窟」と説明している人がいた。
 
そうではない。
そんな言葉では切り捨てられない。
タグを使っている人の中には、様々な人がいた。
 
長年Sさんを応援していたために、気持ちに折り合いがつけられない人。
ショックで大好きだったアニメ、楽しみにしていたアニメが観られなくなってしまった人。
間接的に不貞行為に加担していたことに罪悪感を抱えている人。
ツイッターで発信する気力もなくなってしまった家族の代わりに発信をしている人。
考えた末、これからも応援することを決めた人。
 
簡単に説明することはできないのだ。


このnoteで言いたかったこと


Sさんを擁護している人の中には「Sさんの声が好き。キャラクターと本人は別だからこのまま何も変わらないで良い」という声がある。
タグを使って声をあげている人たちの存在は、自分の楽しみに水を差すもの、また自分の好きなものを貶めるもののように思えるかもしれない。
 
それも一つの意見だろう。
個人が何を思うか、どう考えるかは自由だ。
私は「Sさんを擁護しないでほしい」というつもりはない。
 
ただ、もし知らないなら、知ってほしかった。
リスナーが何に対して苦しんでいるのかを。
 
 「今Sさんを応援しているのが本当のファン」と言っている人がいた。
確かに今応援しているのは、振り落とされなかった人たちなのだろう。
ただ、振り落とされてしまった人たちだって、ずっとSさんを応援していたかったはずだ。
これまでそうであったように。
 
Sさんの声が好きで、Sさんが演じるキャラクターが好きで、
興味を持ってラジオを聴いていた人たち。
番組を応援したい、長く続いてほしいと思っていたから、DVDを購入したり、イベントにも足を運んだ。
 
ただ、好きな人を応援していただけだ。
非難される謂れがあるだろうか。


終わりに


リスナーの本当の思いは、おそらくリスナー同士でしか分からないだろう。
また、同じリスナーであっても一人一人が違う人間だから、正確には本人にしか分からない。
 
私はラジオを聴いていたわけではない「部外者」だ。
だからこの件に関して、何かを述べられるだろうかとずっと考えていた。
ただ、「部外者」でも見えてくることがあるのではないかと思ったのだ。
 
分かっておいてほしいことがある。
これまでの文章を読むと、Sさんを応援することができなくなった人が大半のように見えるかもしれないが、これからも応援したいという人もたくさんいる。
だから私のこのnoteは、余計なお世話に感じる方もいるかもしれない。
それでも、今もなお傷ついている人がいることを伝えたかった。
 
応援していた気持ちを無下にされたこと。
好きだったもの、楽しみを奪われてしまったこと。
何に対して苦しんでいるのか、理解されないこと。
その苦しさや虚しさを想像する。

せめてこれ以上、他者に心を踏みにじられることがないように。
それだけを願っている。

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