味がしなくなった思い出をいつまでも噛み締めてても悪くはないけど

思い出って、どんなに綺麗でも
残念ながらいつの間にか更新されていて。

それよりも美しい体験をしてしまえば、魅力が無くなってしまう記憶もあって。

そこに執着する必要などなく、
貪欲に美しい体験を追い求めてもいいのだが。

僕は、いつか一緒に人生に取り組んだ人達のことをたまに思い出す。

その人の人生にも、少なからず関わった自分がいる。

あの人、周りに分かって貰えなくてしんどそうだったなとか、
あの人、身から出た錆とはいえ気の毒だったなとか、

勝手に『味がするかも』みたいな気持ちになって、たまに思い出をかじってみる。

もちろん、味などしないのだが。

病気と戦って、一人で泣いていた人もいるし
生き方そのものを悩んでる人もいた。

どうしても破滅しなきゃいけない、
という想いに駆られて、
自らを傷付けにいってめちゃくちゃになってる人もいた。

その全ての友人達に何かを捧げたくて、
音楽をやっているフシが
どこかにある気がする。

それは祈りのようなものかもしれない。

リアルでその人と関わって、救えたことなど
正直、僕には一度もない。

でも、僕の曲を聴いて『救われた』と言ってくれる人がいる。

つまりはそういうことだろうと思う。

『僕』という実体から離れ、
『音楽』という物体に整理して、
誰かに伝えて、音で心を撫でることが出来たら最上の喜びだ。

味がしなくなった思い出よりも、
そこから自分は何を生み出すのか?
の方が、

断然重要なのかもね。

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