8/10、感じた疎外感の正体達

(※この記事は、実際の私の日記に書いた内容を、軽く修正したものです。)

8/10(日)

今日は、15:00頃からゆーじさんと夕凪のMV撮影をしに出掛けた。
旧岩崎邸庭園に行ったけど、館内・外どちらも撮影禁止と言われて、せめて観光だけでもしていこうか…ということになって、中を観て回った。
ゆーじさんと話し合って、場所を変えることにした。

途中で休憩するために、
韓国風(?)の食事処兼カフェみたいなお店に入った。
日本のチェーン店とは違って、『ここは空けて』とか、『消毒!』みたいな空気がなくて、
ちょっと神経が緩んだ。

何というか、空気中の粒子にいわゆる日本的な『清潔さ』みたいなのがなくて、
少し違和感というか、居心地の悪さはあるのだけど、どことなく懐かしい感じが匂っていた。

コーラを頼んだら、コカ・コーラグラス(薄緑のやつ)にコーラ缶(500ml)と、小さい花とカントリーマアムがついてきた。

来店して最初に出てきたお茶も、日本のカフェみたいなキンキンに冷えたお水…ではなく、
ぬるいとうもろこし茶だった(多分)。

ゆーじさんが、「だらしない感じがするし、ここにしようか(笑)」と言っていたけど、
本当にその感想通りの印象だった。

私は日本人であって、もちろん日本の空気に馴染んでいるワケだから、多少の疎外感はあるのだけど、

例えば、植民地で自国の文化が破壊されてきた人達は、こんな疎外感の比じゃないぐらい、
辛かったんだろうなと思う。
この疎外感の何万倍も、引き裂かれるような気を味わったのだと思う。

隣の席の小さい女の子たちは、お人形さん遊びをしていて、右隣の家族は普通の、
それこそテレビドラマか再現ドラマに出てきそうなくらい、典型的な家族の会話をしていた。

日本の過剰な清潔さ、生真面目さに、規律性に忙しなさを覚え続けて、『皆ホントにこれでいいの?』と疑問に思う日々だし、

この韓国風カフェに、ある種の不思議な懐かしさも、変な居心地の良さも感じるのではあるけれど、

私の意志とは別に、日本のそれが、
自分の『ふるさと性』になって、染み込んでいる…と気付いた。
『ふるさと性』とは、染み込む、ものなのだ。

識名巫女

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