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毒舌 「すっぽん三太夫」シリーズ 「展墓(てんぼ)事始 健康と歴史の二兎を追う、お展墓健康法のススメ」
お金を払えば青天井の楽しさがあるのは当然。しかしお金をかけずして、楽しく、さらに健康に過ごせるのがお墓めぐりの何よりの醍醐味である。
お墓をめぐる展墓の初心者は、まずはもっとも身近で、歩くのにも整備されている公営霊園がお薦めだ。
東京都内であれば、青山霊園、雑司ヶ谷霊園、多摩霊園、谷中霊園といったところ。
この辺りであれば、車でなくとも、公共交通機関でのアプローチも容易で、トイレや休憩する場所なども用意されているので便利だ。
まずは霊園の管理所や事務所を訪れ、展墓をしたいのだが地図を、と訊ねてみたい。
それぞれの霊園では必ず、著名人のお墓の場所を記したパンフレットや案内図を用意している。無料か、あるいは印刷代を気持ち程度、といった感じで配っている。
まずはそこに記された著名人一覧から、自分が知っている人物を選んで、訪れてみるのがよいだろう。
霊園は当然に広いので、事務所でまずはトイレに寄っておくことも意外に重要だ。広い霊園では、園内にいくつかトイレが用意されてはいるが、しかしそのどれもが距離があることがある。
また、著名人の名前が印刷されているとはいえ、必ず洩れているものもある。リストにあるだけでは飽き足らない場合には、リストには載っていない著名人などの情報を訊ねることも大切になる。
場合によっては遺族の意向もあり、あえてリストには掲載していない場合もある。インターネットの時代だからこそ、口伝えのコミュニケーションが深みをもたらすし、墓めぐりならではの情緒を誘うこともある。
墓のことは墓守に訊く、のが大原則だ。
お目当ての墓に辿りついたら、デジタルカメラで写真を撮るのもいいだろう。自分が好きな歴史上の人物の墓ならば、友人にメールで送るのもいいし、ブログなどをやっているのならばそこに写真を掲載すれば、その著名人の名前を検索しているうちにブログに辿りついた、顔知らぬ人々との交流が始まるかもしれない。
だが、写真を撮る場合に忘れてはいけないのが、墓石の裏や、墓誌を写真に納めることである。
わざわざお墓を訪ねるのだから、その人物についての関心は誰よりも強いというもの。たとえかなり昔に亡くなっている人物であっても、その墓石や墓誌には、その人物の子孫や係累の名前が載っていることがある。
展墓めぐりはただその墓の表情を確認するだけではなく、それを手がかりに、自分自身の歴史探検を深めるためのきっかけでもある。
墓誌に載っている人物の名前をひとつひとつ確認すると同時に、それをデジタルカメラに収めてみる。その場でメモをするのに慣れていないと苦労するので、資料として写真に撮ってしまうのだ。そうすることで、自宅に戻ってから、その子孫の名前などを改めてインターネットで検索することで、思わぬ閨閥の系譜が判明することもある。
そして、著名人の名前とその縁戚関係を調べるには、お薦めなのが、『閨閥』(佐藤朝泰著 立風書房)だ。近世日本のエスタブリッシュメントな家系はおおよそ網羅されている。墓誌によって家系と歴史の枝葉に進むことができる。
墓誌は決して嘘をつかないはずだ。
墓誌などを撮影するときに忘れてはならないポイントがある。
石に刻まれた名前などはデジタル写真にすると色が薄かったり、字が見えにくかったりすることが多い。このとき、デジタルカメラにはほぼ必ずついている、ホワイトバランスという機能を活用することが大切だ。これを強めたり弱めたりすることで、墓石に刻まれた字がくっきりと浮かび上がって見える。これを調節しないと、たいがいの場合は墓石の字は薄くしか映らず、後から見ても読み取れず、誰の墓か、何と記されているのかわからないことが多い。
また、墓石の形状によって、眠っている人物の信仰がわかることも多いが、同時に確認するのは墓石の種類である。墓で見るべきは、実はその大きさもさることながら、墓石に何が用いられているかで、その人柄と、場合によっては財力なども想像することができる。
実はどれもこれも似たように見える墓石には、故人の個性が、とてもよく現れている。
数ある墓石のなかでも、日本を代表する最高級品のひとつが、小松石と呼ばれるものだ。
伊豆・箱根の溶岩から産生されるもので、それゆえに熱に強く、古くは江戸城の石垣にも使われてきたものだ。同時に、徳川家代々の墓石にも使われている。
織田信長、豊臣秀吉など戦国大名もこれを使ったものがおおく、近年では昭和天皇陵にもこの小松石が使用されている。その歴史とあわせて、名実ともに日本を代表する墓石なのだ。
この小松石は磨けば磨くほど緑色の色を放つ。小松石が墓石に用いられていれば、これは、その故人や家人のこだわりや、財力のほどが伺えようというもの。
もちろん、墓石にはこのほかにも多種多様なものがあるが、著名人の墓石がどんな種類のものかを調べるにはルーペが必要だ。故人の郷里の石が使われていることもある。
墓石は、故人が後世に伝える個性の顕れでもあるのだ。
そんな故人の個性を見取ってこそ展墓の深みが生まれる。
また、展墓による拡がりは、点から面に拡げる点にもある。
お目当ての墓を調べ終わったら、その前後左右、とりわけ左右の墓に誰が入っているのかを確認したい。
古い霊園ほど、意外に縁戚関係がまとまっていることがある。
ここから、その人間の拡がりを見て行くと、調べる楽しさがある。
縁切り寺としても有名な鎌倉の東慶寺には、岩波書店の創業者である岩波茂雄の墓の周囲をあたかも取り囲むように、西田幾多郎、鈴木大拙、安倍能成、和辻哲郎、谷川徹三、小林秀雄といった学者・文化人の墓が並ぶ。さながら岩波文化人の聖地であるが、生前の交友関係がまるで死後も続いているようにさえ思え、不思議な趣である。
そんな岩波文化村の墓石が並ぶなかに、2013年の本屋大賞を受賞し、ベストセラーとなった『海賊と呼ばれた男』のモデルである、出光石油の創業者、出光佐三の小さな小さな墓が、息をひそめるように、ひっそりとある。名だたる哲学者たちに寄り添って眠る昭和の大実業家の墓石のその小ささに、故人の哲学が顕れてもくる。
墓石の調べは点から面に広げると、がぜん、奥行きは何倍にも拡がる。
私営の霊園や寺社にある墓を訪ねるのには、今はインターネットなどが便利だが、だからこそ、訪れた場合には周囲の墓もくまなく調べることが必要だ。インターネットに書かれていることよりも、書かれていないことのほうがなお、現実社会には多いということを墓石は教えてくれる。
公営霊園から始まり、幾分、情報の少ない私営霊園へと足を広げて行くとさらに楽しい。
たとえば、静岡は御殿場に富士霊園がある。
ここに眠るのは元総理、故・安倍晋三の祖父にあたる、“昭和の妖怪”岸信介だが、岸の隣に眠るのは、昭和の財界四天王と呼ばれた小林中である。政界の妖怪と財界四天王が墓を並べているのを目にすれば、何か想像がかきたてられるというもの。
墓地の並びもまた、決して偶然ではなく必然である場合が多い。
関心のある人物の墓石を起点に、墓園全体へと関心を広げ、散策の歩みを進めるのが展墓健康法の第一歩だ。 (敬称略)
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