見つけられない探しモノ
外に出ると、その日たまたま横を通った、喋ったこともないあの人になれたらいいなと思ってしまう。
僕以外にも経験したことがある人がいてくれたら嬉しい。
それは今の自分がどうしようもなくて、不安が影のようにいつもついてまわるからだ。
だけど実際どうだろう。その人になったところでそれは変わらないのではないか。
自分はその人のことを見た目で幸せそうだなと判断しただけで、人の不安は誰にも見えない。自分とは違う種類の不安を抱えてるのではないか。僕よりその人の不安の方が軽いなんて言えるだろうか。
自分と他人の不安を、天秤にかけることはできない。自分が不安に思うことは、他人からしたらどうでもいいことかもしれないし、またその逆かもしれない。
不安に重さなんてない。
最近気づいたことがある。
この世界に生きる人は不安を抱えながら生きている。でも僕たちは普段、友人と話してる時、電車ににって音楽を聴いてる時、読書をしている時。
このように、何かに集中している時、少しそれを忘れられる時間が存在する。
そういう時間を増やそう。多分歳をとっても、怖いものは怖いし、嫌なものは嫌だから不安も変わらないだろう。そのままでもいい。
仕方がないことなんだ。
最後に、
なんていい歌詞なんだろう。その通りだ。
人間はいつも何かを探している。でも結局それを見つけられずに死んでいく。儚い生き物だ。
僕はいつもブルーハーツにに救われている。
救われているというのは少し語弊があるかも知れない。
音楽を聴いたからと言って今の状況が変わるわけでもないし、解決もしない。
だけどいつも少しだけ元気をもらっている。
それだけでもいいんだ。
これ以上ブルーハーツについて語ると長くなるので、また別の投稿に上げようと思う。
最後まで読んで、共感してくれた人がいてくれたら嬉しい。 ではまた。
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