最近のいろいろ思うことのつれづれ。

共有することの意味。最近公開されていた。藤本タツキの漫画。200ページのアレ。まとめて一気に読んだ。面白かった。

とこれで終わっても全然いいんだけど、もう少しちょっと自分の心に潜ろうと思う。

タツキ先生の漫画好きなんだけど、なんか先生いつの間にか遠くに行っちまったきがしてさ……ファイアパンチしてたころが懐かしいです(後方彼氏面)

でもそんなネームバリューと漫画の面白さはミリも関係ないので、読んで思ったことをかく。


寿司と同じように漫画は書き手と読み手がいて、初めて意味が生まれるわけです。

誰も食べられない寿司に意味はない。それはもはや寿司ではない気がする。では誰が食べるのか? まずはそれを考えないといけない。食べざかり十代運動部男子と病み上がりの老婦人じゃ食べたい寿司は違うわけです。

漫画だって同じ。読みたい漫画は、好みの種類は人それぞれ違う。そんなの当たり前のことのはずなのに、みんなついつい忘れてしまう。

人によって傑作なんて違うはずなのに。トロが好き。サーモンが好き。エンガワが好き。光り物が好き。なんでもいいじゃんよ。

てなわけてタツキ先生の漫画は私は好きだけど、嫌いな人だってそりゃいるっしょや。
俺が面白かったから傑作! とか俺は嫌いだから駄作! みたいなのは意味ないでしょう。それぞれが心の中にしまっておけば平和なんだけど、私達はついつい天下一漫画トーナメントを開催してしまう。悲しいね。

いや意味はあるとは思うけど、なんつーか前提として、作品や作者へのリスペクトはいるでしょみたいな。
ここがよかった。ここはアレだった。とかさ。
100パーセント隙もないマスターピースなんてそうそう存在しないでしょ。
さらにいえば、私達はそんな傷や隙を愛おしく思うことだってわりとよくある。
私はトラウマイスタ大好きだよ。

あなたの傷は、あなたにとって消したい醜いモノなのかもしれませんが、誰かにとっては愛おしい個性だったりもするんです。

完璧にあこがれて。
なのに自分も他人も世界も全然足りてなくて。未完成でふざけた出来栄えで。

絶望して死にたくなる気持ちもあるけど、そんなのはさ。爆破しようぜ。

爆破して笑って、やり直していこうぜ。

芸術は爆発。

私は映画も漫画も好きだけど知識はないし、人に語れるような薀蓄も持ってない。

ても大概の人はそうじゃん?
だからさ、頭のいい人が感じた感想はそれはそれで面白いけど、私が感じたことがすべて。それでいいと思うんですよね。プロの読み手じゃないですし。

タツキ先生頭いいだろうからさ。私みたいな人にも届くように、心を込めて漫画作ってると思うのよ。きっと。

私には届いたよ。勝手に受け取った。ちょっと心が明るくなった。ありがとうタツキエクスプロージョン。
これからも頑張ってください。応援しています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?