挨拶でアロハを強要されたクラスが翌年学級崩壊した話

筆者が通っていた小学校は3クラスで3年と5年でクラス替えが行われていた。

5年生のときハワイから帰ってきたおばさん教師が担任になった。

まあハワイ被れと呼ぶのが正しいのか、朝と帰りの挨拶がアロハだった。公立の小学校で挨拶を担任の趣味で外国語にする押し付けはどうなんだよとなるが、子供ゆえそこまで疑問に感じなかったような記憶がある。

しかし可笑しいんだと思ったのは授業参観日隣の席の男の子の親が

「何でハワイの挨拶なんか黒板に張ってあるんだ」

と、息子に尋ねていた時だった。

公立の学校ゆえ色々な親御さんがいるごった煮状態だ。その中で土着の人間ではなく近所の大企業関係の子供は頭が良かったり生活水準がた高そうに見えたが、まさに隣の男の子はその一人だった。

常識がありそうな家のお父さんがツッコミを入れてるってやっぱりアロハは可笑しいんだと。

そう感じた後も担任は止まらない。家庭科の授業でスパムむすびを作らされた事があった。

スパムむすび自体は美味しかった記憶があるが、担任の押し付けに対して疑問は感じてしまった。

そんなハワイ祭りは1年で終わりクラスは変わらないが担任が変わった。その直後ムードメーカーが転校してしまう。

学校の塀を飛び越えて抜け出す生徒とか、クラスに馴染めない児童の面倒を頼まれた子が耐えきれなくなって首を締めたり、授業が出来ないくらい騒いだり。小学生なのに2週間の謹慎処分食らって学校こない児童がいた。

悲惨な空気になった。

小学校なのに副担任みたいな人が急遽派遣されることになって、学校サボりまくってた筆者は遅刻して学校に行った時、知らないおっさんがいてビビりまくった気持ちは今でも忘れなれない。

この様な状態になった事について、様々な要因があるというのは当たり前だが、個人的には5年の時挨拶をアロハにさせたり、ハワイハワイさせたあの人の影響が大きかったんじゃないかと考える。

多感な時期に個人的な趣味を押し付けられてそれから開放された時に爆発してしまうことはあるのではないかと。

6年時の担任は私達が卒業した後指導力不足な教員の指導研修な様なものに通わされたと、風のうわさで聞いたことがあった。

その時とても可哀想な気持ちになってしまった。

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