波長のズレを感じるとき
それは突然に訪れるものなのかもしれない。
体調を崩してから、note休みとして書くことから距離を置いて何日か経つ。
しかし、いまだにnoteに対する熱意が戻る気がしていない。心なしか、読むのも書くのも前以上に重たく感じられる。
つぶやき更新だけで何日かつないできたからなのか、まだ本調子でないのか、それとも、前々から不満や違和感として感じていたように、noteと私自身が合わなくなってきたのか。
理由はそのどれかかもしれないし、全部かもしれない。あるいは、まったく別のものである可能性もあるかもしれない。いずれであっても、今までに感じたことのない不調和を心が感じている。
いまはその時ではないということだろうか。しばらくは別のことに取り組みなさいということなのだろうか。
読むのも、コメントするのも、記事を書くのも、なぜか前以上に重たく感じられる。読むのもしんどいと感じてしまうし、やっとの思いで読み終わったとしても、その頃にはコメントを書くための余力が残っていない。かといって、楽な『スキ』に逃げたくはない。その押し逃げが誰かを苦しめるかもしれないことを経験から知っているからだ。
おすすめが表示して見せてくる記事やユーザーすらもしんどいと感じてしまう。満腹なのに「もっといけるでしょ。食べないと。」と無理やり食べさせようとしてきているかのように。
エネルギーがまだ十分に戻っていないのだろうか。それとも、noteの雰囲気とは少し違う方向に私自身が変わってしまったのだろうか。
まるで、私の求めている居場所が変わったかのような違和感だ。
『楽しい』ってなんだろう。
どんな感覚だったっけ。
楽しくないとか、楽しめていないとか、そういうことが分かると「楽しまないと」とか「楽しく生きろ」とか、頼んでもいないポジティブの押し売りでたちまち人の心を刺す人が現れる。その人たちはよかれと思って口にするけど、言われる側からしてみれば、ただの迷惑でしかない。
楽しめない時期。楽しみたくてもそうできない時期。それは突然に訪れる。その人たちはきっと、人の気持ちがわからないか、苦しい時期があったことさえも忘れ去ってしまったのだろう。
一時的なものなのか。それとも、本当に次のステージに移ることを考えるべき時なのか。
これが波長のズレであるとはあまり思いたくないけど、それはいつか必ず起きるものだ。人間関係においても、noteというプラットフォームにおいても。
いずれにしても、答えが出るか、また書きたいと思う時が来るまで待つしかないようだ。
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