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野外劇が多いらしい。

今週末は首都圏で野外劇が多いらしい。

2024年5月18日(土)
優しい劇団
多摩川河川敷
https://natalie.mu/stage/play/848

2024年5月17日(金)〜19日(日)
平泳ぎ本店
戸山公園(箱根山地区)
https://hiraoyogihonten.com/2024/02/24/hiraoyogi8th_info/

わたしも詳しい方ではないけれど、近年、ヌトミックさんやムニさんなど、一定の頻度で野外劇の開催のことを見聞きするので、野外で芝居をする人は少なくないのだと思う。
さらに非劇場空間、カフェとかギャラリー、倉庫や民家などいわゆる演劇を上演するための場所ではない場所を”野外”に加えたとしたらもっと数が増える。カフェやギャラリーで公演を行うことはもはやスタンダードだとも言える。

そのことに関して、”できる”という側面と"やらされている(せざるを得ない)"という側面が浮かんでくる。

非劇場空間で上演を行うことは豊かなことだしやりがいがある。
敷居が低くて風通しが良い。斬新な発想も可能になったりするこのスタイルは若手を中心に盛んであるし、演劇的系譜から辿っても決して邪道ではない。
積極的な意思で取り組んでみたくなる。

その一方で、若手がこの方法で上演を行う理由にはさまざまな負担の軽減としての選択がある。
かつては手軽に行える場所として派生したはずの小劇場でさえ、借りて公演を打つのは難しい。さらにそんな劇場の数そのものが減ってきている中で行き場を失った末に野外(非劇場空間)で行わざるを得ないケースがなくもないように感じる。

いや、行わざるを得ないと言いつつ、そこまで歯痒いわけでもない。むしろそれでよい。満足している。諸々のしがらみから解き放たれるならなお良い。
そこから得られることだってたくさんある。
むしろ考えたいのは、やはりそうやって、”気軽さ”、”小さな集まり”に分散させられる、収束される、帰着することで得られる幸福=クオリティと、前時代的幸福=クオリティとでは、以前と以後で切り分けられるのではないかという感覚。今はその渦中にあってその先に何があるのだろうか。なお、その前時代的なもの、テント芝居なんてものがまさにそうなのだけれども、そういったものは本当に無くなっていくことになるのか?というところ。そこが気になる。

今発生している新たな幸福は拭いされない。今後より一層受容され深化していくことになる。
その先に。
『小さな演劇の大きさについて』を読み替えしたくなる。
いわゆる演劇ちゃんである。
自分の嗅覚にも従ってみたくなる。

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