洗濯くん その3 皿を洗う
アルミ缶は洗わない。
そう言い残して、洗濯くんの友達ロビンちゃんは勢いよくドアを開け放して出て行ってしまった。洗濯くんの家はその当時アパートの2階だったのでその後カンカンカンカンと、ロビンちゃんが階段を降りる音が無常に部屋の中に響いてきた。洗濯くんは咽び泣いた。悲しみは自分の手のひらで押し込めば抑えられる程度のものだったはずなのに、西日と夕暮れの町がそれをさせなかった。眼は水道水をたくさん含んだスポンジのように簡単に涙が溢れた。
食べかけのビーフシチューどうしたらいいんだろうか。
テーブルの上に放り出されたままになっているビーフシチューは、スプーンで何度か口をつけられただけなのに、出来上がった時のそれと比べて何かに汚染されているように見えた。
洗濯くんはその後、まだ食べられるはずのビーフシチューをシンクの隅の三角コーナーに流し込むのだと考えると、その未来に辟易した。
脳内に何度も繰り返される、皿から滑り落ちるビーフシチューの映像。それが”食べられる”から”食べられない”に変わる瞬間に立ち会うことがどれだけ悲痛か。その無常で為す術がなく、幾度も立ち会いたいとは決して思えない瞬間に慣れてしまうことがあったらどうしようかと不安になる。そこに現代人、ハイパーピーポーとしてのスキルが染み込んでいるのだとしたら、そんなスキルは雑巾で拭ってゴミ箱に捨ててしまい、やがて手渡される悪魔との契約書には偽名でサインをし、空へ誘う鬼の面をした天使にはうわべでご挨拶、牧場にいる牛やヤギとすこぶる友人になって、彼らといるときに彼らがしたい遊びに付き合って、時折頭上をぶんぶん飛び回る蠅には今生のさよならを告げよう、今あるものが今あるままでいるにはどうしたらいいのかを草をはむ牛に聞きながら自分はグミを一粒口に放り投げ考えよう、地図を広げよう、この後どこに行こうか自分で自分に教えよう、もう少しこの山を登って、標高の高い場所にある牧場を訪ねてみよう、そこに住む人は果たしてどんな生活を送っているのか考えよう。
洗濯くんはそんなことを考えながら、意識を分散させて、皿をスポンジで洗っていた。
シンクの脇にはアルミ缶が少し握りつぶされた状態で転がっており、その容器は空っぽの口を開けて中は真っ暗、空洞に水道の音が響いていた。
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