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私の身体を生きる

「私の身体を生きる」島本理央さんが書かれていたので読みました。

私が「私」の身体について書くなら、どういう切り口なのかなってちょっと考えた。性について書いている書き手の方が多かったけど、わたしなら…健康からみた体、容姿という〈からだ〉、性的なカラダ…どれが一番わたしのからだなんだろう。。

私はそんなに体の強くない両親から生まれ、その両親よりもさらに弱い体だった。お医者さんから歩くことができないままかもしれないと言われたり、中耳炎になったり、喘息もちだったり。ずっとずっと病院通いをしてくれた母には感謝しかない。
ずっとそんな体の弱い私が小学校高学年になったころには学校をそこまで休むことはなくなった。それまでは3日学校いったら1週間休む、そんな子だった。

よく連絡帳を届けてくれた近所の子のお母さんに「あんまり学校休まなくなったね、強くなったね」と言われたのがその通りだと思った。

それから中学になり順調に健康な体になったと思われたところで私の体がぐにゃぐにゃなことが発覚した。
背骨が歪む病気、側弯症であることが健康診断で指摘された。
たしか中2の夏休み前の面談で健康診断の結果を封筒で渡された。なにも言わずに渡されたから健康なのかと思ったらそうではなくて、母は途方に暮れ、父は私に怒った。勉強するときの姿勢が悪いからだと、しかもその勉強は無駄だと言われた。たしかに単語帳を作るなんて無駄だったかもしれないけど、ネットもみていないよく深刻さがわかっていない私は「ああ、また親に迷惑かけた」と思って自分の体についてはさほど心配していなかった気がする。

その側弯症はコルセットが必要になるほどの進行は幸いにもしなかったけど、整体にはお金を10万円~30万円くらいかけてもらった気がする。

高校に進み、大学にも行かせてもらい、社会人になった4年目の春。急に頻尿になった時期があった。そして不正出血があり、性病の検査もしたくなって婦人科へ生まれてはじめていってみた。
気になっていた性病は全然問題なかったけど、新たに病気がわたしの体にみつかった。子宮筋腫。20代にしては大きい6センチ越え。お医者さんには日常生活に問題がなかったら経過をみましょう、しか言われなかったけど、赤ちゃんが欲しいと思った時にむずかしいかもしれないと自分の中で漠然と思って焦燥感に駆られた。
尊敬できる看護師の友人と、婦人科にいったことがあると言っていた友人に連絡しなんとか心を落ち着かせようとした。
そして夏。寝ぼけたまま目薬をさそうとしたら目の上に目薬をぶつけてしまい少し目を傷つけてしまった。

こんな感じでわたしの体は歪である。年のわりに不健康で、好きか嫌いかで言えばあまり好きではないというか、もっと健康でいたかった。でもわたしの容姿〈からだ〉のことはそれなりに気に入っている。母親譲りの高めの身長はフリーサイズのワンピースだとちょっと丈が短くなっちゃうけど、たくさん食べても身長に栄養がいってくれたし、電車でつり革は余裕でつかめる。足は身長より小さく、父親譲りらしい。足がちいさい女の子は可愛いと勝手に思っているので気にいっているし、バーゲンセールでわりと売れ残っているサイズなので助かっている。
あとは顔がもうすこし小さかったらとか、歯並びがさらによかったら…とか欲を言えばいろいろあるけどまたこの容姿<からだ>に生まれてきたいなと思うくらい愛着はある。

この標準身長よりちょっと大きめの体だったからかぶつかりおじさんとかにもそこまで遭遇しなかったし、それこそとても幸せな話痴漢にもあったことはない。わたしの体がもう少し小柄だったら余裕で被害にあっていたと思う。そういう被害にあっていないわたしだけど、なぜか私のカラダを周り以上に大事におもっていて。カラダをいづれか差し出さなければならないなら付き合いたくないなとまで思っていた。たぶんそこまでして付き合いたいと思える人がいなかったのもあると思う。汚される、とかではなくわたしのカラダを他者の視線にさらされるのが嫌だった気がする。

そんな感じで今までわたしの身体を生きてきて、これからも付き合っていく。体をメンテナンスしながら、容姿を磨き、カラダを慈しむ―そうやって共にわたしを歩んでいく。





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