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22歳になりました

24日に、22歳になりました。おめでとうメッセージたくさんありがとうございます。少しずつお返ししていきます

21歳の1年間は悩みと出会いの1年でした。最近は会う人会う人に、悩んでるね。と言われる位、今までの中では面白い人間であれていないみたいです😖

悩みながら沢山の方に会いました。そして、様々な世界を聞いたりして、ぶっちゃけの所を言うと、世界が広がった事で、さらによく分からなくなっていました。今まさに、表面的な心の動きじゃなくて、自分の奥の気持ちに耳を傾けている所です

ロボット→作品という新概念

クリエイター奨学金のクマ財団は、凄く世界が広がったし、自分をみつめて、いいところや悪いところが分かりました。
嫌なのに耐えるところとか、その場の欲求で理論を無視して動いちゃうとか、わがままなところとか…

あとは、意外だった気づきが、私のしてることやしたい事が凄く作家性があるのかもしれないと言う事でした。

芸術系の友人は、私のロボットたちを作品って言うんですよね、私は今まで自分が作ったものを作品だと思った事は無かった。
ただ、作ったロボットと言っていました。でも、作品って言われて、作品かも知れないとも思いました。

私は作りたい世界やモノやいきものがあって、それを作るだけじゃ足りなくて、社会実装がしたい。例えば、売りたい。

多くの人に体験してもらう楽しさをペンギンで知ってしまったから、この両立しにくい2つを求めてしまうのかもしれません。
となると、自分はどんな仕事?役割?をしていけばいいのか…?となるわけなのです。

研究は苦手かもしれない

一方で、今卒論を書いています。卒論は今までやっていたペンギンをまとめる方向では、新規性のある論としてはまとめられないと感じて、
にゅうをつかったロボットの幽体離脱みたいなテーマです。
これも自分では結構面白く取り組んでるつもりです。
が、びっくりするほど研究らしくできない。
やりたい事が自分の頭の中で固執しすぎていて、[ロボットが、ああなって、こうなってるところが、見たい!!]が強すぎて、、、

リサーチクエスチョン、新規性、意義、評価を明確にして、研究に昇華させるところでずっと秋口までつまづいていました。
正直、私的には見たいものが作れて見れたら良くて。リサーチクエスチョンどうでも良かったんです。でも、とりあえずリサーチクエスチョン決めて、そこから最適手法取るようにしても、それは見たいものにならない。

研究して、論文にまとめる事で作りたいモノを理論づけられて、より強く意味のあるものになったらいい位に思っていたので、研究なめてたんですよね。先輩方には本当に迷惑をおかけしました(非常に不機嫌な態度でした)

おまけに私には絶望的にロジカルライティングの能力が無く、実装したり、細部を詰めたりと言った本来やりたかった事に全く取り掛かる事ができなかった。
論文としての文章構成にほぼ全てのリソースを割いてしまった結果、今相当やばい状態です。切実に卒業がしたいです。

でも、書いている中で未だ絶望的な構成能力ですが、絶望的である事に気づけるようには成長しているとおもいます。

研究と言うものにたいして、もともと憧れがあって、自分も学会にたくさん出したいと思っていたのですが、
どうもうまくいかないな…と。
この作業が好きと言われたらそうじゃないかもと思ったりして、大学院にとりあえず行くのはやめた方がいいだろうと、今思っているところです。

でも、論文を読んだり、考えを理論的に説明できたときは楽しいので、これは何なんだろうと言う感じです。

最後に

ダラダラと長くなりすみません。

まず、今年お世話になったたくさんの皆様本当にありがとうございます。
いろいろな心情の変化により、アドバイス頂いた事を全て聞くことができないかもしれません。
でも、私の中には皆様の考え方などが強く印象残っていて、いろいろな場面で思い出してます

数年後、あのとき協力してよかったと思わせられるようにしますので、今後ともよろしくお願いします。

そして、4月以降明確に何かに所属する事はないかもしれませんが、
1つだけ言える事は

自分のつくりたいもの、見たいものを しっかり作る時間をとって、まず作る

これは絶対にやるつもりです。

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