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ていねいな暮らし、そんなものは

「ていねいな暮らし」ってなんだ?
私の想像する「ていねいな暮らし」は、毎日ほぼ日手帳をていねいにデコレーションしている人や、週末には作り置きおかずを大量に作っている人や、毎日シンクをリセットしている人や、オーガニックやサステナブルを意識している人、無印良品、生活の木……

一生辿り着かない境地である。

「ていねい」は「自分を大切にする」ことで、それはとても「いいこと」に思える。
いいことは正しいことだし、それができない私は悪いのではないかと思ってしまう。そうして、架空のていねいな暮らしを想像しては、できない自分への嫌悪やできている人への妬みのような感情を抱える。

来年の手帳を探していたところ、ほぼ日手帳のカバーはA6サイズ(文庫サイズ)のノートにちょうどよく使えるらしい情報を目にした。
そして、ほぼ日手帳のカバーに写真家のソール・ライターのものがラインナップにあることも。

かつて1日1ページの「MDノート ダイアリー」を使っていた経験から、空白の日数の多さとたまの記録のネガティブさに陰鬱な手帳が出来上がることは目に見えている。
「今日あったこと」=「今日あった嫌なこと、悲しいこと、困ったこと」になってしまう。1日を振り返るノートなど書こうという時には「人生にいいことなどひとつもない」という気になってしまう。よかったことも楽しいことも嬉しいこともたくさんあったはずだが、どうもあの真っ白なページに向き合うとそれら全て吹き飛んでしまうのだ。

しかし、毎日記録することを義務と感じないようなただの気兼ねなく書けるノートならばどうだ?
私はゲームをする時、手元に紙のノートとペンを置いている。
出現したミッションの内容はすぐ忘れてしまうし、ゲーム内で方角がわからなくなるし、アイテムの個数は表示した画面を閉じた瞬間に忘れるからだ。
誰にも見せないし、自分すら用事が済めば読み返すことはない、自分用攻略ノートですらないただの走り書きのメモである。
ページを飛ばして書くこともあるし、飛ばしたことに気がついて戻ることもある。
時系列もめちゃくちゃで、文字もぐちゃぐちゃだが、抵抗なく文字を書くことができるノートだ。

丁寧に自分の生活を記録しようとノートと向き合うことが良くなかったのだろう。
しかし、立派なカバーを付けたことでノートが厳かな雰囲気を放っており、気兼ねなく書けなくなってしまった。
本末転倒である。
厳かな雰囲気を遠ざけるために「これにゲームのイベントスケジュールなどを書き込みながらプレイメモを取るのだ」という思いを込めてCustom Diary Stickersを貼った。

「ていねいな暮らし」そんな境地には一生辿り着かないし、辿り着かなくてもいい。
「ていねいな暮らし」を象徴する(と思い込んでいる)グッズも丁寧とは縁遠い用途で使っていい。

そして、丁寧じゃなくても、自分のことは大事にしていいのだ。

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