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高一の時に書いた感想文が発掘された

*カバー写真は高一の自分(ハニワポーズ)

6年前に書いた世界史の宿題が発掘された。
多分宿題の内容は、何か世界史に関連する映画を観て、その感想文を書くことだった気がする。私は年号とその年に起こった出来事を一年刻みに覚えていたくらい世界史好きだったので、多分この宿題はかなり楽しかったんだと思う。

とりあえず、我ながら高一にしてはよく書けてるし、このままずっとフォルダの中に眠らせておくのも勿体無かったので公開してみる。
*当時自分で調べた内容なので、詳細は間違っている可能性があります。



ラストエンペラー


ベルナルド・ベルトルッチ監督 イタリア/イギリス/中国 1987年
 清王朝最後の皇帝であるラストエンペラーこと愛新覚羅溥儀の物語。舞台は溥儀が中華人民共和国の戦犯として収容所に送られるところから始まる。溥儀は清王朝10代光緒帝の弟である醇親王の息子で、9代皇帝の母である西太后に指名されて11代皇帝になった。1908年当時3歳だった溥儀は即位し現在の故宮である紫禁城に住まわされ自由な生活を奪われた。しかし1911年の辛亥革命により清王朝が滅亡して中華民国の誕生により皇帝を退位する。ただし贅沢な生活はあまり変わらず、溥儀はそのまま紫禁城に住み続けた。1917年再び皇帝に即位し、16歳の時正室婉容、側室文繍と結婚する。溥儀の青年期の家庭教師であったレジナルド・ジョンストンは後に溥儀の親友のような存在となる。
 1924年溥儀は中華民国から「三時間以内に清の王族すべてを連れて紫禁城から出るように」と伝えられ、やむなく紫禁城を離れる。当時の北京ではクーデターが相次ぎ危険と考え、溥儀たちは日本大使館に逃げ込む。この時側室の文繍と離婚。中国の歴代皇帝の中で、最初で最後の離婚をした皇帝となった。このころ西太后やその他の王族の墓を蒋介石によって荒らされる東陵事件が起きる。これに反発した溥儀の生まれ故郷である満州族とともに溥儀は満州国の皇帝となる。これは日本の意図もあった。しかし溥儀の弟である溥傑は日本人の愛新覚羅(嵯峨)浩と結婚したため、溥儀は王族に日本人の血が流れることで日本に乗っ取られることを恐れた。また正室の婉容はアヘン中毒となり溥儀の子どもが生まれる可能性は低くなった。
 1945年、満州国の後ろ盾になっていた日本が降伏したことにより、溥儀は満州国に攻め込んできたソ連から逃れるため日本に亡命する途中で捉えられて捕虜にされる。この5年後中華人民共和国に身柄を渡され10年間収容される。
 1959年出所した溥儀は北京の植物園で庭師として働きながら一市民として余生を過ごすことになる。そして、自身が住んでいた紫禁城に再び訪れ、かつての皇帝の姿の自分を思い出し、隠しておいたコオロギを少年に渡したところで物語は終わる。
 原作は溥儀の自伝である「わが半生」なので映画の内容は実際の溥儀の人生とほとんど変わらない。溥儀の生きた時代は日本が東アジアや東南アジアに領土を広げていたため、作中には日本人が多く登場する。
 溥儀は生涯において5人の女性(婉容、文繍、譚玉齢、李玉琴、李淑賢)と結婚している。最初の婉容と文繍は溥儀が皇帝になる前からいた王族たちによって決められ、譚玉齢と李玉琴は日本軍から日本人と結婚させられることを回避するためで、結局李淑賢のみが本人の選んだ人であった。しかし作中には婉容と文繍しか描かれてない。
 また弟の溥傑の妻の愛新覚羅浩の自伝である「流転の王妃」を読むと、溥儀も弟の溥傑も浩を日本人ということで敵視することなく、娘の慧生と嫮生にも優しく接していたと語られている。しかし映画中では紫禁城を出た後アヘン中毒となった皇后の婉容に冷たく接するなどのシーンも多くあり、実際の溥儀の性格とは異なった描き方をされていた。
 私は溥儀の人生を、即位してから紫禁城を出るまで、満州国の皇帝となった後にソ連や中華人民共和国に収容されて出所するまで、そして出所して死ぬまで、の3つに分けることができると思った。1回目の人生は贅沢な暮らしを十分に送り紫禁城の外の世界に関しては全くの無知であり一人の人間としてあまりにも未熟な溥儀であったと思う。しかし2回目は召使いがたくさんいた生活が一変し、あくまでも元皇帝として微妙な位置付けの中、日本軍に振り回され親戚の王族たちを相次いで失うという壮絶な生活を強いられる。この環境下で溥儀は皇帝からただの一市民を通り越した存在になったのではと思った。最後の3回目は「皇帝」や「戦犯」としての縛りから解かれやっと中国の一市民になることが出来た人間らしい人生を送っただろう。
 作中にははっきりとは描かれていないが、溥儀や浩の自伝を読むと、日本軍がいかに満州を始めとする周辺諸国に対する植民地支配が卑劣なものであったかを感じさせられた。私はこのような悲惨な日本の仕打ちを知るチャンスはきっと映画や書籍、しかも日本で製作されたものでない作品を積極的に観たり読んだりすることにあると感じた。日本人目線で描かれたものではなく、被害を受けた者からでないとこのような情報は得られないと思った。
 歴史上の人物で偉大と言われたり悲劇と言われたりする人物たちはだいたいが人生を王なら王、貴族なら貴族で終わる場合が多い。しかし溥儀の人生は日本が江戸時代から明治時代に変わる時のように身分制度の大きな変化の中を生き、3ども皇帝に即位して、戦犯となって収容所に入れられ、やっとのことで一市民となる壮大な人生であった。これほど身分が皇帝→囚人→一市民と変化する人物は歴史上極めて稀な存在であり、それと同時に尊敬すべき者であると思った。これほどの環境の変化を耐えぬいて67年の生涯を生き切ったという事実はなんと素晴らしいことなのかと映画を観終わった後衝撃を受けた。
 さらにその時代の東アジアの情勢を調べたり理解したりしているうちに私は父に前々から聞かされていた自分の曽祖父について思い出した。私の曽祖父は戦前に満州に渡り、当時の裁判所である法院で裁判官をしていたらしい。ちょうど戦前の満州といえば満州国の皇帝として溥儀が即位し関東軍がその指揮権を握っていた頃である。私のイメージだと、歴史物の映画や書籍の作品は19世紀以前の話が多くはっきりとわかる先祖とのつながりはないことが多いが、この作品のように第二次世界大戦の前後の中国の話だと、こんなにも自分に近い話であることにとても驚いた。古代の話はやはり解明されていない事が多く逆にその神秘性が魅力でもあるが、溥儀の弟の溥傑の孫が未だ日本で生きているというくらいの近年の話も古代の話以上にとても興味深いものだと改めて実感した。
 現在の日本と中国の政治情勢は良くない状態にあることは世界から見ても日本から見ても明らかである。先日も総理の靖国神社参拝などの問題も再び浮上し、これ以上日本側から悪化させていく有り様を見るととてもいたたまれない気持ちになる。日本がどのようなことを満州国にしたか、それの巻き添えになった溥儀や日中の架け橋になろうとした浩がどのような思いをしたかを今回映画や書籍を読んで知った上で今の状況を考え直してみると、お互いの国が過去の人物たちの努力を顧みて学び直すことが必要であると強く感じた。
 現在世界で勃発する戦争などはイスラム教スンニ派とシーヤ派のように似たもの同士の対立が原因となることが多い。日中関係や日韓関係、日朝関係が上手くいかないのも同じような発音の言語や漢字を使う似たもの同士の人種だからこそ生まれてしまうことが原因でもある。そんな中でどうすればぎくしゃくした関係を平和的に解決することができるのか?それは歴史を振り返ることである。当時満州や中国を攻撃した日本軍の首謀者たちを攻めることはもう出来ないが、残された子孫である自分たちが日中の歴史的背景をよく考えた上で解決していくことが、この日本に生まれた限り生涯背負っていかなくてはならない使命ではないかと私は思った。

参考文献
流転の王妃の昭和史              愛新覚羅浩 作 中公文庫
流転の王妃 愛新覚羅溥傑・浩 愛の書簡     福永嫮生 作 文藝春秋
火龍(愛新覚羅溥儀)http://www9.wind.ne.jp/fujin/rekisi/china/karyu/karyu.htm

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