デジタルネイチャーで解釈する平沢進のBEACON②

ごきげんようみなさん/
デジタルネイチャーでBEACONを解釈する動画の第2回です/
前回は1曲目のBEACONについて、デジタルネイチャーのような技術の飛躍的な進歩によって人類のイデオロギーの転換が起こり、/
近代的価値観の終わりに伴うZCONの停止によって、人は再び自分を導くBEACONに耳を傾けるようになった、という感じの解釈をしました/
今回はその続きです/
この動画の内容は、すべて私が適当に言っているだけなので話半分で聞いてください/
じゃあ始めましょう/
2曲目の論理的同人の認知的別世界は、近代的思想に基づく、デジタルネイチャー以前の世界について描かれた曲です/
近代的な価値観は現代を生きる我々の思想のベースにもなっています/
近代に発明された、人間、社会、国家、大衆などといった概念も、我々の思想のベースとなるものの一つです/
近代的思想に基づくシステムでは、社会を効率よく動かすために/
人に対して、社会の求める画一的な人間像に合致するよう要求します/
論理的同人とは、近代的な社会に属するための、目標となる人間像のことです/
認知的別世界は、人間が理解できることだけで規定されている世界のことです/
17世紀に、コペルニクスが科学的な事実で聖書の内容を否定したことで、価値観の転換が起こり、近代へと至りました/
そのため近代は、科学的な、証明を繰り返して論理を積み上げていく考え方がベースとなっています/
眼の奥の脳で散る火花のオペラ/
は、世界を人間の感覚器官を通して認知的別世界に規定していく過程です/
世界は、人間の目を通してデジタル情報に量子化され、その入力によってニューロンの発火が起こり、その結果が人間の言語に縮退され認知へと至ります/
オペラは、ニューロンの発火から引き出される人間の言語のことでしょう/
近代的思想は、それまで信じられていた神中心の世界観を否定することで成り立っています/
焦土のぬかる道の上腐乱する神、と、流行る甘き薬物に焼け焦げる神/
の部分は、そのような神を否定することで成り立つ世界のことでしょう/
近代的な、証明により論理を積み重ねていく考え方は科学を急激に発展させました/
その科学の発達は産業革命につながり、近代の資本主義的な工業社会が成立しました/
脱兎のごとく手際よく花摘み髪ヘ/
そして/
奪取奪取大奪取/
の歌詞はそのような、資本主義的な工業社会特有の、効率的な生産と環境破壊のことですね/
息の音が止まるような奇譚の光/
は、映像メディアのことのような気がします/
近代では写真や映像など、より正確に情報を伝えるための装置が発明されました/
写真、映像メディアなどの技術はマスメディアとして活用されていきます/
中でも映像メディアは強力で、よりリアルなイメージを一方的に与えることが可能です/
映像メディアの大きな特徴の一つは、人間を時間的に拘束できることです/
映像は、絵画や本のように流し見ができないので、人間を時間的に拘束できます/
そして、製作者の考えを一方的に与えて、一つの考え方で集団を支配することができるようになります/
それらの性質は人間を洗脳するのに都合がよく、例えばヒトラーは、ナチスのプロパガンダのために映画を流していました/
息の音が止まるような奇譚の光 暴君の美談の日 何人吊るす?/
の歌詞は、映像メディアによる洗脳的な思想統制のことかもしれません/
この曲はZCONによって支配される世界についての曲です/
ZCONは人々の頭に概念的な石 ZCONITE を発生させ、ZCONITEは精神活動の混乱や停滞を起こさせます/
この概念の石 ZCONITE とは、近代に生み出された、「人間」「社会」「国家」といった概念のことではないでしょうか/
ZCONとは人を「Z」 つまり「人たる所以」の終焉状態に導き、そこに留めておくための装置です/
これは、人間を「人間」という概念のもと、画一化された論理的同人に仕立て上げる、近代的なシステムと似ています/
論理的同人の認知的別世界は、頭の中でZCONITEが作用している人が見ている世界と言えます/
さて、そんな空論的な概念によって規定されるパラドックスにあふれた認知的別世界ですが/
世界がデジタルネイチャー化していくと近代的な価値観はだんだんと瓦解していきます/
というわけで3曲目の消えるTOPIAについて解釈していきましょう/
TOPIAは、単に場所としての意味ではなく、ユートピアとディストピアの両方のことを指している気がします/
デジタルネイチャーは、ある種、コンピューターが人間を管理する世界と言い換えることもできますが/
コンピューターが人間を管理するディストピアといえばジョージ・オーウェルの1984年ですね/
1984年では、テレスクリーンという双方向コミュニケーションの機械や、町じゅうに仕掛けられたマイクで市民の行動がすべて監視されているという状態でした/
この小説が執筆された当時はAIなんてなかったので、その監視した情報を扱うのは人間でしたが/
このような情報をコンピューターが扱うようになるのがデジタルネイチャーなので、設定的には似ています/
1984年ではコンピューターによってディストピアと化す世界が描かれていましたが、はたしてデジタルネイチャーの世界もそのようなディストピアになるのでしょうか/
残念ながらそのようなことにはならないでしょう/
コンピューターが人間を管理するようになっても、人間を不必要に苦しめる必要が全くないからです/
むしろコンピューターと人間は共生関係のようになるため、人間の生活を快適にすることがコンピューターの生存にとっても都合がいいのです/
1984年のようなシステムは中国のアリババの子会社が実用化してますが、おそらく人間の生活がちょっとずつ最適化されていくだけでしょう/
一方ユートピアは、イギリスの思想家トマス・モアが1516年に書いた小説に登場する、理想的とされる国家です/
このユートピアは管理社会的な側面が強く、人間が厳格かつ合理的に管理される世界です/
そのため一般庶民が個性や財産を持つことがなく、その代わり、格差や飢餓、犯罪などがなくなります/
このような世界は、人間生活を最適化しようとする中で行きつく先にある理想社会ともいえますが/
コンピューターが管理するデジタルネイチャーの世界は、このような世界になるのでしょうか/
結論を言うと、そのような世界にはなりません/
デジタルネイチャーではむしろ人間の個性をそのまま受け入れて管理することができます/
それは例えば、生まれた時から腕や足がないだとか、普通の人とは違う世界が見えるといった/
近代的世界では障碍者として社会から隔離されるような個性でもです/
舵は邪気を裂いて切られ雲は無い/
とは、デジタルネイチャーを目指すことによって、ユートピアやディストピアに行き着かない別の理想を目指そうということでしょう/
ホログラムの塔は燃える熱もなく/
という歌詞がありますが、ホログラムの塔 に似た単語がOPUSの歌詞に出てきます/
ギガの風遠く吹くメタメトロポリス 透ける禁忌の塔/
OPUSもデジタルネイチャー的な曲で、メタ、VRといったコンピューターを通して見る世界が描かれています/
燃えているホログラムの塔はこの、禁忌の塔のことでしょう/
そしてその塔は、クオリア塔のことかもしれません/
クオリアについては、足らず講釈6月分で平沢進さん本人が解説してくれているので見てきてください/
クオリアは人間を画一的な論理的同人と定める近代的な価値観とは相反するものです/
改めてクオリア塔の歌詞を見てみるとBEACONの中の曲の歌詞を彷彿とさせる歌詞が随所にあります/
幸いは岩のごとくあり/
は、 概念の石 ZCONITE のことではないでしょうか/
塔というワードは、最近の曲だと、HUMAN-LEにも出てきます/
何時かは塔を登る日と ただ一つ得た夢は罠/
塔は、一見よさそうに見えるが、しかしそれは罠だという感じですが/
この塔とは、近代的な価値観で作られたユートピアのようなものかもしれません/
アディオスには/
煌々と燃え上がる塔 ああ驕れる人士 逃亡/
とありますから、人士、すなわち地位や教育のある人々が良いとする何かのことでしょうか/
そして、ホログラムの塔は燃える/
とは、そのような人士が考えた最強の塔を、デジタルネイチャー的なホログラムで否定するという事でしょう/
熱も無くは、エコとかクリーン的な文脈のことかもしれません/
過去はたった今 今はたった今 明日はたった今 キミに帰る/
の、キミはコンピューターのことで、あらゆるデータをコンピューターに集約させようということです/
洗われ降る/
は、それらのデータによって身の回りの物が最適化され、その恩恵を人類が受け取るということでしょう/
同じようにコンピューターについて描かれている曲の、白く巨大でに似たような歌詞があります/
清く時の塵をただ洗うよ/
のところですね/
白く巨大ででは、刹那や、時さえなくといったワードが出てきますが/
これはコンピューターが人間の体感時間とは全く違う時間流で生きていることを示唆しています/
幻は死ぬ一瞬の宣言で/
という歌詞は、それに似た意味かもしれません/
宣言というワードもほんのりとコンピューターっぽいニュアンスを感じます/
瓜二つの朝に咲く光る花/
は、コンピュータで再現されたメタバースのことですね/
そう考えていくと/
ロケットは詐欺を飛ぶ白昼/
という歌詞がひっかかります/
この、詐欺という単語を考慮すると、これは宇宙開発競争のことではないでしょうか/
宇宙開発競争は1957年から1975年の間の、冷戦中のアメリカとソ連が競うように宇宙開発を並行して進めていたというものです/
1957年、ソ連が世界で初めての人工衛星、スプートニクを打ち上げました/
これにより、自国を宇宙開発のリーダーであると信じていたアメリカは強烈な衝撃、スプートニクショックを受けました/
スプートニクショックによってアメリカの国民は、いつソ連にミサイルを撃ち込まれるかわからないという恐怖におびえるようになりました/
実際のスプートニクにそんな機能があるかどうかは別にして、です/
これまで世界で一番進んでいると信じていたロケット並びにミサイルの技術が、ソ連に抜かされていると分かったアメリカは/
負けじと宇宙開発に多額の予算をつぎ込むようになりました/
バジェットは闇を縫う隠れて 怒号悲鳴罪の号令/
それを踏まえて、その次の/
諦めた展望のカギは 目覚めれば見える/
について考えます/
諦めた展望とは、選択されなかったコンピューターの進化先のことでしょう/
コンピューターは、戦争で勝利するための目的で、暗号処理やミサイルの弾道予測などのために積極的に開発されました/
現在、我々の生活に欠かせないインターネットも、戦争のためのもので/
核ミサイルで全滅しないためのインフラとして、多数のノードで構成される分散型の処理が必要という発想がベースとなっています/
現在は、コンピューターの用途は多岐にわたりますが、それでも人間のための道具という位置づけは変わっていません/
では諦めた展望とは何なのでしょうか/
それは人間に代わる知性を持った機械です/
ドラえもんみたいなやつですね/
自分で考えて行動するコンピューターは、人間の道具という文脈からは生まれません/
そう考えると、目覚めとは、コンピューターが知性を持つということでしょうか/
あるいは、あきらめた展望とは、世界を個人のクオリアに合わせて個別に最適化させるということかもしれません/
そのような世界は、ヘッドマウントディスプレイなどのVR装置をすべての人が使い、メタバースに接続することで可能となります/
そう考えると目覚めは、人間が近代的な画一化された価値観から目覚め、自分で物事の価値を判断して行動するようになる、といった感じでしょうか/
さっき見てもらった足らず講釈の最後のほうでも同じようなことを言っていましたね/
じゃあ次の/
リセットは容易く為される 知る日を果敢に迎え/
について考えましょう/
知る日、はコンピューターが人間の知能を超えるシンギュラリティ的なことが起こる日でしょう/
それにより、近代的な、人間が地球上で唯一の知性であるという前提に基づく価値観がリセットされます/
咲いた花の色香にも 目覚めれば見える/
の歌詞は、そのコンピューターがあらゆるものを最適化するコンピューテーショナルフィールドのことでしょう/
花は現象の花のことです/
自然は、数億年かけて自身を環境に最適化させてきました/
この最適化の過程は言語を介さないEnd to Endの関係で、地球内に流れるあらゆる場と現象の花は事事無碍的な関係にあると言えます/
忘れた力拒まず誘う声を聴け/
とは、動物や植物が本来持っている、身の回りのあらゆる環境に自身を最適化させて調和するエコな力を、コンピューターによるEnd to Endの最適化で取り戻そう、ということです/
消えるTOPIAの解釈はこの辺にしといて、今回はここまでです/

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?