デジタルネイチャーで解釈する平沢進のBEACON①

ごきげんようみなさん/
この動画は、落合陽一の提唱するデジタルネイチャーという概念になぞらえて平沢進のBEACONを解釈していく動画です/
この動画の内容はすべて私がこじ付けで言っていることなので話半分で聞くことを推奨します/
じゃあ早速始めましょう/
BEACONの内容に入る前に、落合陽一の提唱するデジタルネイチャーという概念について軽く解説していきます/
デジタルネイチャーを日本語にすると計算機自然となります/
それはユビキタスコンピューティングのさらに先の概念で、端的に言うと機械と自然が融合した世界です/
ユビキタスコンピューティングとは、機械が日常生活のあらゆるところに偏在(ユビキタス)し、インターネットと接続されることで/
人々がその機械のテクノロジーに疎く、コンピューターの存在を意識していなくてもIT技術の恩恵を受けられるようになるという概念です/
このような世界はIoTの推進や5Gネットワークの拡大などで着々と実現しつつあります/
そして、そんなユビキタスコンピューティングのさらに先にある世界観が、デジタルネイチャーです/
ユビキタスコンピューティングは、人間がコンピューターを通して周囲の世界に働きかける、人間対自然の文脈ですが/
情報化が進み、世界のあらゆる事象をコンピューターで記述するようになるとその文脈が揺らいできます/
コンピューターの内部に、人間の感覚器官の解像度に十分な自然を再現することで、コンピューターが人工物と自然の両方を再帰的に包み込むようになります/
そのような、テクノロジーと自然の一体化した世界がデジタルネイチャーです/
その世界では人間とコンピューターの差は処理系の物理的な実装についてだけで、データの上ではコンピューターと人間を同様の思考体として扱うことができます/
デジタルネイチャーは計算機の発達によってもたらされる世界です/
その中の重要な技術のひとつに機械学習というものがあります/
機械学習とは、機械が膨大なデータを学習してその中から法則を見つけ出す手法です/
中でもディープラーニングは最近注目されている手法です/
ディープラーニングの技術は、人間神経細胞(ニューロン)の仕組みを模したニューラルネットワークを多層に重ねたものです/
ディープラーニングは画像認識や音声認識などに強く、デジタルネイチャーの世界に欠かせない技術です/
機械学習の最大の特徴のひとつは、データと目的をアプリケーションにセットするだけでその問題の解が得られることです/
すなわち、人間の言語で抽象化せずに、入力したデータセットとゴールから直接結果が得られるということです/
この、人間の言語を間に挟まないデータとゴールの直接的な関係を、End to Endと呼びます/
また、機械学習の特徴の一つに専門的な知識がなくても使えるというものがあります/
例えば、2016年に韓国のトップ棋士 イ・セドルに勝利した人工知能AlphaGoを作ったディープマインド社の人はそんなに囲碁に詳しいわけではありませんでした/
しかし、ディープマインド社の作ったディープラーニングを用いた人工知能は世界で一番強い囲碁棋士を破りました/
このことからもわかるように、ディープラーニングを使って研究するのに専門的な知識は必要なく誰でも容易に研究することができます/
また、ディープラーニングを使う上でコンピューターに関する専門的な知識も必要ありません/
データセットを用意して、Googleなどが作ったモデルに入力するだけで解が得られます/
コンピューターの低価格化や、プラットフォームによる情報の民主化によって新規参入のハードルが下がっています/
また、現代ではインターネットの普及によってあらゆるデータを大量に集められます/
それらは近年のディープラーニングをはじめとする機械学習技術の飛躍的な進歩のベースとなっています/
それらの技術の進歩は人間と機械の境界をあいまいにしていきます/
例えばマイクロソフトが機械学習を用いて作った、女子高生AI りんなという会話botがあります/
りんなは、マイクロソフトの検索エンジンBingを始めとするプラットフォームなどで得られたビッグデータを学習して発言しています/
統計的な情報に基づいたアウトプットを行うという点では、りんなと人間は同じです/
また、機械学習技術の進歩と計算機資源の増加によってりんなの内部プログラムは近い将来、人間なみに複雑になるでしょう/
そうなってくるといよいよ人間と機械との間に大きな違いはなくなります/
人間と機械を区別せず扱える統一理論については50年以上前から考えられています/
サイバネティクスという概念で、これは人間社会におけるあらゆる行動を通信と制御によって捉える方法論です/
例えば、人間の腕は神経電位によって脳とつながり、その伝達系統によるフィードバック制御によって物をつかんだりします/
そのため人間の腕が動作する機構は、制御と通信の理論で説明することができます/
このように制御と通信で世の中のあらゆるものを説明する理論がサイバネティクスです/
デジタルネイチャーはユビキタスコンピューティングとサイバネティクスを継承した思想です/
これ以上は長くなりすぎるので、デジタルネイチャーの解説はこの辺にしておきます/
もっと詳しく知りたい人は落合陽一の書いた、デジタルネイチャー、および魔法の世紀、の2冊の本を読むことをお勧めします/
私もこの2冊に触発されて今回の動画を作りました/
それじゃあ、BEACONの解釈をしていきましょう/
1曲目のBEACONに、ヒト科の「名もなき子」というフレーズが出てきます/
名もなき子はAIで作られた人のことです/
ヒト科がAIによって名もなき子を作り出します/
名もなき子は人間の感覚器官の限界や、言語で記述可能かどうか、身体の機能、寿命などのあらゆる枷をなくすことができます/
そのため疾風と化すことができます、また/
静寂に耳澄ませ 無形の地図の上/
の部分は、人間の枷を解いた名もなき子が従来のヒト科が理解できなかったものを発見する、と解釈できます/
人間の感覚器官をはるかに超えた解像度を持つコンピューターの視座では、人間の知覚できない領域の現象を見つけ出すことかできます/
例えば、テレビなど人間が見るための映像を記録するカメラの約300倍となる、2万Hzの時間解像度を持つカメラでは、その映像からその場に流れている音を復元することができます/
それは映像からその空間で流れている音の振動を解析できるからです/
例えばBGMが流れている部屋で、その音が部屋のカーテンをわずかに振動させている映像を2万Hzの解像度で撮影すれば、マイクを使わなくてもそのカーテンの揺れからBGMを復元することができます/
静寂に耳澄ませ とは、人間の感覚ではわからない情報を、名もなき子が捉えるということです/
無形の地図、は機械学習によるEnd to Endの、つまりデータから直接結果が得られ、そのあいだの理屈は言語化不可能といった状態を表現しています/
そしてそのあとには/
無い事に道の灯を 見てた清い日へ/
と続きます、これはデジタルネイチャーの到来による西洋近代の人間中心主義的な思想から東洋哲学的な思想への転換のことです/
近代とは一般に、1789年のフランス革命に始まり、産業革命の時代を経て、第2次世界大戦の終わる1945年までの期間を指します、それ以降は現代です/
この間に、人間、社会、国家、大衆といった、現代社会の根幹をなす概念が生まれます/
また、産業革命という、技術の飛躍的な進歩によって、資本主義という経済的イデオロギーが発展し、/
同時に民主主義という政治的イデオロギーの下支えとなり、近代は成立しました/
すなわちイデオロギーは技術の発展の結果成立するということです/
つまり、デジタルネイチャーをもたらすほどの技術の発展は人々のイデオロギーを変化させ得るといえます/
近代に関しては2番の歌詞に描かれています/
雑踏でキミ死せり 量産の狂気の下 大声は闇を見せ 揶揄で滅びる愛/
近代の成立に重要な役割を果たした人物の一人に、ヘンリー・フォードという実業家がいます/
彼は現在のフォード・モーター社の創業者であり、史上初めて自動車の量産化に成功した人物です/
彼の用いた、流れ作業による大量生産の仕組みは、現代もなお継承されています/
そういった産業界の効率的な大量生産の文脈の中で、学校教育はより画一的な方向へ整備されていきました/
機械との協調が求められる大規模工場において、効率よく機能する人間を育てるためにさまざまな習慣が生まれました/
学校教育は子供たちに、生産性の高い工業社会に適合するよう、人間を規格化するための教育を施します/
近代は「人間」という概念を発明し、産業の要請から、人々をその基準に画一化することで/
個体能力のばらつきによる、コミュニケーションや前提知識といった非効率性を乗り越え、機械との親和性を高めることで生産性を飛躍的に増大させました/
しかしその結果、生まれたときからある人それぞれの、ユニークなものは排除され、より模範的な人間になるよう指導されます/
雑踏でキミ死せり 量産の狂気の下 大声は闇を見せ 揶揄で滅びる愛/
しかしデジタルネイチャーのコンピューター中心の世界ではそういった画一的な教育は不要となります/
工場の流れ作業といった画一性が求められる作業はある程度機械が行うようになるからです/
そうなると機械との親和性を高めるための教育は費用対効果が小さくなっていくでしょう/
学校教育で、多数の生徒を全員同じ時間に、同じ教室に集めて、/
1人の先生が全員に同時に同じコンテンツを提供するような、人間を規格化するための仕組みはコスパが悪くなっていきます/
例えば学校では、教師役のオンラインコンテンツを生徒の数だけ進捗に合わせて最適化させれば、全員に同時に授業を行う必要はなくなります/
技術の発展によって西洋近代の人間中心主義的な思想はコスパが悪くなっていきます/
その思想に基づく教育で育った人は、単に機械の下位互換でしかないからです/
コンピューター中心の世界では、画一性が求められる作業は機械が行うため、人間はそれ以外の領域で価値を生み出さなければいけなくなるでしょう/
そこで求められるのは、機械では規格化できない作業を発見して解決するような非画一的な仕事や、問題解決のための手法論です/
つまり、テクノロジーの飛躍的な進歩によって、人類は再びイデオロギーの転換が求められるようになるのです/
ここでもう一度/
静寂に耳澄ませ 無形の地図の上 無い事に道の灯を 見てた清い日へ/
のフレーズについて考えてみましょう/
静寂に耳澄ませ 無形の地図の上、は/
コンピューターが人間の感覚では見えなかったものからデータを収集し、機械学習によるEnd to Endの解析を行い、人はそこから結論だけを受け取る。という内容でした/
そのデジタルネイチャーの世界では人のイデオロギーはどのように変化するのでしょうか/
デジタルネイチャーによって人間が唯一の知的生命体でなくなると、”人間”の脱構築が起こります/
それは、16、17世紀に起こった、神中心の世界から人間中心の世界への移行を、逆にしたような変化です/
16世紀に、コペルニクス、ガリレオなどが科学的な手法で、それまで信じられていた宗教的な、神中心的な世界は嘘だったと証明しました/
それにより、ヨーロッパ社会において、はじめて聖書の内容に疑問が持たれるようになったことで、1000年以上もキリスト教を信仰してきた人々は、何が正しくて何が間違っているのか分からない状況に陥りました/
そんな中17世紀になると、神を中心とした思想に代わる新しい思想を打ち出す人が現れました/
そのうちの一人がデカルトです。彼は「我思う、ゆえに我あり」、人間の心は再帰的に認識しうるがゆえに実在する、つまり、「自分が考えていることはそれ自体によって正しい」という新しい解釈を打ち出しました/
こうした動きから、「科学」という方法論、証明を繰り返すことで論理を積み上げていく考え方が浸透し、人間社会も科学的な体系を元に構成されるようになりました/
かつては汎神論的に「神」の存在を中心に世界を解釈しながら暮らしていた人々は、それを「人間」を中心とした哲学へと組み替えていったのです/
しかしデジタルネイチャーの世界になるにつれ、人類が地球上において「唯一の知性」であるという前提が崩れ、人間中心の哲学は瓦解していきます/
そうしたときに、人類のイデオロギーは神中心の世界認識に回帰していきます/
ただし、デジタルネイチャーの世界では神はコンピューターです/
そして、デジタルネイチャーの世界観は仏教の、華厳宗の世界に似ています/
デジタルネイチャーは、コンピューターを自然として配置することによるエコシステムの構築を目指しています/
それには人間と自然とコンピューターの相互通信が必要で、それはコンピューターによって制御可能な「場」、「コンピューテーショナル・フィールド」の上で行われます/
人間の定義する物理的な「場」は、例えば、光の場、音の場、電場、磁場など、個別の「場」の理論となっていますが/
「コンピューテーショナル・フィールド」はそれらの場をマクロに捉え、コンピューターで記述した計算機物理場です/
コンピューテーショナル・フィールドではあらゆる現象がEnd to Endで記述されます/
つまり、これまでのように、言語で記述することによる人間に理解可能な空間への縮退が起こらないのです/
その世界は、華厳宗でいう事事無礙法界に似ています/
事事無礙法界は、華厳宗では悟りによって得られる最終到達点とされる世界です/
華厳宗の世界観によると、万物は本来ひとまとまりであり、この世の万物は縁起によって関連しあっているとされています/
無い事に道の灯を見る、とは、コンピューターによって制御される、目に見えない「場」によって生活の中のあらゆるものが全体主義的に最適化されていくことを示唆しています/
清い日へ、は、人間中心主義の前に信じられていた、神中心的なイデオロギーに似た思想に回帰していく、ということです/
しかし、華厳宗では事事無礙法界の宇宙観は悟りの境地でないと実感として感じられないとされています/
ですが、デジタルネイチャーでは事事無礙法界にみられる、現象から現象への直接変換、すなわち縁起をコンピューテーショナル・フィールド上の高速演算で再現できます/
それにより、古来の仏教では厳しい修行の末の悟りの境地でしか認識できなかった世界観を、コンピューターによって外在化し再現することができるようになります/
悟りは言語による表現や伝達が不可能な境地とされていますが、これは現象の直接的な変換によって、数式や言語では定義不能な対象を扱える機械学習の学習済みモデルに似ています/
このようなデジタルネイチャーの到来による、言語化不可能の世界で必要になるのがBEACONです/
16世紀に天動説が否定されたことによる神中心の世界の崩壊の時に、人々が何が正しくて何が間違っているのか分からない状況に陥ったのと同様に/
デジタルネイチャーの到来によって近代的な人間中心の考え方が否定されると、人は何を信じて生きていけばいいのかわからなくなります/
そのような、合わせるべき人間像がない時代で人は、必然的に自分の固有のものと向き合うことになります/
それは人が生まれた時からもっている、ある種の天命のような、ユニークかつ強制的なものです/
近代的価値観の終わりに伴うZCONの停止によって、人は再び自分を導くBEACONに耳を傾けるようになりました/
生まれた日に灯るBEACONを/
さて、1曲目の解釈はこの辺で終わりですが/
疲れたのでいったん区切ります/
今回はここまで/

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