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communication

男女問わずすごく魅力的な人に出会ったのち、そのパートナーの方にお会いしてがっかりすることってある。どうしてこの人にこの人なんだろう?と非常に余計なお世話なことを考えてしまうのだけれど、付き合い始めた(もしくは結婚した)あとにどちらかがなにかのきっかけで人間的に成長して、同じ方向をみて同じ熱量で努力ができる相手ならば一緒に成長できるはずなのだけれど、なにかの理由(妬み嫉妬ひがみ妄想いろいろあるよね)でそれができなかったときに差異が生まれ、修正できる段階でもコミュニケーションをとることができなかったりすると、その差異は広がるばかり。この時点でふたりに出会うと、その夫婦に違和感を感じることが多いのだとおもう。
せっかく出会って好きになった相手と、同じ歩幅で進めないのは大変に残念なこと。少なくとも歩幅は違っても、成長したいという気持ちだけは根本的に持っていたいところだけど、それも人それぞれだから仕方ない。強要することでもなし。いろんな生き方があるわけで自分の生き方が正しいなんて思いあがりもせず、ただ自分のやるべきことを積み重ねていくだけ、なのでしょうね。そして意味のある対話が必要。無意味な罵り合いや感情にまかせた反応だらけの言葉はお互いを擦り減らすだけ。

今朝、ある集まりで年配の方々から意見を頂戴しながら、対話をして歩み寄ることの難しさを改めて感じて。そんなつもりはなかったのに、ということをどうお互いに消化して折り合いをつけていくか。そもそも家族であっても他人のことなんて理解できないのだから、いろいろな意見を否定することなく、流されるでもなく、理解ができないということを理解していくしかないのだ。

コミュニケーションがとれていて調和している人同士、というのは言葉にしなくてもSNSに投稿しなくても空気で解る。そしてそういう空気というのはその場にいる皆を幸せにする。自分もそうあるために成長したいものです。

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