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タミちゃん。 父の母、つまり私にとって父方の祖母の名前である。 漢字で書くと『多美』。多く美しいとは、なかなか厚かましい名前だ。 しかしタミちゃんに言わせると、若い頃はかなり美人だったそうだ。 だから本人曰く、『多美』に名前負けはしていない。 タミちゃんは、お見合い結婚だった。親どうしが決めた相手と、 お見合いで一度会っただけで結婚が決まった。 2回目に会ったのが、結婚式当日。 会場でどの人がお婿さんなのか、顔がわからなかったそうだ。 恋愛期間を経ずに夫婦になった二人
大学四年の夏、私は親の反対を押し切り、モデルの道に進むことを決めた。高校生からアルバイト感覚で始めたモデルだが、本気でやったら 自分がどこまでできるのか、挑戦してみたかったのだ。 ある日、私は売れっ子モデルの友人と会う約束をしていた。 仮に名前をあやちゃんとしよう。 あやちゃんはスラリと脚が長く、脚モデルもするほどの美脚美人である。 約束の朝、あやちゃんから電話がかかってきた。 「京都のお稲荷さんへ行きたいから、時間をずらしてほしい。」とのこと。 京都のお稲荷さん?私の家
その日、私は札幌から東京へ戻るため飛行機の中にいた。 8月とあって満席だ。ガヤガヤと賑やかな機内。 飛び立つまでもう少し時間がかかるだろう。 「KAT-TUNですか?」 いきなり隣の女性が声をかけてきた。 歳の頃は、20代後半か。私より歳下だと思う。 私は意味がわからず、問い返した。 「へ?KAT-TUN?」 「あ、KAT-TUNのコンサートでは無かったのですね、すみません。 実はKAT-TUNの札幌公演を見に行った帰りなんで、もしかしたら 同じかなぁと思って声をかけてしま
大抵の子供は、母親が大好きである。 どんなに叱られても、やっぱりお母ちゃんの存在は特別なのだ。 当然のことながら、私も母親が大好きだ。 感謝と愛情と、言葉では言い尽くせない深い想いがある。 他方、母親にとっても子供は特別だ。 私は娘を授かって、初めて自分の命よりも大切なものに出逢った。 今、自分が生きている理由は娘だけだと言っても過言ではないほど、 かけがえのない存在である。 そんな母と子の関係だが、私の祖母『タミちゃん』も御多分に洩れず、 やはり母親が大好きであった。
飴、ガム、チョコレート。 子供なら誰しも大好きなお菓子だが、幼少期の私にとっては 憧れの存在だった。中でもガムは、絶対に口にすることができない 夢のお菓子である。 私の母は、虫歯に悩まされてきた人生だった。後になって聞けば、 母が育った家庭では夜に歯磨きをしない習慣があったそうで、 そりゃ虫歯になるのは至極当然のことだろう。 だからこそ娘には歯磨きを徹底し、さらに甘いものを一切食べさせない ことにした。 虫歯に悩まされることの無い、健康な歯にしてやりたかったからだ。 おっ
私たち人類は、チンパンジーと別の道を歩み始めた600万年前から、 そのほとんどを狩猟採集生活で過ごしてきた。 農耕と牧畜が始まったのですら、1万年前だ。 何が言いたいかと言うと、人類の長い歴史から見た場合、 今のような文明社会は、ほんの一瞬に過ぎないということだ。 つまり私たちは今、とてつもない速度で文明が発達している時代を 生きている。 28歳の時、私は4年間付き合った彼と別れた。 結婚まで考えていた相手との別れは、人生の終わりを意味する。 もし見ることができるなら、私の
あれは、30歳の夏だったろうか。 私は仕事のことで、とても悩んでいた。 いや、悩んでいたというのはウソだ。自分の中では、とっくに 解決策は出ていた。ただ背中を押して欲しかっただけだ。 私は、占いへ行くことにした。若い頃から占い好きである。 片想いをしては占いに行き、 フラれては占いに行き、 仕事で悩めば占いへ行った。 私の場合、行きつけの占い師がいるわけでは無い。 気分によって手相の時もあればタロットの時もあり、 『当たる』と聞けばホイホイ足を運んだ。 半分はお悩み相談、
二歳の娘にご飯を食べさせていた時のこと。 「ご飯から食べる?納豆からにする?」 「うーん。。。」 どれから食べようか、迷う娘。そこで、 「そんな時はね、この歌を歌えばいいよ! 〽どれにしようかな、天の神様の言う通り。プッとこいてプッとこいてプップップッ。もひとつおまけにプップップッ。か・き・の・た・ね!〽 よぉし!お味噌汁からにしよう!」 娘はキャッキャと喜んで、お味噌汁から食べた。 すると隣で聞いていた主人が、 「何、その歌?どうして関西人は何でも下品なの?」 と苦笑い
新大阪駅の改札を出てすぐにある蕎麦屋。 ここは、女の行きつけの店である。 どれも美味しいが、イチオシはきつねそば。700円だ。 丼を埋め尽くすほど大きな揚げはジュワッと甘く、 関西風のお汁は出汁がきいて、たまらなく美味しい。 その日は、土曜日だった。 旅行客やビジネスマンで満席となった蕎麦屋の店内。 一番奥の席では、いつものように女がきつねそばを食べていたが、 今日は珍しく男と一緒だ。何やら話し込んでいる。 女:このあいだ初デートに誘われて食事に行ったんですけどね、
関西のラジオ番組に、ブラックマヨネーズの吉田氏がゲストで来た。 吉田:「六車さんの従妹で、日吉ヶ丘高校に通ってた人います? 僕、日吉ヶ丘高校なんですけど、同級生に「六車さん」って人がいて。。。」 六車:「えーっ!そうなんですか!」 吉田:「年上の従妹で、『六車さん』ています?」 六車:「年上の従妹ですか?六車の姓が付く従妹は、全員年下ですよ。」 吉田:「あれ。お姉さんもいませんよね?そしたら誰や? その人、高校時代からモデルやってて、、、。」 六車:「え?六車の名前で、私の
レギュラー番組の収録へ行った時のこと。 その日はいつものメイクさんが休みで、ピンチヒッターの人が来ていた。 20代半ばに見える彼女は、顔が隠れるくらい大きなマスクをしている。 夏だぞ。蒸れないのか? 「マスクしてるけど、風邪引いたの?」 思わず聞いてみた。 「実は、こんな仕事をしていながら恥ずかしいのですが、、、。 肌荒れがひどくて、マスクで隠しているのです。」 「え!ちょっと見せてみて。」 マスクを外した彼女のほっぺたは、真っ赤な吹き出物が大量にできていた。 「うわぁ。
20代半ば、友達と二人でパリ旅行をした。 仮に、友達の名前を『るみ子ちゃん』としよう。 るみ子ちゃんは、仕事の現場で知り合った友達である。 毎週、競馬の取材で栗東トレーニングセンターへ行くのだが、 朝が早いために前泊をする。るみ子ちゃんと私は、毎週同じ部屋で 寝起きを共にし、好きな人の話や仕事の相談など、 色んなことを話しながら時を過ごした。 2年ほどで番組は終わったのだが、それからでも定期的に会っては 近況報告をするような仲の良さであった。 そんなるみ子ちゃんが、結婚する
草木も眠る、丑三つ時。 私は翌日の仕事に備え、実家のベッドでスヤスヤと眠っていた。 すると突然、携帯電話が鳴り響いた。 「なんだ!?」 私はビックリして飛び起きた。着信を見ると、彼からの電話だ。 仮に、彼の名前を『アキラ』としよう。 アキラとは、付き合ってまだひと月足らず。お互い30代後半で、 常識あるオトナの筈だ。こんな時間に電話をかけてくるなんて、 非常事態かもしれない。私は急いで電話に出た。 「もしもし?」 「ガチャン!」 いきなり切れた。どうしたのだろう?不審に
深夜0時をまわった。マナミは、緊張と興奮から眠れずにいた。 明日は三年間通った看護学校の卒業式である。 マナミは私の2歳下の妹。これまで色々な仕事をしてきたが、 34歳の時、思い立って看護師を目指すことになった。 将来のことを考えると、手に職をつけなきゃと思ったらしい。 看護学校へは無事に入学できたが、あくまでスタート地点。 目標は国家試験に合格し、白衣の天使になることである。 さあ勝負はここからだ! 看護学校の同級生は18歳。まず肌と脳ミソの若さは完敗である。 「私は