見出し画像

#20 当たり前の幸せを、当たり前すぎてつい忘れてしまう

神社でお願いをするということは、実は神様に喧嘩を売る行為で、不足しているところや満足していないことを申し立てているのだ…と、なるほどなぁと思い至ったのが、下の記事。

私には、目の見えない身内がいるので、見えることの有り難みはよく分かるし、父を肺癌で亡くしており、息をするだけの当たり前のことが大変な人もいるのだと知っている。

耳が聴こえ、自由に歩くこともでき、戦争のない国で食べ物にも不自由せず、屋根のある場所で乾いた布団にくるまって寝ている。

これ以上、何を神様にお願いしているんだっ!という話なんだよね、きっと。

辛かったりしんどい時は、ついつい忘れてしまうけれど、当たり前に享受していられることに感謝して、その上ですこしだけ…。

自分のことではなく、人のために祈り、お願いをするのは、大目にみてください。

今悩んでいること、背負っているものも、手の中にある幸せに気づいたら、頑張ろうという力が湧いてきた。

そして多分、大きなものを背負っていても、悩みがあっても、どっぷり浸かってしまうのは良くないんだろうな。

介護も頑張りすぎは禁物で、自分のために使う時間、息抜きが必要とよく言われる。

思い悩んでいるからこそ、他のことを考える時間や、楽しい時間を作って、息を抜こう。
視点を変えて上を見上げれば、そこからまた、新たな展開があるかもしれない。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?