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私がもらっていたのは「愛」だった。

こんにちは、ななです。


最近、私はパートナー(彼氏)との仲を考えていました。
このまま付き合っていていいのか。

「私は彼の事が《好き》なのかな…?」と。


今の彼が初めてということもあって、
凄く楽しいな!嬉しい!!となることや、
凄く悩んでどうすればいいの。。苦しい…。となることもあります。
でも、彼はどんな時でも私に寄り添ってくれました。
今思えば、私は彼に甘えていた。

今回、彼から言われて気づいたことを忘れないようにという想いで、
書き留めていきたいと思います。


1,楽しい以外の感情に嫌悪感を抱いている。

私は楽しいことが好き。
だから楽しいことをずっとしていたい。

でも、そんなに世の中上手くいかない。
自分の情けなさを痛感して悲しい時や悔しい時もあれば、他の人に対して少しは苛立ちを感じる時もあれば妬む時もあるし、一人でいると寂しい時もある。
そんなにたくさんの感情があるのに、私は楽しい嬉しいという+(プラス)の感情だけを欲していた。そして、それ以外の悲しい辛い寂しいという-(マイナス)は嫌だからできるだけ避けたいと思っていた。
(今も完全には抜け入れていないけど…。)

悲しい思いをすると、胸が痛い。とっても苦しい。
寂しい思いをすると、つまらないなぁ楽しいことないかなぁと不満になる。
(=不幸)

パートナーからのひと言
「別に楽しいことを追い求めることは悪いことではない。
だけど、楽しい以外の感情に嫌悪感を抱くと苦しいよ。」


きっと私は、満たされていたいという思いが強い。
欲求が強い。


例えば承認欲求。人からのいいね!や、褒められるかどうか。
でも、先月のことだが、
テレアポでアポが周りの人は取れるのに私は全然取れなくて、アポを取り切れていないのに取れたというふうにしてアポをカウントをした時があった。所謂、不正をした時があった。

その時は良かったけど業務が終わった直後、
上司からの承認欲求を満たすために不正をした自分が嫌になった。
(アポといっても面談の案内をつなぐということだから、多分バレてはいないと思う…(自分に甘い…))

なにはともあれ、
他人からの承認欲求を満たすために自分は後ろめたさを感じることを行うのは嫌だ!!!!!!と思った次の日からは、アポが取れなくてもそこまで落ち込むこともなく、褒められても正直そこまで嬉しくはなかった。
そして、面白いことに、アポを取ることにこだわることをやめたら、何故かアポが沢山取れるようになった……。不思議。


まぁそんなことがあり、私は承認欲求を満たすために頑張る!!
ということから少しだけ脱却できるようになったかもしれない。
ただ、悲しいことや寂しいことや悔しいことを私はすぐに+(プラス)の感情にしたがることは変わりない。

でも、
悲しんでいるひとに「元気になれ!くよくよするな!!」とは言えないし、根本的な解決になっていない。
それらの根性論を普段の自分に言い聞かせているが、言い聞かせている時はとっても苦しい。自分に鞭をうっているかのようだ。
苦しいのと同時に悲しんでいる自分が嫌になる。
でも、それはもっと悲しい。
別に悲しみたくて悲しんでいるわけではない。
辛くなりたくて辛いと思っているわけではない。


だから、せめて、
悲しんでいる人にわたしは寄り添いたい。
辛くてしんどそうな人に辛いねってただ傍に入れる人になりたい。
ても、大切な人にできるだろうか。。
まだ言い切れない自分がいて、なんとも心が落ち着かないし情けない。


ただ、一つ言えることは、
こうやって関係性が深いパートナーから、自分のダメだなと思うことを伝えてくれることはありがたい。(知らない人から言われたら傷つくだけで終わるけど。)
そして、ダメな自分と向き合っていることが少し嬉しい。
だって、これから良くなっていく可能性を見い出したから。
(正直すぐにこの思考の転換は難しいけど色々考えていくとこうなる。
ダメな自分を痛感して悔しい苦しい→いや、でもこれを直せば自分は新しい自分になれるかも!→まだまだだな…もう…↘の繰り返し)


2,周りの人は、自分を楽しませるために存在しているわけではない。

私は楽しくいたい気持ちがあるが、
周りの人がいつも楽しい気持ちであるわけがない。
それは自分本位すぎるのにね。どこかしら求めていた、、、。

逆にいえば、自分は楽しく笑っていなきゃと思って行動することが多い。
泣くことは相手を悲しい思いにするからダメ。一人で泣くほうがいいって思って悲しい気持ちを押し殺す時が多い。

所謂、存在意義(相手にとって、私はどんなプラスのことをしているのか)を考えて行動する時が多いのだ。
私は特に気を許さない人にしがちなこと。

でも、存在意義なんて勝手に他人が決めることであり、誰にでもそうしていたら私はきっと窒息死してしまう……
そんなことを自分がいちいち気にしすぎていたら自分は苦しいし、他の人に存在意義を求めてしまって苦しめてしまう。

だから、私は楽しい時に笑ったり、悲しい時には泣いたりしてもOK◎だし、周りの人もね、私の前で悲しい時は泣いていいし、辛い時は辛いって言っていいんだよって言いたい。
気を許している人にこそ。

ただし、相手のことを気遣って言葉は発しようね。



3,【思ったことを言葉にすること】と【反応(相手の事を考えずに言葉を発すること)】は区別して使おう。

彼から言われたこと。
「反応(相手のことを考えずに言葉を発すること)ばかりしていると自分が痛い目を見るよ。反応ばかりしていたら相手を傷つけるから。」


自分が何を思おうが、何を考えようが、自由。    でも、それを相手に伝えないほうがいい時がある。もしくは別の表現にしたほうがいい時がある。

なぜなら、
言葉は【プレゼント】にもなれば、
【刃物】にもなり得るから。


口で言う事は簡単だから、
行動にうつしていきたい。
そのためにもまずは意識的に悲しんだり苦しんだり悩んだり泣きそうなる自分にOKだよ◎ そのあとにはきっと、もっと素敵な自分になっているからね。と伝えたい。

そしたら他の人にも大丈夫だよ。って。
言ってあげられるような気がした。


私は気づいた。
前から気づいていたかもしれないけど改めて気づいた。

彼からもらっていたのは
プレゼントでも、
少しお金を多く払ってくれることでも、
悲しんでいる時や辛い時に寄り添ってくれることでもなくて、
だった。

《好き》だからではなくて、《愛》があったからだと思った。だからこうやって、言いづらいことも言ってくれたのかなと、勝手に思ってる。

ありがとう。


これからどうなるか分からないけど、
私は貴方と出会えて幸せです。
心から、ありがとう。


以上です。

読んでくださった方、
ありがとうございました(o^―^o)


[余談]

写真の薔薇は、私が母に渡したものなのですが、丁度いい置き場所がなくてなぜか私のところに置くことに。
いうよく分からないことになったので、丁度いいやーと思って撮った写真です。。。(笑)母曰く、私の机に来て薔薇を見るからここに置いておいて~と言われたが、何とも複雑な気持ち、、、。



(おわり)


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