何歳からでも成長したり幸せになったり

あちゅいー……

何とか近所のコンビニ行ってお金おろしたが、先週の生活費だよコレ。

なんか凄く身体症状出ててストレスか(もっと言えばPTSDの症状か)と思ったけど、アレだアレ。女の子の日。たぶんそれのせいだと、っていうかそれのせいでいいですもう。余計なこと思い出したくないです。

とは言え婦人科で処置を受けてからこういう症状出にくくなってた……先月だけか。

おお。考えたら日曜昼間全然起きてられなかったの、そのせいじゃん。眠気すごかった。

すっかり生活が無茶苦茶になったよなあ。
有志の支援がはじまってから。

コレは別に悪口の類いじゃなく、家に閉じこもって死んだような状態で過ごすのだって「習慣」になる訳です。急に色んな人達がウチに来たり交流が始まったりして、自分の生活の基礎とか何もない私は何が何やら、どう過ごすかとかさっぱりないのです。自分のライフスタイルとかそーいう。

本当についこの間まで、自分が基準であるという感覚も全くなかった。「マイペース」という言葉があるけれど、主治医から「あなたはユアペース、ですね」つまり相手や状況にばかり合わせてしまう、つられてしまう。完全に無自覚。というか、そうしないではいられない。ンー。まあ、私の場合は先生がわざわざ指摘するくらい酷くて、1年前、「過剰同調(性)」っていう病気の症状と呼べる状態であるとわかりました。過剰同調っていうのはたぶん日本人はかなり陥りやすいですよね。同調圧力なんて日常語だし。その同調です。が、私は同調が苦手なはずの発達障害。まあ、空気を読む的なのは元はかなりできなかったです。今も頑張らないとできません。ということは、過剰同調をするのに、物凄いエネルギーを消耗しているわけです。疲れてるのが当たり前だから長年気づけなかったのね。っていうかそれは色んな不調が出てて当たり前です。フツーの人のような行動自体が難しいのに負担なのに、ずっと続けているんですから、フツーの人達が安易に思うらしい「訓練すれば健常者みたいになれる」なあんてありえないのね。

逆だ逆。私の苦しみは同調しないと命を落とすとかそういう状況で育ったあと、その強迫観念が外れる機会がまるでなかったことで起きているのです。
私はこの状態の人に実際に出会ったことは……あるかも知れないけれど、気づけないですねぇ。互いに相手やその場にメッチャクチャ命懸けで合わせてるからわからないと思うの。

これは「押しつけられた役割を演じる」ということでもあります。場に合わせてるんですから、子としての役割、お姉ちゃんの役割、生徒の役割、先輩後輩などの役割、いじめられっ子の役割、受験生の役割、クラスのリーダー的存在の役割……こういうのがまあ自然とあったモノだとか無理がないとかのめり込み過ぎずに済むとか、どっかで、自我があると言うんですかねえ? 役割自体は本来の自分じゃないわけですが、そういう意識を持つことがなかったのね。

それで「ユアペース」になると。ここではこうでなければとか、相手のテンションや考え方をコピーしてしまって自分もそういう人間だとか思い込んじゃう。別にそうでなければいけないということはないのだけど、私のように「身の安全が確保されずに育った人」にはそもそも自分と言える自分がまるで育ってないですから(そんなことできる状況じゃない訳です。そうですね、ジャングルなんかでカモフラージュしたまま生き延びてるようなもんでしょうか)、無理。非力な子どもが生存するための大事な術だった訳です。結果的に相手のキャラクタを取り込んで演じるなんて頻発。また、そんなのやってたら一貫性のある人格でいるとか無理がありますから、乖離性同一性障害(多重人格)なります。これは医学的に認めない人が多いのですが、いや……。これ以外の説明ではどっかほころびがあるというか無理がありますね、見てても、自分でも。私は「疑い」程度っぽいですが、そのくらいの人は凄くいると思います。

だから、私は「状況などに合わせた人格」をいっぱい持ってるというか、すぐに役割分担して枝分かれしちゃうんですね。でも、これが本当に異常な状態かというのは議論の余地があるというか。絶対に態度が全くいつでもどこでも変わらないとかないでしょう。こういう場ではこういう人だけど実は普段はこんな人、とか、そういうレベルと繋がってると思います。生活に支障があるとか記憶がない時間があるとかそういう時には病気として対処すればいいことだと思う。私は、うーん。昔の記憶はないんですね。子どもの頃とかほぼ思い出せない。どんな風に生きてたのかとかよくわからないんです。苦痛過ぎて思い出せないらしいけど、その間も生きて動いてた訳ですから、肩代わりしていた人格がいると考えるのがこの病気。私の乏しい記憶では小学校時代から突然ガラが悪いというか言葉遣いの凄くよくない子に変わったんですね。直せなくって凄く恥ずかしかったけど大人になってからやっと言葉遣いとか直りました。今はそういう話し方が逆にできませんが、文字(テキスト)では現れます。どうも自分のイメージが男性であるようだと気づいて、逆らわずにその時どきの自分をむしろきっちり表現してみたのが過去一年間。今もネット上の特定の場では「俺」ってなる。状況に合わせてるのねそれ。一人称を変えてなくてもやたらぶっきらぼうな言葉遣いに勝手に変わる事も多いので、交代してるんだと思います。

……何の話してたんだっけ。

あ、生活がメチャクチャだっていうんだった。
過剰同調の説明がうまくできてない(苦笑)

最近、「自分と他者の間の境界」がハッキリして来たり。まだ慣れないからいつもいつもちゃんとできる区別とは行かないのですが、これは子どもの頃に母親と自分がハッキリ別の存在だとか「お母さんも人間なんだ」とか、そういうのがわかる発達段階なのだそうで。おおーですよ。この歳にしてそれをやってのけたとは自分すげー!! 主治医が目ェひん剥いてた。

だけどそう、相手に影響を受けない練習をしてたのと同時に自分を丸ごとぐらい受け入れてくれる友人が現れた、その両方の結果だと思うんですが、まだ全然慣れてない。過剰同調せねばならない意識が解除できればいいのかと思います。つまり簡単に言えば好きにしても怒られないとかそういうの。

それは人への依存状態から抜け出ることでもある訳です。こうしてみると、正常な発達じゃー(笑) だから8か月間の振り回され状態から「自分が主体で生きて良い」に差し掛かったところかと。

まあ、そんなスムーズには行かないですが。でもなんか書いてたら元気になって来たよ!! (笑)

毒親状態の周囲になんか負けない(っていうか戦うとかしないのだけど)んだもん。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?