今日、声が出なくなりました。
学内を雨衣を着て走っていた。
急ぎで届けなくてはならないものがあった。
私は走っていた。
ふと後ろを振り返った。
ー 追いかけてくる義父が見えた。
私は動揺した。
必死で逃げて逃げて逃げた。
雨でなのか、涙でなのか、視界がぼやけた。
人とぶつかった。
転んだ。
動けなくなって、呼吸が荒くなって、体が震え出して…
ぶつかったその人に抱えられながら、意識を失った。
ーーーーーーーーーー
そういえばあの日も雨だった。
義父から逃げ出した13歳の誕生日。
あの日の私も雨の中を走っていた。
追ってくる義父から逃げていた。
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今日は状況が似すぎていた。
雨の強さ、日が沈んだ後の暗さ、ずぶ濡れになりながら走るという行為。
それらが私を昔に連れていった。
気がつくと、私は会議室で泣いていた。
どうやってここまで来たのかは分からないが、部屋の隅でしゃがみ込んで泣いていた。
手のひらには大きめの絆創膏が貼られていて、着ていたはずの雨衣は綺麗に畳まれている。
私とぶつかった人は、少し離れたところで本を読んでいた。
見覚えのある顔。
私の入試の時の面接官だった。ここからは教授と呼ぶことにする。
この教授は、学内で私の過去を知っている数少ない人の中の1人だ。(他の教職員も面接官の話を通じて聞いてはいるかもしれないが。)
泣き止んだのを見かねてか、教授は声をかけてきた。
「落ち着いたか?」という優しい声に、「はい」と答えようとしたとき、喉に違和感を覚えた。
まるでコルクで栓をしたかのように物が詰まっている感覚。
声が出ない。
私はそれが機能的なものでなく、精神的なものが原因であることを悟った。
6年前と同じ感覚。
「届け物は済ませておいたから、安心しな。」
そんな言葉に対して、感謝を伝える術は無かった。
あー、本当に出ない。
伝えたいことは沢山あるのに、音にならない、伝えられない。
「ありがとうございます」も「すみません」も「助けてください」も言えない。
教授は何も聞いてこなかった。
ただ黙って、側にいてくださった。
どのくらい時間がたったのだろう。
教授は手帳のメモをちぎると、何かを書いて渡してきた。
そして、「帰るときは電気を消しておいて。」そう言って教授は去っていった。
教授が去った後メモを開いた。
「大丈夫。君は十分、よくやっているよ。」
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私はよく、”過去を消してしまいたい“と思う。
これから先、
自殺をしたご遺体を見れば、母が自殺したあの日を思い出し、
雨に打たれれば、義父から逃げた日のことを思い出し、
体を強く掴まれれば、精神科で拘束されていたことを思い出すかもしれない。
そんなリスクを抱えた人が本当に医師になれるのだろうか。
私はどうやって生きていけばいい?
過去がなければ今の私はいないのかもしれないが、それでもやっぱり過去に振り回される人生は嫌だ。
十分、よくやっているというのなら、何故報われないのだろう。
私は、何を恐れているのだろう。
いつまで逃げ続けなくてはならないのだろう。
一枚のメモに八つ当たりをしたってなにも変わらないのはよく分かっている。
でも、何をもって大丈夫なのか分からない。
大丈夫と言われても、不安なのである。
別に教授に八つ当たりしたいわけでもなければ、むしろ感謝している。
きっと察して、何も聞かないでいてくれたのだろう。
あの状態で質問攻めにあえば、余計パニックになってしまう。
でも、本当は助けを求めたかった部分もある。
ひとりでいいから、ネットの中ではなく現実世界で、自分を取り繕うことなく何でも話せる人をつくりたい。
一体、声はいつ戻ってきてくれるのだろうか。
とりあえず、風邪をひいた、ということにでもしておこう。
(ここ1週間くらいの間に、話したい人と話しておいて良かった。)
“大学で見せているキラキラした姿は壊したくない”
いったい、いつまで私はそんなことをいっていられるのだろうか。
「本当のことを明かしちゃえば楽になるんじゃない?」と言ってる自分と、「いやいや、そんなん言ったら引かれるぞ?可哀想って同情されるだけだぞ?」と言ってる自分がいる。
まぁ、今すぐ誰かにカミングアウトできる気力もないが。
それと、今日、改めて気づいてしまったことがある。
今、義父はどうしているのだろうか。
薬物所持の場合だと、たいてい懲役刑が課されるが、6年経った今、世に放たれている可能性もなくはない。
そう思うと、怖くなった。
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