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【本質】ファンダメンタルズ分析に意味なんてない理由


1.なぜ、ファンダメンタルズ分析に意味があると思われるのか?


ファンダメンタルズといえば、"経済の基礎的条件"と言われているように、マクロ経済の動きに合わせて投資手法・投資先を柔軟に変化させていくやり方ですね。

投資家間で“意味がある“と解釈されているのは『経済』に、つまり金融市場を動かす"原因"に重点を当てているからですね。原因が掴めるから安心できるんです。

ファンダメンタルズ分析は『存在論』という系譜に属した分析手法であって、『合理論』とか『認識論』とか抽象的思考を全て排した考え方になるわけです。(この存在論・合理論・認識論の3つの区分は"考え方"を考える上でものすごく重要です。一応、気に留めておいてください。)

逆に、ファンダメンタルズ分析とは違った投資手法としてテクニカル分析、つまり合理論に基づいた手法があるわけです。というか、トレード手法はこの2つでしか語られない。

だから、ファンダメンタルズ分析にもっとも根拠があると解釈されているんです。経済を分析して"答え"がわかるなら気持ちいいですもんね。

しかし、"答え"なんてない。

"答え"があるのであれば、世界中の人々はみんなお金持ちで、自分に自信を持ち、その人生を謳歌するでしょうね。

だから、答えはない。

じゃあ、テクニカル分析のほうがいいのか、と言えばそれもどうかとなってくる。

というか、そもそも考えるべきは手法ではないんですね。

重要なのは、なぜ金融市場が成り立つのか。なぜチャートは動くのか。"原因"がわかれば"動き"がわかるのか。

やはり、本質的に考える必要があるし、テクニカルもファンダメンタルズも結局、どっちもどっちなんです。

2.たしかに日々経済は動いてる。でも、金融市場を動かすのは『人』ですよ?


原因がわかれば、動きを読めるのか?

この問題はまさしく『ファンダメンタルズ分析に意味があるのか?』という命題に証明・反証するためにあると言えるでしょう。人が原因をまともに認識できるのか、という問題とも取れます。

『モナドロジー』を著したゴットフリート・ライプニッツに聞いてみましょう。

彼はモナドロジーの第五十七項にこう記しています。

五十七『おなじ町でも異なった方角から眺めると、まったく別な町に見えるから、ちょうど見晴しの数だけ町があると言えるが、、、』
『モナドロジー』 中公クラシックス版より

要するに『見え方なんて人それぞれでしょ。真理(本記事で言う原因)みたいな確実な存在を認識できないし、なんだったらそれぞれの見方がその人たちの多種多様な立ち位置なんだよ。』と言っているわけです。

だから、真理はあるんです。あるんですけど、それは相場の神様しか把握することができない。

僕らはそれをフワッとしか認識できないわけです。なぜ、フワッとしか認識できないかと言われれば、それは人が“認識“するから。

ライプニッツが言うように、見方なんて人それぞれ。ようはどう見るかの違いだということです。

『じゃあ、どうやって相場で戦えばいいの?』となってくるわけですが、重要なのは"how to"で考えないこと。

何度も言いますが"答え"なんてない、手法なんてないんです。

やはりこう考える以上、確実に言えることは"手法で考えている間は勝てない"という事実でしょう。


3.相場に必要なのは『ひらめきと論理性をもった仮説検証型思考』


僕の好きな本である『行動ファイナンスとランダムウォーク理論のすべて 著:田渕直也』にこんな言葉があります。

相場で必要なのは、『ひらめきと論理性を持った仮説検証型思考』に他ならない。

そう、答えがないのであれば、我々がアプローチすべきは"手法"ではなく"直観"に基づいたひらめきなんです。

そして、ひらめきが生まれたなら、そこに論理的根拠を与えていけばいい。それを行動に移して、ミスしたならもう一度立て直せばいい。

『ひらめきとか、論理性もクソもねぇ。そんなんで数字の世界で戦えるわけないじゃん。』

たしかに言えてるわけですけど、数字の世界だからこそ、みんなが数字を見ているからこそ、その裏側であるひらめきに本質が存在する。

プラトンの洞窟の比喩でもありますよね。映像というのは映し出された必然。みんなはそっちを見てるけど、パッと後ろを見ると、その映像を映している人やものが確実にあるわけです。

つまり、本質はみんなが見ている映像の後ろにあると。

そして、金融市場というのはすべて連関している。

通貨が上がれば、株が下がり、債権が下がり、商品が下がり、金利スワップのコールオプションが上がる。

よって、金融市場で負けている人は勝っている人のまんま逆をやっている。裏返すと、勝っている人の思考回路は負けている人の全く逆になっている。

よくありますよね。『ああ、、これはマズい。ポジション決済しないと、、、』となって決済した後に『なんで決済した後戻るんだよ!!!』と。

これって全然不思議なことじゃないんですね。だって、勝ってる人は負けてる人の全く逆のポジションを取っているんですから。

ひらめいて、論理的根拠を与えつつ、行動。ミスったら、またひらめいて根拠を与え、行動する。

これによって理論は形成されていく。学問が生まれるわけですね。


4."意味がない"ことにも意味がある

テクニカル分析やファンダメンタルズ分析、もっというと手法で考えている内は勝てないことがこれでよくわかったと思います。

そして、この段階に至るとある事実に到達できる。

意味がないということが意味になる。

【意味なし=意味あり】というのは、一見すると論理学違反なんじゃないか、こう思われるでしょうが、我々の考え方である“大衆の逆を行く"という考え方から言うと、これが正しいとなってくるのです。

ファンダメンタルズに意味がない、テクニカルに意味がない。でも、意味のないことでみんな動いていることにこそ、意味があるのです。

ようは金融市場では裏をかきやすい、逆を行きやすいわけですね。


まとめ

◉金融市場に生きる4つのテーゼ
1.原因は安心になり得る。しかし、人間はそれ自体を認識し得ない。
2.手法とは映像である。本質を考える上で手法には意味がない。
3.大衆の逆を行くには直観が必要。それはひらめきとも言えるし、一種の不安を伴う。
4.金融市場は意味がないことで動いている。しかし、それにこそ意味がある。


書こうと思った時もわかってましたが、書いた後に見てもやっぱり抽象的すぎる気もします。

ただし、Googleに【FX 手法】とかで打ち込んでもわかる通り、やはりトレーダーが自分で考えることを失っている気がするんですね。

どちらかと言うと、本記事はあんまり論理性もない記事だし、見る人が見ると『くだらねぇ。』となると思うんですけど、1度この記事をここまで読んでしまったわけですから、時間の無駄だったなどと思わずに1回考えてみてください。

考えて何かわかったなら幸いだし、わからなくても一応気に留めておいてください。


ということで今回はここまで。
ありがとうございました。

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