「正常化」「日常が戻る」は本当?

今回はコンサやサッカーの話題ではないので、興味ない人はスルー。

専門家ではない


 まず始めに、私は医療者や研究者ではありませんので。新型コロナウイルス感染症(以下、コロナ)に対しての世間の受け止め方と実際について思っていることをつらつらと書いてみたいと思います。

TVや新聞などで盛んに言っている


「5類になったことで、日常が戻ってきました」「日常が正常化したことで…」「日常を取り戻しつつあります」
これらは本当なのかな?と感じています。

 だってコロナはまだそこにあって、感染は拡大しつつあります。全数報告から定点報告になり、正確な感染状況が把握しづらくなり、報道も一気に減りました。
 2類相当から5類への変更は人間の(というか日本の)分類の変更であり、ウイルスがいなくなったわけではありません。弱毒化した?という話も聞きますがウイルスの変化というよりもワクチンや感染対策のおかげで感染が抑え込まれたり重症化しにくくなっただけでしょう。

マスクは個人判断に


 5類になったことで感染対策は緩和されています。マスクの着用が「個人の判断」になったことはその緩和の一つです。
 で、問題なのがこの「個人の判断」だと思っています。「個人の判断」に委ねるのが悪いのではなく、その判断する条件がしっかりと理解されていないことがよくないと思います。

状況を判断する条件


 「3密」という言葉がありました。コロナの感染リスクが高い「密集・密閉・密接」を避けようということで生まれた言葉です。この「3密」はマスクの着脱における判断の条件になってもよいと思います。「3密」に当てはまらない状況(屋外とか)や感染が落ち着ている時期はマスクを外してもよいのではと。
 また、1日の中でマスクを着ける場面と外す場面があっていいはずですし、そうするべきだと思っています。
 ですがそうはなっていません。「着ける」「外す」の2択でどちらかを選ばなければならないような雰囲気も一部にあります。
 なぜそうなってしまうのでしょうか。一つは、少数の反コロナ派の声がでかい人たちがいること。もう一つは、政府やメディアが盛んに外すことを勧めていることなどがあります。特にメディアは、観光地などでマスクを外している人が映っている映像を流しながら「日常が戻ってきました」と話しています。
 そういう流れの中、今度はマスクを着けていることがまるで悪いかのような報道もなされています。さらには、保育・教育の現場でも「外すことを推奨する」働きかけが行われています。
 マスクは「個人の判断」ではなかったのかな?
 
 個人がマスクの着脱に関して判断する条件を政府が与えられなかった(十分じゃなかった)ことや、日本の文化的に個人の判断を苦手としていることがこの問題を難しくしているような気がします。

元に戻す必要があるのか


 コロナ前には戻らないと思っています。というか、コロナが現実として存在しているのに、その前と同じように生活をしようというのは無理な話では?
 以前のように経済活動に制限を加えるべきだとは思いません。しかし、感染を広げないように工夫しながら活動していくべきだと考えます。マスクをしてたらできないことって少ないよね。
 目指すべきは、治療薬の開発を待ちつつ、ワクチンによる予防やマスクなどの感染対策をしつつ、コロナ前に行っていた様々な活動を工夫して行っていく社会ではないでしょうか。
 コロナ禍の中で行っていた感染対策は止めていいものもあれば継続していっていいものもあって、全てを「元に戻す」必要はありません。その判断を個人個人や企業ができるようにならないと、また感染が拡大し経済活動を縮小させなければならない状況になりかねません。
 そのためには、政府が必要な情報をしっかりと把握・発信し、個人個人や企業が判断できるようにし、状況をコントロールしていく必要があると思います。

今は子どもたちが心配


 正直、大人は頑張れとしか言いようがない笑
 今は子どもたちが心配です。
 マスクを外して生活する時間が増えたことで、コロナだけでなくインフルやRSウイルスなどの感染症が広がっているそうです。
 これは完全に判断ミスでしょう。「マスクを外すように」勧めた文科省もそうですが、教育委員会や学校現場も盲目的に従った結果でしょう。
 そもそも学校は子どもたちが同じ空間に30人程度も集まるような場所であるのに、マスクを外すなんて無謀という話です。学校では、教室内や声を出す活動ではマスクをする・体育などの広い場所での活動はマスクを外すといった、「マスクの着脱の判断」について継続して教える場とするべきでした。
 「顔が見えないのはかわいそう」とか「同じクラスにいるのに顔も見たことないのは」とかいう感情論に流されて判断を誤った結果、一番大事な「安全」を疎かにするという…

 状況に応じて行動を考えるというのは簡単なようで難しいことだと思います。しかし子どもの時からしっかりと教えていくことで身に付けられるものでもあるはずです。
 コロナ禍でのマスクの「着用」から「着脱の判断」に教えるものは変わりますが、健康を守るためには必要なことでしょう。
 「マスクの着脱」から学んだことを他のことへ生かして、個人個人が状況を判断し行動していく。そんな社会になればいいなと思っています。 

 まあ予想通り全然まとまらなかった笑

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