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来たときよりも美しく(期間限定公開)

以下の小説はノージャンル文芸アンソロジー『BRuTiFuL』に収録されているものです。
期間限定で公開中。


来たときよりも美しく


 僕たちの遊びは誰にも知られてはいけない。それが、僕たちの遊びの唯一のルールだった。例外はない。クラスメイトはもちろん、家族にも、友達と呼ばれる存在にだって、その遊びのことを教えたり自慢したりすることはなかった。

 それをする日は、僕たちのうちの誰かが決めるわけじゃない。誰かが決めるといつかこの遊びはその誰かのものになってしまう。学校で教えてもらったわけじゃないのに、僕たちはそれを理解していた。

 それをする日はいつも突然決まる。僕たちのうちの誰かが
1、救急車が通ったというのに親指を隠し忘れて
2、目の前を黒猫が横切り
3、音楽室に飾られた偉大な音楽家の肖像と目が合った
 そんな日に僕たちの遊びは行われた。

 時間は決まって夜で、場所はいつも同じだった。というよりも、僕たちの遊びは、太陽がかくれたあとに、その誰にも気付かれない場所でのみ行われなくてはいけなかった。その場所。僕たちはそこを「あんちじょ」と呼んでいたけれど、「あんちじょ」という語が、誰が言い出した言葉なのかはやっぱり誰にも分からなかった。

 町には大きな病院があった。この町で病院と言ったとき、そのすべては山の上にある大きな病院のことだった。山の上にある大きな病院は、毎日たくさんの怪我人や病人が訪れては健康な状態に近づいて病院を出ていった。だから山の上にある大きな病院は町の人々に感謝されていた。

 問題は死人だった。

 山の上にある大きな病院では毎日のように新しい生命が生まれたが、それ以上の数の死人も生まれた。もちろん、病院が死人を生み出しているわけではない。死人が病院を多く訪れるというだけだ。そして死人を生み出しているのはもちろん殺人鬼。

 殺人鬼の話は置いておこう。僕たちの遊びは殺人鬼となんら関係のないところで行われている。仮に、殺人鬼に僕たちの遊びのことを尋ねられても僕たちはこう答えるだろう。「いえ、僕たちはこうして仲の良いお友達と楽しく遊んでいるだけなんです」と。

 生み出された死人たちは大量で、そのひとつひとつが口に出すのもはばかられるくらいひどく痛めつけられており、ちょっとやそっとじゃそれが誰だったか分からないほど損傷している。

 だから大量の死人たちは、
   ↓
 病院の裏口から運び出され、
   ↓
 ドブ川沿いにしばらく進み、
   ↓
 ゆるやかにカーブし、
   ↓
 ゆっくりと下り、
   ↓
 誰かが丸太を縛って作った、名前すらないボロの橋を渡り、
   ↓
 鍵のかかった金網の内側、誰も立ち寄らない隔離された空き地のような場所へと運ばれる。誰も立ち寄らない隔離された空き地のような場所には、ひっそりと木造の建築物が建っている。

 通常、大量の死人はその小屋で一週間ほど保管される。身元が分かった死人は死人が元いたおうちに帰ることができるし、そうでない死人は小屋に併設されている焼却炉で焼かれる。そう噂されている。実際、僕たちは小屋から伸びる煙突の先から灰色の細い筋がのぼるのを何度も見たことがある。

 そして今日、僕たちのうちのひとりが
1、救急車が通ったときに親指を隠し忘れて
2、目の前を黒猫が横切り
3、音楽室に飾られた偉大な音楽家の肖像と目が合った
 今日は、僕たちの遊びの日だ。

 日没に合わせて町内放送が流れる。それと共に夜が流れ込んでくる。この町に住む人間はみなこの曲に慣れ親しんでいるが、誰の作った曲なのかを知る人はいない。町長が作曲したという噂だけがある。町長が、小さい頃に死んだ妹のために作曲したという噂だけがある。もの悲しいオルゴールの音。曲が終わり夜でいっぱいになると、町は静かになる。静かになって、誰も出歩かなくなる。こうして町は夜になる。

 大人も子供も含むこの町の人間の大半が眠ってしまったあと、僕たちはゆっくりと身を起こす。どこかの犬の鳴き声が僕たちの耳に入る。わおーん、わん。わおーん、わん。僕たちは犬が嫌いだ。むかし、僕たちがまだ小さかった頃、近所の家の横を抜けて近道しようとしたら腕を噛まれことがある。僕たちは泣かず、ただ恐怖に体をこわばらせ、犬の気が済むのを待った。異常な吠え方に気が付いた飼い主が来て犬を引き離してくれたが、僕たちの左腕にはいまも犬の噛み跡がしっかりと残っている。犬の鳴き声を聞いた僕たちはいまでも、反射的に左腕の噛み跡を押さえる。

 僕たちの集合場所は僕たちの学校からほど近くにある歩道橋の上だ。僕たちはそこに着くと落書きを始める。学校や家への不満、気に食わない誰かへの悪口、なんかではなく、僕たちはこれまで僕たちの身に起こった様々なことを、歩道橋の、まだ誰も落書きをしていないスペースを見付けては書いていく。僕たちはどこまでも現実主義者だ。

 全員が揃うと僕たちは落書きをやめ移動を開始する。僕たちは歩道橋を下り、常に巡回中の交番を素通りし、開拓記念館の敷地を走る。敷地内には普通の一軒家程度の大きさしかないのに記念館を名乗るあのただ四角い建物以外にはなにもない。木の少ない整理された林、とでもいうようなこの土地が、僕たちはみな好きだ。なによりも、幽霊の類が一切出ないことが良かった。そんな噂すらないし、きっとこれからも出ないだろう。幽霊だってこんな場所には用がないのだ。秋には落ちた栗を町中の人間が勝手に取りに来るし、幽霊も出ないだなんて! ほんとうに、僕たちはこの土地が好きなのだ。

 僕たちはそのまま、二十四時間甘い匂いを排出し続けている工場の横を通る。暴力的なその匂いに僕たちは、鼻をつまむ/ハンカチで口元を覆う/息を止める/などの対処法でやり過ごそうとするが、たいていここを通りきるまでに僕たちはこらえきれず嘔吐してしまう。僕たちはしばらく甘いものを食べられなくなる。将来ここで白い作業着に身を包み働くことになるのなら、僕たちは間違いなく自死を選ぶと決めている。

 十字路にある潰れたスーパーの跡地にはいまだに誰も出店する気配はなく、だだっぴろい駐車場だけが妙な存在感を放っている。駐車場にはいつも警備員のおじさんがいて、もう誘導する車も来ないのに夜の間だけ赤く光る警棒を振っている。僕たちはショートカットと称してその駐車場を突っ切るのだけど、どれだけそのおじさんの近くを通ることができるかを度胸試しとていた。おじさんは水面に浮かぶ小石で僕たちは水だった。僕たちは流れるようにそのおじさんの近くを走り去る。おじさんはどれだけ近くを走られようともその警棒の動きを乱すことはない。赤い光の跡は同じ模様を刻む。僕たちの足音が移動していく。警備員のおじさんだけが取り残される。

 住宅地をじぐざぐに進む。あみだくじみたいに。進みながら、僕たちは旗がないかを探す。餅撒きの前日、新築の家の屋根の一番高いところにひっそりと旗がたてられる。旗がある家は新しい家だ。新築の家は、完成した暁に餅を撒く。屋根の上から、袋に入れた柔らかい餅をばらばらと投げ皆に振る舞う。餅はあんこが入っていたり、きなこがまぶしてあったりする。稀にだが餅に交じって袋に詰められた紙幣や硬貨が投げられることもある。当然、僕たちはそのイベントを心待ちにしていた。餅撒きの旗を見付けたものなら、翌日学校に行くのは僕たちのうちの半分くらいになってしまう。僕たちはこの遊びと同じくらい餅撒きを愛していた。

 危ない! 僕たちは音をたてないように歩みを止め、電信柱の影に隠れる。遠くからゆっくりとした足音。それがだんだんと大きくなっていく。僕たちはこの足音の主を知っている。この町の夜に、こんなにゆっくりと歩く人物は見回りの教師しかいない(殺人鬼の足音はカツンカツンと甲高いのだ)。きっと、教師は僕たちの遊びのことを知っている。僕たちのうちの誰かが漏らしたのか、それとも僕たちの不在に気が付いた僕たちの親のうちの誰かが学校に告げ口したのか、とにかくある日を境にこの町の夜に、教師が見回りをするようになった。幸い僕たちはまだ一度も見つかっていない。僕たちはあんな丸腰の教師に対し暴力を行使したくなかった。僕たちはこの遊びに暴力を持ち込みたくない。だからこそ、電柱の裏側で僕たちは息を殺して教師が立ち去るのを待つしかなかった。

 経営不振で店主が首つり自殺したというコンビニエンスストアの跡地が見えてくる。おなかをすかせた僕たちはついそこの横を通ってしまう。辛さを甘口から二〇倍まで選べるという、この町唯一のカレー専門店。開店当初、僕たちは狂喜しそのカレー屋になだれ込んだが、二〇倍の辛さは十八歳以上でないとお出しすることができないとの張り紙があった。僕たちは大人たちを狡猾に利用し、首尾よく二〇倍のカレーを手に入れては公園で、砂浜で、あるいはカルチャーセンター敷地内の死角で、大人たちにばれないようにカレーを食べた。僕たちは辛いというより苦い、痛い、そんな具合のそのカレーを食べながら、首つり自殺した人間の、その場に残っているであろう粒子を隠し味として味わう。

 少し車通りの多い通りとぶつかる交差点の、ガードレールの下に花が置かれていた。花は生えているというわけでもなく、捨てられているというわけでもない。かならずここに置かれている。僕たちはその花を拾う。拾って、できるだけ茎が折れないようポケットにしまう。だけど帰るころにはいつもポケットから落ちてなくなっている。いつかポケットから落とさずそのまま帰宅することができたら、僕たちはその花を花瓶にいれて一輪挿しにしようか図鑑に挟んで押し花にしようか決めかねている。

 歩き疲れてきた僕たちは、風化し文字の読めなくなった看板の個人商店に立ち寄る。店の横には自販機が六台並んでいて、僕たちは端から順にお釣りが残っていないかチェックする。もちろん、自販機の下も忘れない。カチャカチャという音が店主に聞こえないよう、慎重にやる。タバコの自販機にお釣りが残っている確率は高い。しかも、運が良ければ五百円玉が入っていることさえある。小銭が見つかった夜、僕たちはその個人商店で駄菓子を買う。もちろん、この店の食料品の賞味期限は全て切れている。

 あっ、と僕たちが声をあげた。個人商店を出てすぐだ。僕たちはある一点を見ていた。カツンカツンと革靴の甲高い音を鳴らす人物がこちらに近付いてきていた。地面に踵がこすれる音ではなく、踵と踵がぶつかる音。殺人鬼は靴のサイズが合っていないうえに歩き方が悪いので、いつも靴のかかとの部分が斜めにすり減っている。だから遠くから見ると殺人鬼は左右に小さく揺れながら進んでいるのが分かる。僕たちは彼に靴を買ってあげたいという気持ちがある。なにかいい方法はないかと話し合ったこともある。いまのところ一番なのは殺人鬼の誕生日を訊くというもので、これなら正当な理由として殺人鬼に新しい革靴をプレゼントできるのだ。今日こそは、と思った僕たちは殺人鬼に近付こうとしてすぐにそれをやめた。目に入る殺人鬼は、先ほど僕たちがやり過ごした教師の首から下を肩に担いでいたからだ。首から上は重たそうに小脇に抱えている。一仕事終えてお疲れであろう殺人鬼に馴れ馴れしく誕生日を訊く図太さを僕たちは持ち合わせていない。殺人鬼は教師を重そうに抱えたまま、左右に揺れ僕たちの近くを通りすぎていく。

 僕たちはトラックに気を付けなくてはいけない。トラックに轢かれるかどうかの話ではない。トラックの荷台部分にふんどし姿の飛脚が描かれているかどうかの話だ。僕たちはそ飛脚の、隠すつもりを感じられない赤いふんどしを見たらタッチせざるを得ないし、タッチしたからにはこの遊びは終わりになってしまう。それがこの遊びが途中で終わる唯一の条件なのだ。だから僕たちは注意深くトラックが、特に荷台部分が視界に入らないよう気を付けながら移動していく。

 僕たちは公園を見掛けても我慢する。外灯は消えかけ不規則なリズムで点滅しており、数秒ごとに遊具が現れては消える。僕たちはいつだって公園を我慢する。だけど。僕たちはブランコに捕まった。僕たちはジャングルジムに捕まった。僕たちは砂場に捕まった。僕たちはパンダの形をしたバネの乗り物に捕まった。僕たちはシーソーに捕まった。僕たちはいくら締めてもちょろちょろと水が漏れる蛇口に捕まった。僕たちは象を模した滑り台に捕まった。僕たちはみっつ連なった鉄棒に捕まった。僕たちはそれら全てが見渡せる小さな山に捕まった。僕たちは数秒ごとに現れた。僕たちは数秒ごとに消えた。

 僕たちは、一度だけ振り返る。ここまでの道のりと、僕たちのおうちの方角を。僕たちは祈りの真似ごとをする。なんとなく両手を合わせたり、なんとなく十字を切ったり、なんとなく目を瞑る。実際に何かを祈るわけじゃない。無事に帰ってこれますようにだとか、明日学校が燃えてなくなっていますようにだとか、殺人鬼にむごたらしく殺されませんようにだとか、あるいは殺されますようにだとか、この町から犬がいなくなりますようにだとか、この遊びが終わりませんようにだとか。そんなことを僕たちは祈らない。とにかく、僕たち祈りの真似ごとをするのだ。

 池が見えてくると僕たちに緊張が走る。僕たちは池を恐れている。できれば池には近付きたくないと思っている。池の近くにはミナちゃんが住んでいる。ミナちゃんの家族もみんな住んでいる。ミナちゃんは僕たちの二つ上のお姉さんで、さらに二つ上にお兄さんがいた。お兄さんの名前は知らない。お兄さんについて僕たちが知っているのは、真冬、氷の張った池の上をひとりで歩いていたお兄さんが池の真ん中あたりで突然割れた氷の下に声をあげる間もなく落ちていったこと。そしてこの池の真ん中あたりには海に繋がっているという噂があるくらいすごい深さの大きな穴がふたつあいているということ。

 そうして僕たちの歩みはドブ川とぶつかる。ドブ川は浅い。欄干を越え、身長より少し高いところから飛び降りる。ばちゃん、と水が跳ねる。ばちゃん。ばちゃん。ばちゃん。ばちゃん。ばちゃん。ばちゃん。ばちゃん。ばちゃん。ばちゃん。ばちゃん。ばちゃん。ばちゃん。ばちゃん。ばちゃん。ばちゃん。ばちゃん。ばちゃん。ばちゃん。ばちゃん。ばちゃん。ばちゃん。ばちゃん。ばちゃん。ばちゃん。ばちゃん。ばちゃん。ばちゃん。ばちゃん。ばちゃん。ばちゃん。ばちゃん。ばちゃん。ばちゃん。ばちゃん。ばちゃん。ばちゃん。ばちゃん。ばちゃん。ばちゃん。ばちゃん。

 僕たちは持ってきた懐中電灯のスイッチを点ける。川に、いくつもの光の筋が生まれる。川を下るとやがて国道にぶつかり、そこから先は川というよりも下水道のようになる。僕たちの誰も、それの正しい名前を知らない。川だったそれは大きな筒となり、水は日の光のあたらないところを流れていく。知っているのはさらに進むといつか海に出るということだけ。だけど何年も前、海に行こうとした僕たちが帰ることはなかった。海に出ることもなく、戻ることもなく。僕たちでない僕たちはまだそこにいる。だから、僕たちは川を上る。

 ドブ川はせいぜい僕たちの足首くらいまでの深さしかない。この季節の水はぬるく、元々がドブ川であることから特に川の水が快適ということはない。僕たちは長靴を履かない。それはルールではなかったが、靴を濡らすことを遊びの前のちょっとした儀式のようにとらえていたのかもしれない。「あんちじょ」の周りを、円を描くようにして僕たちの濡れた靴が並ぶのはなんとも心地よいものなのだ。

 川にはときどき魚が流れてくる。小さい川魚がほとんどだけど、たまに鯉が流れてくることもある。ニジマスや鮭が流れてくるのを見た人もいる。そしてそれらの魚を大きなタモで掬っては揚々と持ち帰るおじいさんがいる(おじいさんはタモさんと呼ばれている)。タモさんはここよりもっと下流のポイントを捕獲場所にしている。タモさんは川に流れてくる生き物ならなんでも捕まえて持ち帰る習性があるから、僕たちは足が滑るなどして川に流されないよう注意して進む。大雨などで水深が深くなっている日は特に。

 川はやがてさらに浅くなり、歩道との高低差は減っていき、遊歩道と並ぶ。川に沿って伸びるそれは自然を活かした造りになっており、僕たちはここでつかの間の安息を得る。持ってきたお菓子を歩きながら食べる。水筒から麦茶を飲む。水車小屋の水車を手で止めてみる。脇に生えている白い花をおもむろに採る。落ちていた泥だらけのプラスチックのカードを手裏剣みたいに投げる。僕たちは喋らない。

 遊歩道が終わると徐々に川が深くなっていく。足首くらいまでだった水深は、いつの間にか脛あたりまでになっている。僕たちは流されないよう気を付けながらゆっくりと川上に向かう。川は、山の中に伸びていく。トンネルの入口はいつも大きな人間の口を連想させる。ここから先は人々が歩く道の下を進むことになる。懐中電灯の光が照らす場所以外は暗闇であり、例えばそこに死体やらゾンビやら人面魚やらキョンシーがいても僕たちは気が付かない。だけど僕たちの懐中電灯が照らす範囲にはそれらは見当たらない。僕たちはとても運が良いのだと思う。そうして幸運な僕たちはトンネルを抜ける。

 川は分からないくらいの勾配で上り坂になっており、トンネルを出て外の景色を見ることで、ようやく僕たちは山の上にいることを認識する。山とはいっても丘程度の標高しかないのだが、最初に僕たちがいた歩道橋はずいぶんと遠くに、そしてここから下の方に見えた。わずか振りの月明かりに僕たちは安堵する。少し先に大きな病院のシルエットと、そこだけ薄く赤に光る十字架がある。この町に吸血鬼がいないのはこの十字架のおかげだと、僕たちは祖母に教わっている。

 川底のぬかるみはひどくなり、水と、湿った土のにおいはどんどんと濃くなる。目的地まであと少しだという目印にしている白樺の木の皮をすれ違いざまに触り、剥がしながら、僕たちは更に川上へと進む。そうして徐々にすり減った木の幹は、やはり次回もこの遊びの際の目印になる。目的地はもうすぐだ。僕たちは疲れを振り切り、歩み続ける。

 高いフェンスに囲まれた「あんちじょ」を見上げる。背の高い木々に囲まれ月の光はほぼ届いていないそこは、今日も僕たちの遊び場だった。車で来たのであればここには辿り着けない。もっと手前に、見張りこそいないものの、錠付きのゲートがあるからだ。川からのルートだけがここに、鍵を必要とせず辿り着くことができる。僕たちは今日も「あんちじょ」に来ることができた。名前も知らない野鳥たちの話声と、木々の葉のこすれる音。僕たちは川からあがりその土地に足を踏み入れる。

 フェンス内の敷地はよくある公園程度の広さだ。草は誰かが管理しているのか伸び放題にはなっていない。かといってきれいに刈り揃えられているというわけでもなく、いつも僕たちの踝をくすぐる。僕たちはまず「あんちじょ」の裏側にまわる。地面から四角くでっぱったむき出しのコンクリ。その上には同じくコンクリでできた、取っ手の付いた蓋のようものが乗っている。蓋はとても重く、僕たちは数人がかりでそれをずらす。蓋の下には直径三〇センチくらいの穴が空いており、僕たちはそこに持参した小銭を落とす。額は自由だが大きければ良いというわけではない。僕たちはこの行為が未来の自分たちにとって有益だと考えている。

 もっとも、僕たちに未来なんてものがあればの話だけれど。

 建物裏側から壁に沿って左側に回り込む。煙突のあるのと反対側。一、二、三番目。そこにある窓は、鍵が壊れている。僕たちは、いつかその鍵が修理されてしまうことを恐れているが、いまのところ壊れていなかったことはないし今日だって僕たちを歓迎するかのように鍵は壊れていた。僕たちは先ほどの蓋を引きずって移動させ、窓の真下に置く(往復で通る地面にはすっかり道ができている)。蓋は、取っ手のでっぱりの上に乗ればそれなりの高さになる。窓を開け、僕たちは建物に侵入する。

 当然だけど、「あんちじょ」は真っ暗で、何も見えないなか僕たちは手探りで前へ進む。どこかに照明があるのかもしれないが、ここで遊んでいることが誰かにばれてしまうかもしれないので明かりも懐中電灯も点けない。木造の建物の壁が、床が、鈍い音で軋む。やがて僕たちの手に金属が触れる。昼でも日があたらない場所にあるからか、そこだけ温度が低い。なぞるようにして金属、その扉の前に立つ。いつも意外に思うのだけれど、金属の扉は決して重くなく、むしろ押すだけで簡単に開いてしまう。僕たちは何回やってもそれに慣れない。肩透かしを食らった気分で部屋に入る。仕切りのない大きな部屋。建物の面積のほとんどはこの部屋だ。床にはいくつものベッドが等間隔で並んでおり、それは学校の机を思い起こさせる。僕たちは歩きながらそれらを物色する。問題はベッドが埋まっていないかどうかだ。僕たちは不安なのだ。ここでうっかり知り合いに会うことを。そうして自分の場所が決まると僕たちはベッドに横たわる。横たわり、目を瞑る。僕たちの遊びが始まる。

 例えば。僕たちは考える。僕たちが朝までに家に戻らなかったとき、誰がここを見付けられるだろうか。僕たちは、暗闇の中の天井と瞼の裏とで間違い探しをしながら、誰からも忘れられているこの小屋の中でゆっくりと朽ちていく。いつか、やがてくる将来、この小屋が取り壊されたとき、ようやく僕たちは身元不明の死人として姿を現すだろう。

 例えば。僕たちは考える。僕たちがこのまま眠ってしまったら、やってきた係員は深く死んだように眠る僕たちを適切に処理してくれるだろうか。僕たちは誰にも知られることのないままモノ言えぬ死人として、灰色の細い筋となって煙突から空に上る。僕たちはその結果に満足し、この小屋の屋根を見渡せる場所から口角をあげるだろう。

 例えば。僕たちは考える。僕たちは知らなかった。大人たちが僕たちの行動を嗅ぎつけていることを。僕たちの行動は逐一監視され、報告され、すべて筒抜けであったことを。大人たちは病院の了解と協力を得て、鍵付きのゲートを越え、僕たちの横たわる小屋がある敷地の前の橋まで来ている。集まった大人たちはいまいちど全員が揃っているのを確認すると、教師を先頭として橋を渡り始める。大人たちは僕たちのおよそ倍の人数で、そんな人数が誰かが適当に作った丸太の橋を順番に渡るものだから全員が小屋を取り囲むのにはそれなりの時間を要する。目を瞑り、両手をお腹の上に乗せ、深い呼吸のなかで僕たちが遊びを楽しんでいるその建物の周りを、大人たちが取り囲んでいる。大人たちは小屋の周りに綺麗に並べられた僕たちの靴を見て、苦笑いをする。自分の子供たちがそこに含まれているのを忘れているかのような笑いだ。

 例えば。僕たちは考える。カツン、カツンという足音が「あんちじょ」の敷地に近付いてくる。それは殺人鬼の足音だ。足音の感覚はいつもよりゆっくりで、殺人鬼は慎重に丸太の橋を渡っている。僕たちはその足音から懸命に橋を渡る殺人鬼の姿を想像してしまう。大切な遊びの途中だというのに小さく吹き出してしまう。もちろん目は瞑ったままだ。ここに殺人鬼が来るのは初めてだった。僕たちはふたつ、殺人鬼との会話を用意していた。ひとつは殺人鬼の誕生日を訊くこと。もうひとつは殺人鬼にここで何をしているのか訊かれた際の答え。思いがけず殺人鬼との会話が弾み、みっつめの会話が必要になったらどうしようか。僕たちはそれを笑ったり恐怖しながら考える。カツン、カツン。殺人鬼の足音は橋を越え、「あんちじょ」の周りをぐるりと一周していく。

 例えば。僕たちは考える。大きな水しぶきの音! 丸太の橋は落ち、歓声のような悲鳴。それから。一定の間隔で小気味よく聞こえてくる大人たちの叫び声と、やまびこみたいに少し遅れて聞こえるドスンという重い音(殺人鬼の殺し方にはブームがあることを僕たちは知っている)。やがて悲鳴は聞こえなくなり、小屋の裏手あたり、地面よりも低い場所からまたも一定の間隔でドスンという重い音が聞こえる。僕たちはすぐにそこが例のコンクリに開いた穴だと気付く(殺人鬼は僕たちの儀式を真似しているのだろうか)。その音も止まると、殺人鬼は僕たちと同じようにコンクリの蓋を台にして窓から「あんちじょ」の中に入る。カツン、カツン。

 例えば。僕たちは考える。殺人鬼の足音はとうとう僕たちが横たわる大部屋までやってくる。僕たちは笑いを堪えるのに必死だ。なにせあの殺人鬼がすぐそばまで来ているのだから。例えば。誰かがついうっかりくしゃみをしてしまう。例えば。誰かが殺人鬼に首と胴体を切り離される。例えば。誰かが勢い余って殺人鬼の誕生日を尋ねる。例えば。誰かが殺人鬼に声を掛けられる。例えば。誰かが「いえ、僕たちはこうして仲の良いお友達と楽しく遊んでいるだけなんです」と答える。例えば。誰かが薄っすらと片目を開ける。例えば。気が付くと、殺人鬼はベッドに横たわっている。

 例えば。

 僕たちは川を下る。水面が朝日を映す前に。帰り道に殺人鬼はいない。帰り道に大人たちはいない。帰り道に死んだ教師はいない。帰り道に吸血鬼はいない。帰り道に死体やらゾンビやら人面魚やらキョンシーはいない。帰り道にタモを構えたおじいさんはいない。帰り道に泥だらけのプラスチックのカードはない。帰り道にミナちゃんのお兄さんは、ミナちゃんはいない。帰り道の自販機に小銭はない。帰り道に花はない。帰り道に首を吊ったコンビニ店長はいない。帰り道に旗はない。帰り道に警備員のおじさんはいない。帰り道だろうと工場から出る甘い匂いは吐き気を催す。帰り道にだって幽霊はいない。帰り道に歩道橋の落書きを消す。帰り道にいた犬に全員で石を投げる。帰り道にオルゴールの音は聞こえない。僕たちは一歩進むたびにこの遊びのことをひとつ忘れていく。僕たちは枝を見付けるたび折っていく。追った枝は川に流す。道端に捨てる。僕たちはポケットに花があるか確認する。今日も何もないことに安堵し、僕たちは帰宅する。僕たちは寝慣れた寝具に身を委ねる。僕たちの遊びは終わる。来たときよりも美しくある必要なんてない。

 例えば。僕たちは考える。明日の朝、僕たちは全員が教室に集まる。明日以降の朝もずっと、僕たちは全員が教室に集まる。今日の遊びのことなんて忘れ、あと何分で授業が終わるかだけを計算し、体育を嫌悪し、気になる異性の話題を避け、部活に精を出す奴らをあざ笑い、下駄箱の靴を隠し、隠され、そしてある日、
1、救急車が通ったというのに親指を隠し忘れて
2、目の前を黒猫が横切り
3、音楽室に飾られた偉大な音楽家の肖像と目が合った
 そんな日に、僕たちは遊びを行う。


BRuTiFuL収録作品

オカワダアキナ『百々と旅』
佐川恭一『小説覇王伝サガワ~創作イベント「ノベルGIG」に参加したら美しすぎる編集者とえっち三昧の挙げ句ノーベル文学賞を受賞した件~』
伊藤なむあひ『来たときよりも美しく』
芥生夢子『遁走道中、きつね王との謁見にのぞむ』
大滝瓶太『未来までまだ遠い』

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