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作品価値と、商品価値。

【心象】は【個人的な心象】のほかに、【時代や地域ごと、社会的に共有される心象】がある、と言うことを書いた。

その時代に人々の間で共有されている社会的心象をモチーフにして、それを適切に表現したアート作品は、広く他者に共感され理解されやすい。
それがその時代の、文化的様式や流行を生むことになる。

ところで、同時代に共有されている社会的心象をモチーフにして作品を制作するときは、共同作業や分業もやりやすいと言える。

つまりグループや企業によって、制作に時間と手間のかかるコンテンツ(商品)の制作が可能になる。(ゲーム、アニメ、映画など)

・新商品(コンテンツなど)のアイデアを考案する人物(個人)が、商品イメージや商品コンセプトを出す。(当然ながら、売れやすい商品を意識している)
→制作に関わる人すべてに、アイデアのイメージやコンセプトが伝わる。

コンセプトやイメージさえ明確に共有できれば、実際の制作に関しては単純にコストの問題と言える。
共有された心象をモチーフにした商品は、大資本と高度な設備・豊富な人材とノウハウにより、量産しやすいし売れやすい。

同時代に広く共有されている社会的心象をモチーフにして、複数の企業が似たような商品を量産するから、類似品が氾濫する。つまり、流行りやすく飽きられやすい。
その中で比較的に内容の優れたものが、その時代を代表するオーソドックスな定番として、作品価値が残る。


そのような商品よりは、より独特でユニークなものもある。
コンテンツを考案する人物の、極めて個人的な心象を重視して商品のモチーフにする場合。
(個性の非常に強い映画監督の映画など)

これはその人物を中心として、非常に意思統一のとれた職人的集団により、個人では制作できないようなコンテンツの制作が可能になる。
(これはアイデアも制作形態も非常にユニークである点で、大資本が簡単に模倣できない。一度人々に受け入れられさえすれば、末長く社会一般に共感されやすいコンテンツを制作しつづけることもできる)


では、これらの企業やグループによる商品制作とは別に、ごく個人的心象をモチーフにして、その人物個人が制作した作品の価値は、どうだろうか。

個人的な心象は、それが個性的であるほど、そのイメージを他者に伝達しにくい。
つまり、そもそも自分自身で上手く表現しない限り、作品として実現しないもの。
(一般的な絵画や、パソコンを使って制作する音楽や映像など)

しかも、個性的であるほどに、一般的に受け入れられにくく他者に共感されにくい。
あるいは共感されることはあっても、十分な商品価値がでない。

商品価値は、基本的に需要と供給のバランスで決まるから、かなりの作品的価値があるものでも、商品価値がうまく釣り合わないのである。

個人レベルで制作した作品に関しては、
【作品価値と商品価値は、必ずしもイコールではない】。

『よく売れているから価値がある』、と言う場合の『価値』とは、厳密には商品価値についてのことである。
ときには作品価値以上の商品的価値がつくこともあるが、一時的なものである。(これは、たまたま好条件が重なったのが原因だから、状況が変われば商品的価値も簡単に上下する)

作品価値があるかどうかは、作品価値を見極める能力と見識のある人間が決める。

作品価値それ自体は、人気投票で決まるものではない。非常に個人的な心象をモチーフにした個人的な作品の価値の判定については、多数決が馴染まないのは当然である。

見識ある人間が、その作品の作品価値について語り、語られた内容が妥当であれば、他の多くの人も作品価値に気づいてそれを認める、あるいは認めざるを得ない、そのような構造である。
そして、一定の客観的評価が定まれば、商品価値のように簡単に下落しない。

現在、特別な作品価値があると認められているような過去のアート作品は、ほとんどこのようなプロセスを経て、作品価値が定着したはずである。
作品価値が定着するにつれて商品価値が増して、最終的には非常に高額で売買されることが多い。

ただし、特別な個人的心象をモチーフにした作品は、的確な理解がされにくいのは確かである。

名画と言われる古典的・伝統的絵画は、具象絵画・抽象絵画・象徴絵画と言った、作品のモチーフ(題材)を軸にした類型で語られることが多い。
類別ができれば、評価評論の基準を設定しやすく、一般的な絵画史の流れの中での位置づけと、作品の意義を語りやすいからである。

モチーフ(題材)を軸に類別できないような独特な心象画は、絵画史の流れの中での的確な評価を加えにくく、作品の意義を語り難い。
結果として、公共的・公式的な場で、広く名画と認識されるような作品が少ないのかも知れない。

いずれにせよ、社会的に共有された心象をモチーフにする場合の作品の制作と販売は、資本力のある企業かユニークな職人集団が得意とする分野である。

個人が企業製品と同じ方向性で作品を制作しても、競争力があるはずもなく、ニッチなニーズも期待できないし、創作活動としても意義のあることにならない。

個人は個人なりの、突き抜けたユニークさを強みにして表現に活かすのが、最良である。

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