Composition 1

 電気を消した部屋はものの境目があいまいで落ち着くし、さみしい。ベッドの上を動けなくなって三日ほど経っただろうか。シーツがすこし脂をふくんでいるのがわかる。なにも食べる気がしないなか、同じことばかりもうろうと考えている。どうして二十年も生きてしまったのだろう。いったい、なんのために?

 テレビ白夜をむなしく流し泣きぼくろ

 五月。白山通りを水道橋へ歩くと、東京ドームを過ぎたあたりで店の並びが変わっている。風景として見ていたそれは、取り壊されれば何があったのかわからなくなる。思い出そうとしても、いまそこにある店のすがたが邪魔をする。それが人なら忘れないのに。

 電話をかけるとKは大学にいけなかったという時代のことを話した。
「うちは高井戸の駅のすぐそばでさ、下宿のそばの階段を降ると一分くらいで駅に着くんだよ。線路の向こうの丘には区営プールがあってさ、声が聞こえてくるんだ。子供の声とか、あと五分で終わりですとかさ。それを聞いてるしかできなくて、一日が終わってて」
言いながらもKはその生活に満足していたようにも聞こえた。それがKとの最後の電話だったのだけれど。

 しんじつ、部屋は繰り返す日々のちいさな独房かもしれなかった。

 揺れるあぱあと花野の夢を見せみやこ

 丸ノ内線が通る。揺れるアパート。テーマパークの悲鳴、こどもの嬌声。音がとつぜん渦になる。Kのその後は何も知らない。電話はつながらなかった。それから、まわりの音が渦のように聞こえることがときどきあった。Kが聞いていたという暮れていくプールの声が背後で響いているような気がするのだ。ここは本郷に違いないのに。

 水を飲む。小さい時分から落ち込みやすい子供であったから、落ち込んだときには水を飲みなさいよ、と繰り返し言い聞かせられてきた。水を飲むとごった返していた頭の中がすーっと落ち着く気がする。

 白山通りはむかし、川だったのだという。たぶんほんとうだと思う。交わる通りはどれも上り坂だから。神保町の方へ歩いていくと神田川につきあたる。今の川とむかしの川が交わるところに、水道橋の駅がある。

 土を遠くに通勤のひややかな頬

 積ん読が文字通り重なって、期待だった感情が裏返る。こころの底板がぬけてしまう。いつから本を読めなくなったのだろうか。趣味のところにぽっかりと空いた穴がある。

 東京に来たとき、ビルが光を奪い合っている、と思った。

 水道橋に着いた。ジャニーズのコンサートのために駅からわらわらと人が出てくる。ボードを掲げてチケットの譲渡を求める人たち。この人たちは四月の水道橋を知らない。桜の花びらの流れ着く水道橋を。夜の空洞のような東京ドームも、知らない。彼ら彼女らにとってこの街は長い祭りのようなもので、そこには季節も生活もない。でも、祭りも終わるのだ。朝顔が日々入れ替わるように新しい祭りが始まり続けているだけで、次の朝にはもう跡形もない。そうして忘れられていく。

 君晴れてをはりの春を藻が結ぶ

 勢いをつけて重い体を起こす。ベッドのふちにそのまま座り、立つ。パーカーをさっと羽織って外に出る。アパートの庭木がうっそうと茂って重い影を落としていた。夏だ。
八百屋で李を買って帰った。錆びた階段を軋ませながら、登る。
 李はまだ酸っぱかった。それでも汁をすすりながら、がつがつ食べた。獣めいている。

 虹立てり山手線の七曜に

 総武線からも人の群れが吐き出される。真昼の電車はさすがに空いている。疲れた顔の人、談笑する人、本を読む人。交わらない生活を乗せて、電車が走り出す。

 目のくぼむあなた泉と云ふいつか

 電話が鳴り始める。

 よく晴れた浜にわたしたちはいた
 脱ぎ捨てるべき生活はここにはない
 意味をはなれた汗をかき
 きっとよくねむるのだろう

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