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内的文化を理解し、どうしていくか

カンボジアが好きで、カンボジアに来た。
でも、正直、最近いろいろあった。

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何があったかというと…
1つ目
カンボジアに来て、1年以上経つのに、カンボジアでスリにあった。
これまでいろいろ旅してきたり、海外に行く機会があったりしたけど、スリにあったのは初めてだ。
とはいえ、気をつけてはいた。もっと気をつけるべきだったのかもしれないけど、悪いのはどう考えても私じゃない。と思う。スリをする人だ。
よく、「スリの被害者にならないように気をつけてください。」とあるが、どれだけ気をつけていても、スリをする人が減るわけでもなく、悪いのはする人だと思う。
実際にカンボジアに住んでいて、周囲にそのことを話すと、「もっと〜しなさいよ。」と言われることが多かった。慰めるわけでもなく。
慰めを期待しているわけじゃないけど、なんで?って思う。
だけど、どうこう言ってひきずってても仕方がないので、もっと節約しながら、生活していくしかない。と思って生活している。

2つ目
最近、カンボジア料理の教室に行った。異国の料理の作り方を理解するのはとても楽しかった。
教室を終了し、習ったことを活かそうと、職場の人にサプライズでカンボジアのマンゴーサラダを作っていった。いつもカンボジア人のスタッフと一緒に食べているので、今回も一緒に食べていた。私が作ったサラダを見て、驚いていた。みんな興味を持って食べてくれた。

でも、食べた瞬間、
先輩:「これ、いつ作った?」
私 :「昨日の晩です。早起きが苦手なので、昨晩作っときました。味も染みるかな〜と思って…。」
先輩:「染みすぎてて、酸っぱいね。こういうのは朝作った方が新鮮でいいんだよ。」
先輩:「っえ!こういうのは朝作らないと、昼に食べる頃には、腐っちゃうよ。食べたら体壊すよ。捨てた方がいいよ。」

ショックで、その場を立ち去りたかった。
少し我慢して、みんなが食べ終わった頃に、私はすかさず立ち去った。
自分の弁当箱を持って…。
その後、残ったサラダをゴミ箱に捨てた。

自分がこんなことすると思ってなかった。
食べ物を捨てるなんて、悔しかった。
自分1人で食べてたら…おいしいと思って、完食してたのに…。
もう、この人たちとは一緒に仕事をしても、自分の作ったご飯を出すのはやめようと思った。
元々料理は得意でもなく不得意でもなくと言った感じだったが、まさか、

「捨てた方がいよ」

なんて言われると思ってなかった。
ショックで、捨ててから、一人で泣いた。

せっかく作ったのに、なんでそんなふうに言われなきゃいけないの?
別に褒めて欲しくて作ったわけではないけど、そこまで貶す必要なくない?それを本人の前で言うなんて、おかしい。

ずっとそう思って、数日間を過ごした。
社内で少しぎこちなかったけど、教育には引きずらず、やっていた。

(私も変な人間で)
一緒に食べる空間は好きだったから、少し離れたところで食事をしていた。自分の作った料理は食べさせることなく、会話だけ聞いてる感じで。

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数日後の今日、先輩から、話しかけられた。
先輩:「なんか、最近ぎこちないけど…?」

そして、私は料理の時のことを正直に話した。

ああ言われて、嫌だと思ったこと。
「もう一生みなさんには私の料理を一生食べてもらわなくて結構です。」
「空間は好きだから、近くに入るけど、一緒には食べません。」
「食べたくないんですよね?」
そう伝えた。

子供っぽい。不貞腐れていってる。とも思えるけど、実際にこの状況になったらそうするしかないと思う。そう思うしかないと思う。

先輩は、「これはカンボジアの文化だから。」と言われた。
私は、意味がわからなかった。

先輩は、続けた。
「みんなは、〜さん(私)のことを家族とか、親しい仲だと思っているから、もっと良くなってもらいたくてアドバイスしていたんだよ。カンボジアでは時々親戚よりも、友達の方が親しくなる時があるぐらいだからね。」

それを聞いて、嬉しい反面、自分はどうしていくべきなのか、悩んだ。
郷に従うべきなのか、日本を貫き通すのか。

と言うのも、私は1年半ぐらい今の会社で働いているけど、日本では仮に海外から来た人であろうが、1年半一緒に働いたからって、その人を家族同然に扱う人なんて、なかなかいない。

確かに私は、積極的にカンボジア人のスタッフと関わってきた。
理解しようとしたかった。

でも、こうして、いざ異文化に直面してみると、どうなんだろう、と。

海外で旅行や生活をしたり、外国人と関わったりする中で思うことは、
「一つの事柄に関して、思ったり行動したりすることは、国によってさまざまでだ。でも、いろんなものに出会う中で、それがいいものだと思ったら、人間としてより良くなっていくために、自分のものにしていこう。」と言うことだ。
日本人として、私として育ってきて、そう思う。
だから、その国で生活しているからといって、全てをそれに変えていくべきだとは思わない。

「理解する」のと、それを踏まえて「自分のものにする」のは大きく異なると思っているから。

だから、今回のことも、文化として理解はできる。
ただ、自分がそれに合わせてしていくかと言うことは別問題だ。

新しく文化を知る機会にはなった。
よかった。

ただ、仕事には引きずらなくとも、一緒に食事することはないだろう。
先輩は、「傍から見ると、いじめみたいに思われるかもしれないよ。」とおっしゃっていた。自分ではその気がなくとも、傍で見ている人は確かにそう思うのかもしれない。
もしも、今のままの状態(そばで食べている状態)が中途半端だと言うのならば、明日から別の場所で食べよう。

今のところ、それがいいと思う。


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