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私が目指すもの...それは正しいのか

こんにちは。久しぶりにnoteを書きます。

わたしは、この1年間大きく変わりました。それは、社会人になったこと。

「大学生」から「社会人」になりました。大きな変化です。

正直、毎日が忙しいです。毎日心の余裕がない、効率の悪い自分にイライラしながら、仕事をする。そんな毎日です。

でも、どんなことでも自分が決めたこと。

そう思って、押しつぶされないように頑張っています。


忘れられないこと。ずっと心にある想い。自分の夢。

「カンボジアで、お金がなくて学校に行けない子供たちの人生を救いたい」


最近、カンボジアでおせわになっていた先輩や、カンボジアでインターンをしていた同世代の人たちとオンラインイベントをしました。

沢山の人にカンボジアの良さを知ってほしくて。その準備やイベントの時に、

「私はこの自分の夢を、もう一度見返さなきゃ」と思いました。

自分の夢を伝えた時に突っ込まれたからです...。

でも、私は、その質問に正直即答できなかった。悔しかったです。


あれだけ、ずっと行きたくてやっと手にした機会。

カンボジアから帰国して、もう1年が経ちます。


「カンボジアの人は困っているのか」

「カンボジアの人の人生は日本人の人生と比べて幸せじゃないのか」

聞かれました。


日本にいれば、そりゃ日本の生活が当たり前になります。

文化や習慣や宗教や生活のこと、色々です。

私は人生で色々な外国人と関わってきて、

「自分の当たり前は、他の国、他の人にとってはそうじゃない」

ということは理解してきました。

だけど、カンボジアの子供達を見た時、この夢を持ちました。

どうしてだろう。

考え直した時に、

でもカンボジアの人は笑顔だしな...。いつも幸せそうだしな...。

そんな印象を思い出しました。


私は、カンボジアでインターンをしたのに、

「彼らを助けたい」としか思っていませんでした。

自分だけの想い。


概念的な問題なのかもしれません。

「私は全然現地人にはなれていなかった。」

そう思いました。

どこかで「私は日本人」、「私はあの先進国、日本から来た人」

という概念を捨てきれなかったのかもしれません。

だから、現地の人から見れば、勝手なお世話。ただの上から目線。

そういう想いは、彼らを笑顔に出来るのでしょうか。

私の夢が、正しいものなのか、大切な想いだからこそ、いつも考えてしまいます。


「助けたい、救いたい」

という想いは、自分が住んでいる便利な日本と比べてしまっていたから出てくるもの。

でも、日本が正しいのかもまた疑問です。

日本人皆が幸せなのか、疑問です。


イベントの準備をしていた時に、聞かれた事...。

「日本人とカンボジア人、どちらの方が幸せだと思うか」

同世代で、同じカンボジアでインターンをしていた私たちなのに、

意見が真っ二つに分かれました。

私の答えは「カンボジア人」いつも笑顔だから。

なんて中身のない答え。私はきっとまだ、カンボジアの何も知らないのではないかという不安が襲ってきました。

そして、「じゃあ日本人は笑っていないのか」とも聞かれました。

色々な人の意見を聞いて考えました。本当はどっちが幸せなのか。

結果は出ないまま...。

カンボジアにも、日本にも、「笑顔」と「涙」がどちらもあるからです。


「人間は外の世界を知ることで、ないものねだりをする勝手な動物」だと思います。

私が田舎に生まれ、田舎で育って、故郷にいない今に至る。これと同じ。

この途中で、自分の知らない、いろんな物事、いろんな人に出会い、ないものを求める。

「もしかしたら、知らない方が幸せなのかも」と思うこともあります。

だけど、どうなんだろう。私は、自分の人生いろんな人に出会って、損はしていない。むしろ、刺激を受けて、より良い人間になりたいと思っている。

でも、もし、今の自分の夢が単なるないものねだりだとしたら。

日本人とは少し違った笑顔。忘れられない、笑顔。


どうすれば、今の概念・考えから抜け出せるのか。未だに迷走中。

でも、目標や夢は失いたくないから、もう一回考え直すしかない。

がんばります。






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