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UFOを呼ぶ男を見てふつふつと湧き上がるこの感情は喜びなのか

イトナミダイセン藝術祭で舞踏家の目黒大路さんのパフォーマンスを見ていたら、胸に何かが込み上げてきました。

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舞台は妻木晩田史跡公園の古墳。

芒の陰に誰か/何かがこちらを向いて立っているのが見えます。

顔は上半分が黄色で下半分が赤色。白塗りの素肌に銀色の輪っかの模様、銀色のマントを着けて、腕と膝に蓑のようなもの。植物で作った頭飾りに、杖を持って。

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その誰か/何かはゆっくりと舞台に近づいて、真剣な顔つきで舞台である古墳の四隅に沿って歩き、身につけていたものをひとつずつ脱いで丁寧に置いていきました。

そして神事を執り行うような面持ちで、UFOを呼びはじめました。

両手を空に伸ばして、こいこい、と。

神事は30分くらい続いたけれどもUFOは現れず、その誰か/何かは落胆して舞台を降りて行きました。

その奇妙な誰か/何かを見ている間、私はその奇妙さが可笑しくなって笑ったり、神妙な気持ちになって空を見上げてみたり、一体何をみているんだっけと我に返ったりしていました。その途中で、ふつふつと胸にこみ上げるものがあったのです。

嬉しいときに込み上げてくる、あれです。

喜び、ともいうのかもしれないと思います。

得体の知れない誰か/何かが真剣に奇妙な神事をしているのを見ていて、このわからなさとわからなくても良さと、わからないものがあっていいのだという安心感と、それなのに何か、理解されない方法で真剣に祈りを捧げたりしてわたしたちは長い間生きてきたのかもしれないという既知感とで、なぜか喜びを感じたのでしょうか。

それより、わたしたちは自由なんだと感じたのが大きかったのかもしれない。

わたしの中の恥ずかしさやタブーやプライドや普通を超えて、存在している誰か/何か。

異物感を演じるということ。

それを見ているわたし。

見ているようで、見られている。ありきたりだけど。


妻木晩田史跡公園の舞台からは弓ヶ浜半島が綺麗に見えました。

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