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箱を開くとき

新しく買ったものを開けるとき、
お米を出すとき、
大事に毎回しまうアクセサリーを身に着けるとき、
職場での開梱作業のとき、
お弁当を食べるとき。

箱を開く動作は生活のいろいろな場面で登場する。

わたしの最近一番わくわくした「箱を開く」は実家からの久々の仕送り。大学生の時は何もなくても、一カ月か二カ月に一度くらいは不定期でも何かしらが実家から届いていた気もしますが、娘は社会人になったから少しは心配が薄れたのでしょうか。そうだといいな。

父からの「栗を送ります。」というLINEと、そのあとの父との電話の向こうで母が「明日送る栗を剝いてるよ、今年の栗はちょっと固いね。」で今年のわたしの秋が始まった。彼岸花が咲いても、銀杏の緑が黄みを帯び始めても、コンビニのおでんを見てもまだ自分の中の夏に諦めがつかなかったのに「くり」と言われたら一瞬で秋。ほんとちょろいなわたし、と今更ながら。

二日後、冷凍便の小包を知らせるインターホンが嬉しくて飛び出て、急いで箱を開く。あら大分頑丈にテープ巻いたな父、と思いながら開くとあれもこれも。

くりくり、あ、これだ。栗ご飯1回分で小分けにしてくれてある。地元のロールケーキ屋さんのロールケーキ、これおいしいんだ~。カットゴーヤとカットカボチャ。これはきっとうちの家庭菜園出身の子たちだ。このだしパックはきっと前に送ってもらった時「おいしいね」と言ったから。開封して何個か食べた形跡のある冷凍ホットク…ホットク好きだけど好きって言ったことあったかな。また「これはちぃさん(わたし)が好きそうな味」ってなって入れてくれたのかしら。ひじきと揚げナスまで、これはさっそく今日のご飯でいただこうっと。

つぎつぎに出てくるいろんなものを、準備して小分けしたり、包んだり、綺麗に詰めてくれた母と父の姿が浮かんで少し泣いた。なんでか忙しない毎日に追われていたのか、風邪の治りがよくないことに参っていたのか、自分でも涙が出るこころの準備なんて出来ていなかったからびっくりだったけど涙がひっこんだらお腹がちゃんと減って、自分でご飯を用意する元気があって安心した。


父と母の「美味しいものを食べてほしい」「元気でいてほしい」がぎゅうぎゅう詰まった箱を開いて、しぼんだ気持ちがふくらんだ。
わたしもいつかこういうことができるだろうか。箱を開くときにだれかの気持ちをふっくらさせるようなおくりものができる人に、なれるだろうか。


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