隣の芝生は

爆発したのは、高校2年生の冬
始まりは、中学3年生くらい

私にはどうしても越えられない壁みたいな友だちがいた。

私には小さい頃からなんとなくこうでありたいみたいな理想の自分像があった。
元気で明るくて真っ直ぐで、誰にも優しくて気を使える子

そんな子が現れた

中学2年生から3年生はクラス替えがなく同じクラスメイト
なにがきっかけが忘れてしまったけれど、突然その子と仲良くなった。
というか、仲良くなるのに時間はかからなかった。
一緒にいるととっても楽しい。
誰にも言えなかった好きな人の話とか、母子家庭である家の話とか、色んなことをなんでも話せた。
その子の周りには男女問わず人が集まっていた。私も集まってる側だったからよくわかる。

それで、私はその子の1番理解者になろうと思った。
私のことを頼りにしていてくれたから、その子の側で助けたいと思った。

そうしているうちに、その子の眩しさに自分を見失った。その子になりたいと思っていた。
現に、友だちに「○○(その子)の真似してるでしょ」と言われ、図星だった。
それが悔しくて恥ずかしくて、理想の自分像に自分より近いその子のそばにいるのがだんだん苦しくなっていった。

高校受験、家庭の経済的に私立には通えない。一般試験で志望校を下げなければいけなかった。
そこで、担任の先生にその子が既に受かっている高校を進められた。
「部活をやりたいなら○○高校はいいと思うぞ、○○(その子)も行くしな!」って…

高校生になってまで、その子の眩しさに自分を溶かされるのが怖かった。
だからできるだけ違う高校に行きたかったのに…親の勧めもあってその高校を受験した。

高校1年生、クラスは別だった。
正直安心した。
できるだけ離れていたかった。
部活も別で、たまに廊下ですれ違ったら喋る程度だった。
当時、私は部活の先輩にいじめられていたけれど、その子には何も相談はしなかった。

高校2年生、クラス替え、同じクラスになってしまった…。
同じ部活の友だちがクラスに1人もいないのもあって、一緒に行動していた。
仲良し4人組が出来上がっていた。
女子は私含めた4人以外に運動部に所蔵している子がおらず、大人しめの文系のクラスだったから、しょうがないといえばそうだけれど…

また自分を見失い出した。
そしてだんだんその子に対する態度が露骨に不機嫌になっていった。
自分を見失い、価値を見いだせなくて、自分自身のことが大っ嫌いだった。
それをその子にぶつけていた。
それをただ心配そうに優しく見守っていてくれた。

そして、ある日どうしてもそばにいるのが辛くなって、保健室で泣いた。
泣いても泣いても心が雑巾絞りされるみたいに辛くて、頭がクラクラするまで泣いていた。

保健室の先生が仲良し4人組の3人を呼んできて話し合いが始まった。
そこで、中学生の頃からの劣等感が爆発した。

私は泣いて喋ってスッキリしていた。
次の日恐る恐るその子に「おはよう」と言ったらいつも通り返してくれて、元に戻れたのだと思う。

それからもう10年以上友だちだ。

高校3年生の時、その子の両親は離婚した。
そのストレスもあってか、その子は胃薬を飲んでいた。

私がずっと理想だと思っていたその子にも辛い現実はあって、いろんな問題と戦っていた。

そんなとき、誰かに言われたのか読んだのか忘れたけれど忘れられない言葉と出会った。

「誰かを羨ましく思ってもいいけど、その人の不幸までも羨ましいと思わなければいけない」

いい所だけではなく、その子の全てを受け入れないと羨ましいと思ってはいけないと…

それを聞いた時、私の家は母子家庭で母1人子1人の生活だったけれど、幸せな家庭だったことに感謝するとともに、その子に劣等感を抱きぶつけることは間違っていると思った。

そこから誰かを羨ましく思って心が病みそうになった時にこの言葉を思い出す。

私はその子の苦労や不幸まで羨ましいと思えるか?

きっといつまでも気を抜けば、隣の芝生は青く見える。
自分に自信満々になれる、自分が大好きなんて言えることもないだろうけど、少しでも自分の芝生を愛せるように生きていくのだ!

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