加害と不器用の境界を教えて

書き殴り

虐待じゃない
昭和の端から平成のこどもは大概こんなもんだったし、親世代はもっと厳しく荒く育てられたのだから、今時の子はなんて幸せね

毒親じゃない
子のためを思って、欲しがるもののうち真に与えるべきものを吟味して、必要なものは与えた 大学だって、根負けして行かせたよ

暴力なんてとんでもない
家族に手を出すことはしない分別ぐらいはありました、分別があったので物に当たったぐらいで済んだのです

暴言もほら、言いすぎよ
あれは、言い方が、攻撃的なヤンキーのお作法なだけで、中身は子供のためを思ってちゃんとしたものだった 理解していたでしょう

ああ、最近の親は甘いねえ
あんなに愚図るなら
しばいたればいいのに

ねえ、なにが気に入らないの
大人の労苦を費やして、責任を果たそうとする者が疲れ果ててようやく腰を下ろして休めた食卓で
子供の論理でめそめそ泣かれても、人の苦労も知らないで、腹立たしい

なんでこの子はこんなに神経質なの
神様にお祈りしておいたよ
あんたの神経質が治りますようにって

そうやって、大事に、大事に育てられた私は
存在を尊ばれず、暴力を受けた人の精神にほどこす治療を受けてるのは、なぜなのか

治療が進めば進むほど、まるで私が悪いことをしてるみたいだ

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