本屋のある街に住むこと

今住んでいる街が気に入っている。

東西に引かれた何本もの電車の線路と、縦横無尽に拓れた道路との間を忙しなく人が入り乱れる地域で、この街だけまるでぽっと現れた湖のように、静かで穏やかな空気が流れている。

静かで、しかし都会の利便性は失われておらず、会いたい人やもの、色とりどりに多様なひとびとに比較的すぐにアクセスできる。

東京には到底及ばないけれど、充分便利な都会。

何より最近気に入っているのは、この街のターミナル駅に、大きな書店があることだ。
大きいといっても、駅ビルのワンフロア。けれども、流石全国チェーンの総合書店、限られたワンフロアにちょっとした小難しい本から、気さくな本まで、まんべんなく揃っている。

ある日、帰り道に予期せぬ不安発作に襲われて、わたしが駆け込んだのはこの本屋だった。
わたしの恐怖を予告もなく喚起させる恐ろしい他人は、ここにはいない。
ただ、本がある。
本の中には、人がいる。人が書いた物である以上、人が宿っている。
けれども、本の中にいるのは、言葉の姿に整えられ、編集されて、人に冷静に向き合う支度を整えた人たちである。

1人で過ごしているときの突然の不安発作は、誰かに助けてを叫ぶこともできない。
せいぜい、仕事中の夫に今自分の身に起きていることのLINEを送り、自分で打ったLINEの文章でなんとか自分の気持ちや状況を確認することぐらい。
だからこそ、ものいえぬ助けてを抱えてたどり着く場所に本屋があるのは、わたしにとって幸いなのだ。
ものいわぬ本たちに囲まれて、言葉の集まりにただ囲まれて、冷静を浴びる。

そうしているうちに、わたしの心は、わたしの助けてを受け止めてくれるヒントがないかを、書棚のページの分だけ多弁ながら声において無言のひとびとに求めはじめる。
好奇心をそそる本、えもいえぬ美しさをかもしだす本、自分の心理的問題に対する解決策を提案する本、気晴らしになる本。

ものいわぬ、わたしの心に手を差し伸べてくれる可能性を持つ人が、本屋にはいる。
住んでいる街に、家からちょっと歩いたところに、仕事帰りに立ち寄る場所に、わたしの味方になってくれるように思える場所があるのは、とても心強いことなのである。

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