赤ちゃんが怖かった話

ここまでくると、本当に駄目だと思った。
まさか自分が、ここまでとは。

先日、友人の赤ちゃんと触れ合った。
そしてとんでもなく失望した。私自身に。
自分が子を持てないことではなく、赤ちゃんという無垢な存在を素直に慈しめない自分に、失望した。

先日、学生時代からの友人が、一歳に満たない彼女の息子を連れて我が家に遊びに。
私は大歓迎した。
この令和の世、円安やら少子化やらなんやらかんやら、とにもかくにも世知辛いく厳しいとしか評するしかない今世に生まれてきた、無力く小さきものに、私はなるべくの慈愛をもっていたいと常常思っていた。
世に傷つけられ歪んだ結果の酷い大人がたくさんいるからこそ、世というモブの一部たる者として、せめてやさしい大人のひとりでありたい。
それが私の理想だった。
しかし、理想は理想であり、現実に叶わなかった。
眼前で、ころころと無邪気に我が家の畳の上を転がる小さな赤子の姿の前に、私の優しい大人でありたいという理想は、私の精神の内側で震えながら形を失っていった。

その日、我が家で赤ちゃんを囲んでいたのは、私と、赤ちゃんの母である私の学生時代からの友人、別の同じく学生次代からの共通の友人、そして私の夫だった。
赤ちゃんを連れた友人が到着するなり、先に着いていた別の友人をはじめ、その場にいる全員が、彼女たちをよろこびもてなした。
あなたたち母子を、私たちの友人は母だけれども、その母から生まれ愛されている真っ盛りのお子も一緒に、どうぞようこそ。
そんな気持ちで満ちていた。

赤ちゃんの母ではない方の友人は、親戚の子守で赤ちゃんの扱いに慣れており、慣れた手つきで赤子をあやす。
抱いてみますか?と赤ちゃんを差し出された夫も、「うわぁ、小さいねぇ、赤ちゃんだねえ」と笑いながら、彼なりに赤ちゃんを上手に膝に乗せ、うまくやっている。
私の方へも、「さあ、抱いてあげて、この子首も座っているし、しっかりしているから」と、隣の大人から赤子の身ひとつが、さあどうぞ、と移されてくる。
そして、その重みと体温が、いざ我が身へ委ねられる。

私の身体は、託された初々しい温もりと重みを、まったくの他人の、生ぬるく、処理のしきれない何かだと捉えた。
「あったかいねぇ」「きもちいいねぇ」なんてやわらかで好意的な感想は、全く出てこない。
赤子の存在を褒め称えたい気持ちはあったので、「立派だね!しっかりしてるね!」とできる限りの言葉を尽くす。
しかし、言葉と理性は赤子を尊んでも、身体がどうもしっくりきていない。
どういうことなんだと、心の中で自分を問い詰めてみても、身体はただただ、手に負えない違和感に凍りつくだけ。

赤子は部屋にいる大人たちに代わるがわる抱かれ、その度に笑う。
リビングに続く和室の畳に転がされると、自分の家でもないのに心地良さそうにころころ転がり、覚えたてのハイハイで、世界を把握しようと身を乗り出す。
時折、赤子は唐突にぐずる。
母親は、ぐずりがミルクやおむつの生理的欲求によるものではないと判断すると、はーいと赤子を抱き上げ、あやす。
すると赤子は泣き止み笑う。
機嫌良く転がっていた赤子が突然愚図り、その度に大人があやして、赤子が機嫌を取り戻す、そんなシーンが何度か繰り返される。

赤子が、愚図りから、あやされてご機嫌になる繰り返しを何度か見ているうち、私は「泣かせておいていいんじゃない」と思わず言った。
泣くことをうるさくて迷惑なことだと思っているから、泣き止ませているけれど、泣く度にいちいち相手をするのは大変だろうし、私は泣かれていても迷惑ではないよ、という配慮のつもりだった。
けれども、私の気遣いは誰にも聞こえていなかった。
皆、赤子がふぇぇ、と顔をしかめるたびに、あの手この手で機嫌を取る。
ここにいる大人はみんな、大人のペースではなく子供のペースを中心に動いている。
泣かれると、大人が迷惑だから対応しているのではない。
子の泣き声に、純粋に慈しみが溢れる者の自然の反応が、泣く度にあやすという行為なのだ、おそらく。

また、「泣かせておいていい」と言った私に理解できなかったのは、食事や排泄といった生理的欲求以外の、感情的、情緒的欲求のケアが、赤子にも必要だということだった。
なぜ、お腹もいっぱいで、おむつも綺麗なのに、泣く必要があるのだ?生理的欲求を満たしてあるのに、これ以上何を?ということも、私は赤子を囲む大人たちを前にずっと感じていた。
帰宅後、夫にその疑問をぶつけると、夫は驚く。
「ええっ!?なんでもなくたって、泣くでしょ。赤ちゃんなんだから」

「なんでもなくたって、泣く?そうやって、泣けば、望みが叶う、全てが与えられるなんて、思わせてしまっていいの?」
「何を言っているの!?だって、赤ちゃんだよ?」

だって赤ちゃんだから。
ただそれだけで、無遠慮に理由もなく泣くことを受け入れられる、この感覚が私にないのはなぜなのか。

というわけで、定期的に受けている心理カウンセリングで、この話をしてみた。
このカウンセリングのテーマは、私が生まれ育った環境で身につけた、誤った観念の軌道修正だ。

若くて精神的に未熟で頼りない母と、感情コントロールに病的に難を抱えた父は、家庭をしょっちゅう怒りの焼け野原にした。

悪いことをするなど、大人の理想どおりではなく、親としてしっかり躾をしなければならない状況になると、「なんしとんぞワレ、ぶち殺すぞ」と、怒りを暴発させる。
この怒りの暴発が、悪さの規模に関わらず、常にフルパワーで起こる。そもそも叱る必要のない瑣末なことでも、きちんと叱るべきことでも、等しくパワーマックスの怒りが降ってくる。

困難に対して弱音を吐くような事態には、とりわけ厳しかった。
「ワシら大人がこんなに苦労しているのに、子供がふざけるな」と、燃料をすべて燃やし尽くすまで止まることのない怒りが、こちらへ暴走してくる。

そうなると、生活は常に親の顔色を窺いながらだ。
ちょっと気を抜けば、親の怒りの地雷を気付かず踏んでしまうかもしれない。
自分の不注意が、自分の弱さが、自分の何が、大人の怒りに火をつけてしまうか分からない。
私自身も成長し、大人になった今となっては「あそこまで怒られる必要は、なかった」と思うエピソードは多々あるが、当の子供にはわからない。やらかしてしまった瞬間、手加減なくマックスで降り注ぐ親の怒りは、全部自分の罪だ。

たとえそこに、子供なりの事情や感情があろうとも。
大人にとってはささいなことでも、子供にとっては重大な困りごとであっただとか。
大人は耐えられるけれど、子供だから耐えられないだとか。
大人の視点から気づくことができるけれど、未成熟な子供だから気がつけなかっただとか。

目の前の子供の気持ちには、一切目もくれず。
大人の都合、大人の基準だけが、あの親の怒りに燃え盛る場所でのすべてだ。

そした私は、自分は家をしょっちゅう焼け野原にしてしまう、劣った価値のない人間だという観念に囚われるようになった。
この観念が、日常生活に支障をきたすレベルで私を困らせてくるので、薬や心理療法の力を借りながら、なんとか生活している。

ようやく赤ちゃんの話に戻る。
だから、怖かったのだ。
「赤ちゃんだから」という理由で、親の顔色を窺う必要もなく、親を怒らせないよう、迷惑をかけないよう努力することもなく、無条件に愛され慈しまれる存在が。
私が生きてきた世界においては、そんなことイレギュラーなのだ。

さらにいえば、この無条件の愛は、赤ちゃんの成長につれいつか失われる。赤ちゃんは、成長するにつれ、人間として真っ当に育つよう、努力を強いられるようになる。
大人こそ、その当然の事実をわかっているはずなのに、そんなことはきれいさっぱり忘れて、大人が赤ちゃんに微笑み続けていることも、また恐ろしかった。

という話に、赤ちゃんの話をした日のカウンセリングはまとまった。
私はさらにがっくりきた。

ここまでくると、本当に駄目だ。
まさか自分が、ここまでとは。
無垢な赤子にまで、自分の個人の人生のトラウマを投影して、恐れ慄いているなんて。
情けない。呆れてしまう。

「もう、疲れました」と、私はこぼした。

ここまで精神のつくりをこじらせるほどの人生に、疲れました。

「だから、許し、労わりたいです」
こじれて、苦悩して、七転八倒しボロボロになった自分の人生を。
自力で立って歩くことも、言葉を話すこともできない、小さく無力な赤ちゃんにこじらせるほどに、私はもう充分に苦しんできた。
だから、許したい。
もう楽になっていいのだと。

自分を労って、回復して、得たい。
赤ちゃんに向けられる優しさにも耐えられるような、平穏な心を。

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