2020年負けを泣きながら認めた日の

メモが、残っていた

2020年の冬だった。人事との交渉は決裂どころか、仕事に対する熱意はおろか組織人としての配慮にも欠けた人事課長側から対話すら放棄された。わたしはその足でチケットをあらかじめ手に入れていたCoccoのライブに行き、同行の友人とひとしきりライブの感想を明るく軽やかに語り合い、だって美しい歌姫に会った後の時間に、私個人の人生の出来事への悲嘆が挟まれる余地などなかった。そして、すべてが終わり、一日の終わりの刻も迫ろうとする帰りの電車で一人になって、ようやく私は人目も憚らずととめどなく泣き続けた。

人のこころに、きれいなものに泣ける魂、きれちなものを素直に愛せる魂があるとすれば
それは人の間で生きるたびに、仕事だとか生活だとかに緊張を強いられるたびに、汚れるのだろう

わたしはおそらく、その魂の部分を大人にできないまま、身体と立場だけ大人になってしまった

魂を汚すことを処世術にしてきたひとたちは
わたしのことを世間知らずだとか、甘いとか、潔癖だとかいう

でもわたしはその魂を殺せない

物理も思考も思想もなんもかも超えたなにかが見える瞬間が人にはあって
ただ、そのなにかを見るための視力が人によって違う
わたしは、なにかの方がいる世界が一種の神様のように思える
でもその神様を知らない人たちとは、生き方についての話が噛み合わない


30を少しすぎた頃、人と世の間に自分を放り込んだ時に衝突せざるを得ないあらゆるものに、丸腰で向かうことしか知らないわたしだった。
噛み合わないものから適度に距離を置き、自分の魂を守るという手段を知らなかった。
割り切る、ということができなかったのだ。

辞めることになった仕事をはじめとした、噛み合わずわたしを摩耗させるものすべてと対峙する方法は、割り切りも、防衛もないもない、素直な自分をそこで戦わせて、勝てるか負けてしまうかを判断するしかなくて。
そこで勝てた時だけ、わたしは自分のことを信じられて、でも大概はいつも負けスレスレで、だからいつだってわたしはわたしのことが不安で仕方がなかった。

その日私は、戦って勝てなかったものたちを「魂が汚れた世界」と呼んで敗走した。
あの12月から何年かかけて、敗走した先に新しい穏やかな生き方が待っている希望など、あの時のわたしには一切なかった。

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