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ボーダーブレイクというゲームについて

AC版ボーダーブレイクが2019年9月9日にサービス終了して最初の週末が来ましたがボーダーの皆様いかがお過ごしでしょうか?私は絶賛ボダロス中です。割とエグい症状がでているのでこの気持ちが薄れていく前に書き残そうと思います。ACEにも大会で結果を出したわけでもない最上位と一個したあたりでもがいていたそこいらの雑魚ですが、僕らが愛したゲームがひとりのおっさんにどんな爪痕を残していったのかを知っていただけたら幸いです


ボーダーブレイクとは?

簡単に説明するとセガより2009年アーケードゲームタイトルとして発売された10vs10のロボットTPSゲーム、まあそこから先のシステムやルール面はこの記事に辿り着いて読み進めようという方には説明不要だろうから割愛するが概念的なものをざっくりいうとお金払ってはい10人一チームになって敵チームと戦って下さいって感じで時に10分間を分かちあい次の10分間を奪い合うゲームと言ったところでしょうか?その10分に様々なドラマがあった。序盤に取られたリードをチームの奮起で逆転したり、その一方勝ったなガハハな展開を捲られたり、試験プレイでごめんよって思いながら芋重したり、10分間で同じような展開はあっても同じ展開はない、もっと言えば全国対戦において同じチームで戦うことはその一回しかありえない、オンライン対戦ゲームにおいてそれは普通なのだけれども10分単位でそんなドラマチックなことが起きて、そして埋もれていった。その玉石混交の10年間なのだ。


コミュニティとしてのボダとその魅力

私はいわゆる待機画面でNICE2回、開幕弾薬要請するとある掲示板のコミュニティに属していた、ボダを始めようとしたきっかけは当時やっていた三国志大戦(旧)の情報を仕入れるための雑誌の誌面、初めて見た時は「へー、セガからロボットゲー出るんだー」程度だったのを覚えている。そしてリリース直後なにかの拍子でボーダーブレイクの動画を見たら

ロボットがカタパルトから飛び出してそのまま空を飛んで敵コアを攻撃していた

所謂AC慣性と呼ばれた黎明期の頃である、三国志大戦でクレサをやっていた店が導入していたのでカードだけ作って軽くチュートリアルをこなしてその日はおしまい、色々立て込んでいたので本格デビューは年末になる。当時私は衝撃を受けたAC慣性凸をしている人の影響で凸麻を志していた、シュライクのパーツを買い進め、41型強化手榴弾の素材を集め、マーシャルソードに浮気した。そうして生まれたフルシュライクⅤⅤⅡⅤにマーシャルソードを添えた超過ブラストが完成した時にやにやと気持ち悪い笑顔で満足気に画面を眺めていた。しかして実際のプレイというのは非常に無残なものでブーストはしょっちゅう切らすし戦闘なんて真っ向勝負でほぼ勝てない、やりたかったコア凸も成功率は高くない、そんな時にコミュニティの存在は大きかった。その日の愚痴を言ったり上手く行ったところをほめてもらったり、そういう場があったことはこのゲームを長く遊ぶ一つの拠り所となった。ちなみにその掲示板のスレでは時に第三採掘島の給水塔に登り10分間フルタイム屈伸する、全員重火力で時報する、近接武器オンリーで時報する、ゲームの黎明期のまだおおらかな時代だったからこそそこまで問題にならなかったけれど勝敗査定が強くなったエアバースト以降でそんなことしようものならば即炎上である。実際エアバースト以降ではそういったお遊び的なことはクラン演習で行われるようになった。掲示板のスレで妙なコラを量産しつつ、時に熱く時にしょうもない脱線レスをしながらボーダーブレイクとの時間は積み重なっていった。

ボーダーブレイクのコミュニティとしてもう一つ大きな役割を担ったのがTwitterである。不特定の多人数がマッチし、プレイの情報共有やボーダー同士の交流の手段として広まり、ボーダーの輪はより大きくなり時にぶつかり、時に笑いながらゲームの盛り上げに大いに貢献してくれた。かくいう私もボーダーブレイクのためにTwitterのアカウントを取得したのだけれど中には全く違うクラスタにボーダー仲間がいたりと不思議な出会いもいくつかあったし仲のいい人達とは今でも交流が続いている。


アクティビティとしてのボーダーブレイク

AC版ボーダーブレイクはゲーセンで遊ぶものだった、それ故にPCやスマホや家庭用ゲームにはない魅力がある。

ボダるためには外出しなければならない

これである。ゲーセンにあるゲームだから当たり前といえば当たり前なのだがこれ実はとても大事なファクターであったりした。映画を見に行くついでにボダ、買い物ついでにボダ、ご飯食べに行くついでにボダ、旅行先で設置店舗を予め探しておいてボダ、ホテルにチェックインしてボダ、満席待ちありで仕方なくタクシー拾って競艇場の横のゲーセンでボダ、遠方のボーダー仲間をお饗ししつつボダ、オフ会に至ってはボダをして飲んで終わったら飲酒ボダ、無論朝から閉店までガッツリボダもあった。アクティビティの一環として完全に成立している。隙きあらばボダである。出不精の私にとってこの10年間一番のアクティビティと言っても過言ではなかった。朝の時報マッチに出るために早起きして身支度してと言う週末を繰り返すあたり規則正しい生活の基盤にも…なりませんでしたごめんなさい夜ふかしとかはしてました。とにかくその行動範囲にボダがあるとついチャリンチャリンデュイーンしてしまう、外出の主目的にも副目的にもなった。故に財布からボダのICが抜かれたことはなかった。


名も知らぬ戦友たちに捧ぐ

ボーダーブレイクは常に10人一チームでマッチを生成される、故に究極の一期一会のゲームである。エースボーダーや動画で有名になった人、ADVレベルの高いACEクラス、いい意味でも悪い意味でも有名人以外は大体がその他大勢にカテゴライズされる、私もその中のひとりであるそれでも戦況をなんとかしようと足りないスキルと知恵を総動員して戦ったし例えランカーが居るような部屋でも私のおかげでなんとかなったと言える試合は多少なれどある。それは誰にでも当然あるわけで例えば敵機の撃破が最優先な重火力乗りでも敵のキルデスを圧迫したり戦線の押し上げたり、敵の視線を誘導して凸が刺さって勝っているならばそのロールを十分果たしていると称賛に値する。チームワークではなくお互いの思惑をうまく利用した結果のチームプレーが生まれることが多々ある、それが常に即席チームで戦うボーダーブレイクというゲームの一つの醍醐味でもあった。

ある日、サービス終了も迫ったデイリーマップのベルスクで起きた忘れがたい出来事が起きた、少女アバターの凸麻が「ベース攻撃任せろ」「プラントを攻めてほしい」「ベースは私が守るね」「修理をお願い」としきりに意思表示をしてきた。私はそれに応えるように「プラント攻撃は任せろ」センサーにかかったものの追いきれない相手には「防衛をお願い」随伴しながら逐次修理をし、二人で戦場を支配した。ボイスチャットがないボーダーブレイクにおいてここまで濃密なコミュニケーションが取れたことに感動したしその10分は数え切れないほどマッチした全国対戦の中でベストの試合だった。今はもう名前も覚えていない少女アバターの凸麻と過ごした幸せな時間はボダをやっていてよかったと思える最高の10分間だった。

次の試合で敵マッチした時その人が好んで通るルートを観察していた私は人読みリムペで遥か200メートルほど離れていた位置から開幕凸を阻止しして勝った

悲しいけれどこれボーダーブレイクなのよね…そういう10分間隔で埋もれていく一期一会の中で10分の喜びと悔しさを共有した名も知らぬ全ての戦友達に感謝とごめんなさい。このゲームは例えどんな有名プレイヤーが大暴れしていようがその部屋で戦ったみんなが主役のゲームでした。


別れの時は訪れる

ボーダーブレイクエックスが稼働してしばらくした頃、一つの疑問が持ち上がる「ボダの基盤OSのサポート期限はそろそろなんだけどどうするのだろうか?」当時すでに長寿タイトルの域に達していたボーダーブレイクにもいずれ限界の時は来る、かつて体験した三国志大戦のように終りが来る。ハードの更新をしてAC版を延命させるのか気になっていた所にPS4版ボーダーブレイクがリリースとの報を受け、ああ終わりは近いんだと悟った、当時それほど熱心にプレイしていなかったとはいえなんとなくその覚悟はしていた。そして2019年6月6日、正式にアーケード版が終了するとの発表され、ついに来たかと、残りの時間はボダと一緒に走ろうと決めた。

デイリーマップが始まるあたりから毎日ゲーセンに足を運んで最低でもワンセット分は遊んだ。中には二度とやりたくないオルグレン湖水基地やアドラ溶岩地帯、片方にワフトローダーが二機のケルベルグといったマップ担当を呼びつけて小一時間説教したくなるようなマップやもっといっぱい遊んでおけばよかったと思えるようなマップもあったし結構楽しかった。だけど前述のマップ達はPS4版でもできることなら遊びたくない(音楽は好きだったりするのでBGMカスタマイズ実装はよ)何かしらの要素が最終登場となり、今後開催されないとなると刻一刻と迫る別れの時に胸が締め付けられる思いだった


2009年9月9日~2019年9月9日

ボーダーブレイクが世に放たれてからというもの、沢山の出来事が起きた。10年も経てばそんだけ歳も食うし結婚したり子供ができたりする人もいるし、私は人生最初で最後のモテ期で彼女が出来たりしたけどその人とは上手く行かなかった。東日本大震災もあって被災したボダ仲間の安否はとにかく躍起になって確認したし、それと関係なくとも同じゲームに情熱を注いだ仲間達、対抗戦で作戦会議と反省会でぶつかりあったクランメンバー、去っていった人、喧嘩別れになった人、皆に平等に2019年9月9日は訪れた。やらなくなった人もほんの少しくらいは思いを馳せていたのではないのだろうかと思いたい。

私はその日いつもどおりゲーセンに行き、いつもどおり毎日刺していたICで時報をこなして、最後は一番最初に作ったけどここ2年はまともに刺してないであろうメインICで遊んだ。楽しかった、ただ純粋に楽しかった。毛嫌いしていた加速脚も、変即機爆弾も、使ってみると凄くたのしくて勿体ないことをしたなと、もっと使い込みたいなって思いながらひたすらにコアを殴っていた。毎時五分スタートの時報で懐かしい名前を見るたびにああ、来てくれたんだありがとうって目頭を熱くしながらウェーブショットⅡを顔面に叩き込んでいた。その日は最後の最後まで沢山の人がそれぞれボダとお別れをしに来ていて本当に楽しかった。夢のようで永遠に続いてほしいとすら思った。

しかし閉店時間が近づきGP購入が終了し、フル参加できる最後の一戦となった。その途中から変化が起きた。皆が次々と戦うことを止めていったのだ。終わりの時が来たのだ、敵味方関係なく皆思い思いに屈伸したりNICEチャットで親指立てたり、ボーダーブレイクと言うゲームにありがとうを言っていたように見えた。そこには陣営もクリエイターもプレイヤーのクラスも肩書も関係なく、この瞬間を共有する仲間がいた。私も許す限りアクションボタンを連打した。

空気の読めないサブカ野郎がコアを叩き割るまではー。

そうして私のAC版ボーダーブレイクは幕を閉じた。その日は寝付けずスレを眺めていたりTwitterのタイムラインを追いかけていた。皆口々にボーダーブレイクへの想いを語っていてそれら全部を保存したい気分だった。愛されて、惜しまれて終われた幸せなゲームだった。私達は幸福な夢を生きた。

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最後にメインICに刻んだ通り名は「完全燃焼のボーダー」正直まだやりたいことはあったけど走り抜いた。後悔はない。


2019年09月10日~

9日10日と事前から有給を取っていた私は案の定何も手につかずPCを眺めながらボーダーブレイクの思い出について語る人々を眺めたりその輪に加わったりしていた。夕方になりふらりとホームに立ち寄るとそこにはいつもの場所にまだボーダーブレイクは存在していた。画面にはサービスを終了しましたの文字、私は一枚だけ財布に残したカードで個人演習でエイオースやらスクランブルバトルを楽しんだ、他の人よりほんの少しだけアケボダを長く楽しめるのはちょっぴり幸せだった。途中店員さんにこやつ正気か?みたいな目で見られたけれど気にしない、戦闘兵さんしかいなくてもボーダーブレイクは楽しかった。次の日も個人演習をこなしその次の日もと思って行った木曜日のこと、ボーダーブレイクは電源が落とされフロアの隅に寄せられていた、もっと遊びたいとも思ったけれどそれは我儘でしかないからとりあえず椅子だけ引っ張って来て着席し物言わぬ筐体と向き合った。手に馴染んだマウスと、親指にタコができるほど握り込んだスティックを握りながらショートステップ屈伸キャンセルと武器変更ジャグリングの操作なんかをしていた。当然筐体は何も答えない、わかっていた、最終日前に撤去されてしまった人を思えば2日ロスタイムがあっただけでも僥倖だろう、そう思いながら席を後にした。そして今日また様子を見に来た時はまだ筐体は顕在で、まだあるんだって思いながらせっかく来たんだしワンダーランドウォーズでも軽くやって店にお金落として帰るかと思い数プレイして席を立った時、あったはずのボダ筐体は無かった。搬出される時が来てしまったのだ。私は店内を探し回り店の片隅に引き取りを待つボーダーブレイク筐体を見つけ、そしていつも座っていた台をそっと撫でた。涙こそ流さなかったもののぽつりとありがとうと感謝の言葉は漏れた。こうして私のAC版ボーダーブレイクは完全に終了した。

一日の始まり、私の出社しての最初の仕事は自分のデータ印の日付を一つ回すこと、その日付が19/09/09から遠ざかっていく度にボーダーブレイクが思い出になっていくのを実感する。そしてBB.NETから毎日のCP推移が一日ずつ消えていく度になんとも言えない微妙な表情を浮かべる。PS4版ボーダーブレイクはやっている、やってはいるが物足りないのだ、ゲームの内容ではなく、前述の通りゲーセンに遊びに行くという行為そのものが楽しかった私にとって家で気軽に好きなだけ遊べてもゲーセンという空気の中で遊ぶのが好きだった。あれほど心を鷲掴みするようなゲームは多分もう現れない、それはゲームの出来不出来とかではなく私が歳をとりすぎてしまったからであろう、今から新しいものに没入できるほど若くはない、ただ誰にでも人生に一つくらいはあるめっちゃ好きがボーダーブレイクだった、というだけなのだ。

ゲーセンは苦しい、増税されようが手数料あげられようがプレイ料金に転嫁しづらい、もう10年先にはビデオゲームの新作なんてリリースされないでレトロゲームのお店だけがどこかに点在するだけの存在になるかもしれない。毎日のように飛び込んでくるゲームセンター閉店の報せに今後AC版でボーダーブレイクが帰ってくる可能性は余り考えられない、だけどいつかあの緑の筐体が帰ってこられるように、私は少しづつでもゲーセンにお金を落とし続けるしPS4ボダも続けるつもりではある、それくらい全部終わらせてしまうには惜しい存在だし今でも楽しいゲームなのだ。AC版ボーダーブレイクは終わってボダしにゲーセンに行くことのない毎日は続いていく。これからもずっと。

長々と綴ったけれど文章めちゃくちゃだし、放っておくといつまでもお気持ちポエムを垂れ流してしまうのでこれにてAC版ボーダーブレイクの振り返りは終わりにしたいと思います、そこらの雑兵の戯言にお付き合いくださった方、スタッフの皆様、戦場でマッチした全てのボーダーに感謝を、ご迷惑をおかけした一部の皆様には心からお詫びを申し上げて一区切りとさせていただきます。

最後に今日撮った一枚を、記憶が時間の彼方に、記録が電子のデブリにまぎれてしまう前に、熱が冷めないうちにありったけをこの言葉に込めてー

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ここに僕らが夢中になって遊んだゲームがあったんだ

ありがとうボーダーブレイク。

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