はじめてのnote
8月20日(火)竹村真一先生による地球塾 第2回を受講しました。
竹村先生のお話をお聴きするのはこれが初めて。正直、”シンギュラリティ”やら”SDGs”に完全に置いてかれている私自身が、この貴重なお話を聴いて何を思うのだろう、と幽体離脱気味で参加したのですが、一言でいうと
「あースッキリ」。
そして
「あ、これがデザインってやつか。」と。
(あの会場にいた中でこんな低レベルな気づきを得たのは私ぐらいだと思いますが、)もはや何をケアすればいいの?何から始めればいいの?と、言葉通り地球の上で迷子の私に対して、今この瞬間に起きている事実、これから起こるであろう予測について丁寧に整理していただき、思考を拡げるきっかけを沢山ゲットしました(多分)。
例に漏れず、2時間の中に凄まじい情報量があった中で、メモした手帳を会社の机の引き出しに閉まったまま休日を迎える私がパッと覚えているのは
「地球上で生きている生物のうち、90%弱が家畜、10%が人間、残りの数%が野生動物」。
何故これ…というと、
「もしかして飼われているのは我々人間なのでは…」
という謎の恐怖を覚えたからです。
後は大気汚染の脅威ということで、年間死者数のうち(数字を失念)約800万人は大気汚染が原因で死亡している、というお話。
え、その因果関係ってそんな明確なのかしら、何かこのデータの意図があるのかしら、という疑問が湧いていました。あとは、同じお話の中で出てきた戦争や衛生的問題による死亡者数は、やはりざわっとします。ただそこでは大気汚染のお話がメインだったので、あまり触れられず。
さて、お話を聴いて、カークパトリックの4段階評価法ではないですが、「あーいい話聞いたー」で終わらないようにしないと…という強迫観念に怯えながらも早3日経過。
竹村先生の話の可視化の仕方を見て、今読んでいる「都市と野生の思考」(鷲田清一、山極寿一)の内容がリンクしました。
これまでは哲学が知の王様、格式張って理詰めで論理を究めてきた。でもこれから求められる知は
『周りに目配りしながら、ありあわせのものをうまく使って、全体や他者への心遣いをする』
例えば”家事”のように、だそう。
着地を完全に見失ったまま、はじめてのnoteを終了します。
おわり
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