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なんというタイトルにしたらいいか判らない。

アメコミとマンガ、映画が好きで、子供のまま大人になったかのような兄が去年の年末に亡くなってしまった。
享年60歳、死ぬには早すぎる。

最後に会ったのはクリスマスより少し前、身体の具合が悪いので食べる物と薬を買ってきてくれと頼まれ、自宅から少し離れた兄の住むアパートへ届けてやった時だ。

「めんどくせえ・・」

その時は正直そう思った。
兄は5年ほど前から精神科では鬱病と診断されていた。
しかし長年、兄を見てきた私からすると、元々の根底にある気質は"不安神経症"なのでは無いかと思っていた。
何か不幸なことが起こると「お墓参りに行ってないからだ」などとオカルト的な事に結び付け、その不安を解消しようとする考え方の癖が有った。
私とは全く逆、いや、兄のそんな考え方を見てきて反面教師としていたから私の性格は真逆になったのかもしれない。
とにかく、私からしたら厄介な気質の兄であった。

私も同じ親の血を引いてるからか、自分にも不安神経症の気質があるのかもしれないと感じているので、兄の脳内で起こってる事がなんとなく判るのである。

そんな兄が自分の身体の不調があるたびに私に電話をしてきて「熱があるんだ、どうしたらいい?」「腰が痛くて動けない、助けに来てくれ」という具合に、何か事あるごとに私を頼って電話をくれていた。
あまりにも稚拙な悩みで電話をかけてきたり、私に電話をするより病院に行かなきゃどうにもならないような事でも電話を掛けてきていて、兄の不甲斐なさや、精神的に弱く未成熟な子供の部分が浮き彫りとなり、自分も我慢の限界を通り越して諦めていた。そういう人間なのだと。
10近くも歳が離れているから余計に不甲斐なさを感じてしまい、どっちが兄なのか疑問に思う時が昔から度々あったので慣れてはいたのだが。。

そうは言っても、独り者の兄からすれば近くに住んでいる私しか頼れる者も居ないわけで、仕方なしに私は兄の注文を訊き、コンビニや薬局で品物を揃え、兄が住むアパートへ向かう事が度々あった。

そんな面倒な兄でも亡くなっているのを発見したのは私であり、死因は心臓発作だったようだが、部屋に独りで倒れて亡くなっている光景が余りにも不憫な光景だったので私の頭に焼き付いてしまった。
私は一生あの光景を忘れないだろう。

去年の年末ごろは、そんな兄に対する悩みで自分自身も日常が全く楽しくなく、重い気分に包まれていた。
友人と会っても面白い事の一つも言えないような気分だったので会わないようにしていたし、本当に悩みのタネだったのである。
亡くなって半年以上経った今、やっと気持ちが落ち着いてきたのか、兄の事を普通の気持ちで振り返る事が出来るようになってきた。

兄の部屋から持ち帰った遺品の中に、大学時代にサークルの仲間と撮影した短編映画などが有った。
VHSのビデオを業者にデータ化してもらい、私はその映像を初めて観た。
兄は兄なりに青春時代を謳歌していたようだ。

弟の私から見ると、女っ気の無いオタク気質の兄だったが、兄の友人の話ではそれなりに好いた惚れたはあったようだし、一度だけ彼女を紹介された事もあったのを思い出した。なかなかの細身の美人だった。
そんな昔の光景を思い出し、私は少し安堵した。
もし、誰かと結婚していたら、あそこまで身体も悪い状態では無かっただろうし、守る者が居れば自身の健康にも気を使ったであろう。
人生の上でいくつかの分岐点があるとすれば、兄は一番短命になるルートを歩いてしまったのではなかろうか、とも考えた。

酒も飲まない、タバコも吸わない、そんな兄だったのに、糖尿病でもあり、心臓に不整脈が有り、精神科にも通っていた兄。
長く生きれば良いという事でもないが、
私は兄が亡くなった後も、兄を反面教師として生きていくのだろう。

年の離れた兄は私が小さい頃から色々と教えてくれた。
流行りの洋楽、アメコミの映画。
面白い漫画、オタクの世界。
そして今、亡くなった兄は「俺のようになるなよ」と自らの生き様を見せて私に間違った道を教えてくれているようだ。

亡くなってしまっていても、兄は兄。
結局私は兄から様々なことを教えてもらっていたと気づく。

あと数年、いや何十年かしたら俺もそっちに行くだろうから宜しくな。
礼はその時に言うつもりだ。


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