第五章 運命論の否定
ヒロはギター担当、タカはボーカル担当だが、ヒデにギターもボーカルもやらせる訳には行かない。絶対にドラムをやらせるべきだ。
ヒデという名前から皆さんは何の楽器を担当していると思うだろうか。名は体を表すというがヒデは絶対にドラム担当になってしまうという研究結果が近年明らかとなった。
ヒデの本名がヒデのみである可能性は極めて低い。ヒデの本名はヒデアキと考えるのが妥当だろう。ヒデアキがヒデと呼ばれるようになったのは小学生に入り皆があだ名をつけるようになった時、もしくは生まれた時から両親からヒデちゃんと呼ばれていたと考えられる。つまり、ヒデアキはヒデというあだ名がついた時からドラム担当という運命から逃れられないのだ。ちなみにヒデアキがアキちゃんと呼ばれる可能性については6.5%と考えられ、10%を満たないので帰無仮説として棄却されるのが定説だ。
ここでこの文を読んでいるあなたはもうお気づきかもしれないが、ヒデの本名がヒロ、タカを内包していた場合の可能性について考察する必要がある。ヒデヒロ、ヒロヒデ、ヒデタカ、タカヒデのパターンである。一般的に4文字の人名のあだ名は最初の二文字から取る確率が高いが、例外的に同じグループに既に同じあだ名が存在している場合、それを避けるため後の2文字が取られる場合も存在する。つまりヒデヒロ、ヒデタカはドラム担当を回避する可能性があり、ヒロヒデ、タカヒデはドラム担当を回避出来ない可能性が示唆される。
この研究を通して私が何を言いたいかというと、この書を通して運命論、つまり世の中の出来事はすべて、あらかじめそうなるように定められていて、人間の努力ではそれを変更できないという説について長く論じてきたが、他者の存在によって運命は容易に変わってしまうということだ。他者との関わりさえ運命によって決まっているという考え方も出来るが、私は人は意図的に運命を変えることが出来るのではないかと考える。
どの他者と関わるかは本人が自由に選択できる。しかしその選択さえも運命かもしれない。しかしヒデ本人が自分はドラム担当という運命を宿していると自覚した時、その選択は運命に逆らうように選択出来る。
もし現在ドラム担当だがボーカルを担当したいヒデタカがこの書を読んでいるとしたら、彼は明日から皆に自分のことをタカと呼ばせるだろう。運命とは様々な要因によって決まるが、その要因さえ解明出来れば、いとも容易く運命を変えることができるということである。
あなたは自身の運命をどのように自覚しているか。
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