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批判とはなんぞや?

何がどうあれ、批判をする、批判的というのは日常的に見る、聞く、するとは思います。

個人としても、否応なく見聞きしてるわけですが。

でもねー、なんか変なんですよ。

最近では、色々掘り下げたので見えてきた物ってあるのですが、それまでは批判については、これまたいつも通りと言わんばかりに、疑問や違和感しか感じなかったんです。

様々な自由が許されてる時代、国ですから、当たり前。

じゃないんですよね。個人としては。

そういう部分から触れて見えたものという物を今回は書いてみようと思います。


そもそも批判って?

これまたいつも通り、言葉の意味から触れていくわけですが。

今回は画像にて失礼します、よ。

というのも、検索をかけたら目の前に出て来てたので。

画像1

うん。

検索をするとこんな感じで出てきます。また、以降も各種言葉の意味を触れてる辞書サイトが並んでて、同じように、

良い、悪いを見分けて、評価・判定する

ほぼほぼ同じ意味が並ぶんですよね。

おーっとっと?

普段見聞きする批判って、悪い所を取りあげて、それに対して反対の立場から苦言に留まらず、不満、批難というだけでなく、過剰に私的感情を盛り込んだ内容が多いわけなのですが、これって?

という感じで、よく言われる批判って扱い方間違ってるじゃないか...というのが見えてくるんですよね。


何故そうなってるのか?

これは答えは簡単です。

批判という事にして、色々言ってる人って中には誹謗中傷、名誉棄損というような言動を平気でやってる人も多いんですよね。

Twitterなんかでも酷いんですよ。

中には、感染症にかこつけて政治家に”あいつらは殺人者だ!”みたいに言ってる人も居ましたしね。

もうこれ、批判じゃないじゃん?なのですが、言ってる側からすれば当然の批判という感じで。

言い換えれば、批判という言葉を勝手な解釈から、自分たちの盾として使ってるだけ、という部分が見えてくるわけです。

とはいえ、言葉に対しての誤解や誤用というのは、普通にあるあるの事なので、これが悪いとかそういう話でもありません。

ほんとね。

どんな立場でも、自分としての言説を取らず、自分が共感できる他者の言説を取りあげて...みたいな人が増え過ぎてると言うか。

自由という言葉の元色々言うのは良いのですが、意見を下手に発してしまう事でそれが議論を呼ぶ事にもなり得る、という言葉を使うだけでも難しいという部分はこれまた置き去りにされてる。

個人としてはそのように思いますし、他者の言説を使うのは言うに困ると、それに責任転嫁して逃げとして扱う、というのは普段の生活の中でも見られるでしょうし、そういう悪い部分だけは真似をしてしまいがち。

色々見えてくると、反省しなきゃいけないなぁ、というのも同時に見えてくるものです。

うん。

そう言う意味では、愚痴とか、不満とかと変わらなくね?なんですよね。


ニュートンと万有引力

さて、万有引力を発見したニュートンさんですが、いわゆるリンゴの話は、ありがちな誤解だそうで(笑)

記事を書きながら調べてたら、あれ?私、誤解してた?という感じで地味に笑ってたりします。

なので、おまけとして、

何はともあれ、Wikipedia先生に聞いてみるとニュートン以前にも説はあるようですね。

逆にそう言うのがあっても、違和感や疑問を感じるからこそ、推測し、仮定を立て追及していった結果が、万有引力の発見かな?と思います。

で、この話は一体どういう事?なのですが、

人間何かしら行動を起こす時には、理由がある

その理由を持つには、見る、聞く、知るなりで何かしら刺激を受けている

そういう物じゃないかな?という話を、ね。してるという感じです。

うん。いわゆる感受性っていうやつですよ。

そして、それだけではなく、何かしらの狙いもあるもの、だとも思います。

万有引力ならば、解明したい。

恋愛なんかにすれば、いわゆるお近づきになりたい=親しくなりたい。

という感じですかね。そして人間ですから、そういう部分には良いも悪いもが必ずあると思いますし、それ故に時には犯罪の発生にもなってしまう、と。

親しくなりたい相手に、既にパートナーが居る場合は排除しようなんて人もいるくらいですからねぇ。

うん。


当たり前、という一点には

個人としては、不思議とニュートンさんタイプというか、どうにもこうにも微妙な違和感を感じてしまうし、調べたり追いたくなったりします。

それは、ホント些細すぎてておかしい。周囲からそう言われる程に、変な所に気付いたと思えば、それは何故か?って考えだすんですよね。

そして、そうある様に対して、私個人としては違和感や疑問を感じるので解明しようとしてるだけなのですが、周囲は自分たちと違うから、と、

気にし過ぎ、考えすぎ

勝手に自分の尺度で色々言い出すんですよ。個人としてHSPに触れる際に、気にし過ぎというのは違うとか言うのはこういう部分が理由です。

人の頭の中は覗けないのに、違うからという理由で誤解どころか、否定しに来るから、なんですよね。こういう、気にし過ぎだなんだってのは、周囲の誤解からも発生するという、結構明快な理由があるので、それをHSPみたいな概念に当てはめるな、というだけですけど。

さて、話を戻して。

当たり前、という言葉。

その中には、今でこそ当たり前であっても、以前はそうではなく、誰かが解明してる、そしてその連続体でもある、という部分があるんですよ。

なので、諸行無常だし、有為転変だ、とか言い出すんですね。何にしても常にならない物であり、何にしても常に変化するものだ、という感じ。

個人として言われがちでもあるのが、

そんな当たり前の事、考えるだけ無駄だ

という事があります。でも、その当たり前も誰かが疑問を感じて解明したからこそ、今では当たり前になってるだけだし、そこには人間以外の何かが持つものがある、って話なんですね。

また、そういう部分を非科学的とも言われがちですが、宇宙に関しては常に膨張が確認されてるので、科学的には証明しきれてないけど、何かがあると仮定したうえで研究されてたりもします。

非科学的から始まってる物もあるのじゃよ。

こういう部分からも、個人としては二極化、二分化って凄く嫌いです。話聞かないし、自分が正しいというばかりだし、否定する事が大前提の理由にそれがありますし。

また、こういう部分があるからこそ、自分にとっての正しさに固執してはいけないのだな、と人の振り見て我が振り直せ、を自然とやってしまう

当たり前を見据えれば、その奥にある当たり前があるのに、自分が知ってる範囲だけを当たり前にするというのは、不自然なんですよね。

で、そういう所を突っ込むと、人間は完璧になれないとか、絶対はないとか。

こういう部分を応用すると、先進国・途上国なんてのは誰かが勝手に言い出して便宜上の区別だけでしかなく本質は別にあるものですし、政治思想でも右か左かとか分けて決めつけたりってのも、もう少し踏み込んで色々触れた方が良いのでは?と思ったりもします。

その体制故に、チェルノブイリ原発事故で隠蔽だ工作だ色々しようとして、今では解体された国があるわけですが、そちらの主義が良いとか語る人もなんだかなぁ、です。

新しい主義作ってみないか?っていう、時代に合わせた物を作ろうとしないというのも不思議。

こういう威嚇とも、挑発とも受け取れてしまう行動を起こすような主義のどこが良いんでしょうかね。

運悪く戦争なんかにでもなれば、間違いなく日本は主戦場だし、有無を言わさず切り捨てられて命奪われますよ。

チェルノブイリ原発事故ですら、事の重大さに気付けず最初は隠蔽しようとしたくらいですから。

冷戦時代で言うなら、西側諸国。いわゆる敵対側でもあるアメリカが主導で作ってるのでこれが正しいかどうか?というのはありますけどね。

原爆投下どころか、東日本大震災ではこれほどまでにはならずとも、原発の事故が起こったわけなので、知っておくのも良いかと思います。

うん。

まぁ、当たり前にしても、当たり前になるまでに流れがあるものなので、色々触れてみた方が良いとは思いますよ。


あとがき

何事も、因果は必ず返りうる、即ち因果応報なり。

ででん!

ではないですが。

自由という言葉も、言う自由があれば、反論する自由もあるのもまた然り。結局何がどうあれ、発信だったり、意見を述べるだったりの行動の結果として、違う意見が出てるだけなのに、そこに感情を持ち込むから反目しあう。

そういうものかなぁ、と思います。

まぁ、あまり言い過ぎると色々怖い部分もあるので、こういう内容はそろそろ控えようとも思います。

うん。

研究にしても、学問にしても、始まりや成り立ちという基本は、何かしら解明しようとして、その中で得られた物が体系化されてるという部分もあると思います。

それは、言葉も同じく。

というか、日本って神仏習合にも見受けられるというか。こっちにはメラ、こっちにはヒャド、合わせてメドローアっていうね、普段目立たないけど妙な所でセンスのあるポップみたいな所もあるんですよね。

なので、片方によるってのは意外と苦手とするのでは?と思います。

それなのに、何かと二極化、二分化しようとするし、草食系〇〇肉食系○○とかいうのは、呆れたというかなんというか。

何やってんの?という感じでした。

まぁ、今回は少し複雑ですが、二分化と二極化なんてのはもうお腹いっぱいのを、選挙があるからか色々目にしてしまうので、いやんばかん!という感じで書いたという所です。

元々鉄道はイギリスからだったかな?学んだものですが、新幹線を見ての感想は魔改造とか言われる事も。

その根底には植民地化を狙ってという裏事情以上に、種子島ライフルなんていう独自かつ当時にしては高威力という、当時から魔改造しちゃう国民性があったからというか。

日本ってホント、不思議な国なんですよね。

という事で。


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