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書くリハビリ

もう、目も当てられない

開いた口が塞がらない

幼い頃から、自分は物事がわからないからこそ、親だけでなく周囲に居る大人たち、下手をすれば出先で出会った程度でも気づけるので。

そういう気づいた時に、観察することを持って世の中を見てましたが。

流石にもう、限界じゃ。

限界なんじゃよ。

今日はそんな闇にふれ・・・るかはわかりません。

出すと、それが無関係な誰かにネガティブを与えかねないので、完全に抑えることは無理ですが、それでも抑えようとしてるので。

だせねぇんだぁ。


現実の裏側

陰謀論とか、そういう事ではなく。

やっぱりこう、知るにしても、見るにしても限界がありますし、知ってるからこそ見えるとはいえ、更にそれより深いところもあるのが現実。

一言に言えば、水面下、ですかね。

見えない所で、様々な動き、流れがあるのが人間社会だと思います。

そして、見えない部分を少なからず知ってるからと。

されてしまうのが情報の悪用、と。

HSPなんかは、アメリカ発。LGBTQなんかは、欧米では進んでたもの。

そういう海外での実際を伝えないまま。

今となっては。都合の良いように扱おうみたいな人が出たり、流れが起きたりする始末。

そこには、形ばかりの人権、そこから繋がる政治的意図、と。

そういう物も、ぶっちゃけ日本だけではないですから、と言わんばかりに、様々に色々あるというか。

宗教上での衝突だったり、数年前に騒いでたテロだったりも、そういう宗教上だけでなく、政治的だったり、何を売るとは言わないですが商売だったりと。

利害の一致が複雑に絡むからこそ、時には最悪の事態が起こるのも。

世の常、現実なんですよね。

また、そういう部分では、正しさを唱えつつ、水面下や裏側では、そういう取引、やり取りもやってたりするのも当たり前。

そういう部分の、悪が時折浮き上がることはあれど、トカゲのしっぽ切りのように切り離して白を切り、責任転嫁をするだけでなく、情報による大勢を作り上げ押し流す、と。

生きづらいどころか、共通認識として悪となるようなものでも、裏側や水面下では様々な攻防があるのが、当たり前、なんですよね。

寧ろ、生きづらい生きづらい言うようだと、客観的に現実を見れなくもなるので、直視できない負の部分というのもあります。

それこそ、多角的に見れなきゃ自分が間違いをすることにもなるので、慎重にならなければ行けないほどの部分。

そういう所でも、自分自身をなんとか制御しつつ、踏み込んでいくだけでなく、これ以上は危険という、ね。

例えてあげるなら、ダークウェブというような。

知識だけでなく技術も持ってないと危うい様なところには、逆に踏み込まないという判断もしつつ。

表では見きれない、裏、水面下を見る事ができるだけでなく、そこでの善悪にも流されないように自身をコントロールできるのも、

感受性による部分、その作用ってあります。

正直こう、HSPという言葉を知った割に、ブームは余りにもお粗末でしかない。

と、個人として言うのも、そういう感受性という部分を扱って、少なからず何はどうあれ、幅広く知ることで、様々な影響だけでなく、情報どころか世界という、ね。

幅広い意味での現実も捉えにいけるものなんですよ。

また、ね。

ただただ幼い頃から、周囲からのさまざまな評価とその逆転による否定、個人攻撃の中にあるネガティブばかりが影響してるわけではなく。

そういう、裏という部分に触れてるからこその、影響としての闇が自分の中にあるのを自覚してるので。

自分から触れにいったのだから、抑えるのは当たり前です。

また、それほどにやってるので、抑えもせずに、感情任せに外に出してしまう人って、流石に、残念なのでは?と疑問も覚えます。


そういう事もできてしまうので

なにはともあれ、自分たちの意見が正しいって言うなら、ね?

下らねえ、個人攻撃を隠れて、いつでも逃げれるようにと匿名で、とかやるのはやめてくれませんか?

と。

HSPなんかは、一般人レベルでも知れれば、繊細さんとか、敏感、繊細、生きづらいとか、そういう話にならないって気付けるだけでなく、知った物を活用して、個人の意見の主張ができるんですね。

それができないから、大勢になって押し流そうとしたり、隠れてこっそりみたいな、

イジメ、その中でも陰湿とも言えなくもないような行動をしてる、イジメっ子さんなのでは?

良いも悪いも、やりすぎ注意なんですよね。

心配するにしても、相手を知らないまま、自分がしてあげたいことをやっても時には迷惑になるものです。

うん、心配するにしても、やりすぎてるだけでなく、結局自分しかみてないからそうなる、と。

HSPにしろ、LGBTにしろ、そういう、ね?

好き好きにやるにしても、好きにやりすぎると因果応報なので、慎重になる、なろうと声を上げる人もいるんですよ。

で、こういう人って、メディアも取りあげないんですよね。

そして、そこには広告宣伝費やスポンサーというものも絡みます。

うん。

ほんとね。

また、ね。グローバルだなんだ言うなら、世界にもっと目を向けないと。

日本という小さな島国の中で、バチバチやっても、外はもっとコワイですよ?

日本が世界に比べて弱いってのは、そういう部分から、世界を相手にするより、日本の中でとった取られた、勝ったをやってばかりになってしまったから。

そうとも言えるんですよね。

それでも、世界を相手にしてる企業なんかもありますけど。

バブル以前の、高度経済成長時代程は見ないと思います。

また、ね。

日本人は確かに、いい意味での魔改造、外からはいってくるもののカスタマイズは上手なのですが。

伝統という部分以外は、基礎ってあまりないと思うし、そこは学術や研究の軽視があったり、何でもかんでもを戦争につなげて否定したりする人が邪魔してるから、なんですよね。

そもそも。

日清戦争、日露戦争みたいに。

何もWW2だけやってるのが日本ではないのに、なんでそこを触れないのか?っていう、ね。

こうやって並べると。

現代にも繋がる、世界のパワーバランスの状態は、様々な状況変化が合っても変わらないのかの知れない・・・と気づかれまいと。

隠してるのではないでしょうかねぇ。

まぁ、あくまで個人的な意見ですから。

とはいえ。

イジメだろうが、そうでなくても言葉を使った攻撃のネガティブさなんて、ね。

しこたま受けてきた身としては、鼻が利きますから。

攻撃するくらいなら、個人で主張するなりで、正々堂々できないのかね?

とも思います、よ。

というかですなぁ。

そういう事やられると、暴れるんですよ。

あの人は大人しくて真面目だったのに・・・。

でも、そういう人の話を聞いたりしないわ、する気が無いから気づけないわという、ね?

言ってしまったからこそ。

大して人に気付けないだけでなく、そういう危険人物の変化に気付けなかった=周辺地域も大概じゃね?という、間接的な加害者っていうんですかね。

そういう見方も出来てしまうので。

ホントこう、個人のプライバシーだなんだもいいけど、やっぱりこう過去の時代みたいな少なからずの地域の繋がりって必要なのでは?と思いますよ。

正直。

情報を使った、個人間の分断を煽り過ぎですわよ?とも思います。

はい。


ほんといい加減にして欲しい

昭和だろうが、平成だろうがホントこう、変わらないと言うか。

世代間の溝を煽ったところで、それぞれの世代が、逆の立場になったら批判してる側の立場をとるってのも、散々見て来てますので。

情報に煽られるかのようにやってしまうのは。

馬鹿にしてる親と同じ事やってしまいますよ、っと。

親ガチャとか。

子供世代に、違う言葉で、自分達が言われる様にもなるから、持て囃さない方がいいですよ、ってね。

そこには、情報だったり、言葉だったりを流布する事での、人間心理ってものがあって、何度となく同じ結果を見せてるんですよ。

また、それぞれの世代でも、そういう物に流されない人は居ますし、そういう人達とは年代関係なく接する事もできれば、

ジェネレーションギャップを感じない、明らかな年齢差があるのになんで話題をあわせられるのか?

と、何度も言われた事もあります。

ほんとこう、ね。

良い悪い関係なくなれば、どちらにも流れもすれば、どちらにも固定されないので、ね。

こういう部分だけでなく、私的感情マシマシの犬猿の仲という人の間でも、あっち行き、こっち行き出来たりもします。

あくまで個人的ですけどね。

結局、第三者になると、そういう良い悪い、正しい間違いはまた違って見えるので、そこを感情に流されないようにしてると、間に立てるわけですが。

だからこそ、何かあると、第三者委員会、第三者機関なんてのが出てくるのが現実なんです、ね。

話題に上がらない、巷の中の個人レベルであっても、そのレベルに応じた第三者になれるのも、感受性による作用、そういう部分が影響してます。

全部ではないですけど、ね。

HSPなんか、ほんとこう、いい加減にしてくれないかな?と。

敏感どころか、鋭敏だとか言われたり。

それどころかもう、それは鋭いだよ、鋭い、とか言われたり。

日常で否応なくそう言うレベルなわけですが。

どの程度の敏感さ持ってるのか?っていう。

また、それ程に敏感なら、感情だけでなく、世事とか、歴史とか、様々から現実の人の流れが、それこそもう、

沢山の人が作り上げた、豪勢なミルフィーユや~。

というくらいに、色々が重なって積み上がってるって気付くでしょ?

うん。

自分だけ、でしか言えないというなら、井の中の蛙大海を知らず、です。

うん。

闇とは言わないまでも、結局、負が漏れた。


あとがき

あたまがいてえええええええ!!どころか。

実際に視界が揺れて眩暈も起こります。

だからこう、嫌なら見るなもごもっともなので、見ないようにする=眠ってリセット&リフレッシュすることもありますが。

それだけじゃ、ダメなものはダメですからね。

やっぱり見る事も必要だと思います。

ソクラテスのいう「無知の知」、仏教で語られる「無明」。

ホントこう、古くから残るものって、やっぱり凄いですよね。うん。

まぁ、無知の知については、懐疑的な見方もあり議論はあるようですが。

それが、近代化以降は、どうにもこうにも。

人の外側を作り上げすぎたので、簡単に命を奪う事も出来る様になり、そこへの不安、恐怖、怯えがあるものだから。

人の内側=心理や精神がおざなりになり、現代ではそこに病理、病態があるとされるようになったものの。

外を作り上げる段階で、外しか見れない様な見方を養ったせいなのか。

外側にある物を、なんでもいいから、自分達の都合がいい物にしよう!知るとか勉強とか面倒くさい!と言わんばかり。

子供かよ・・・(´・ω・`)

ほんとこう、ね。

就職氷河期の入り口辺り、ギリギリ雇用人数がしぼられた頃に高校から社会に出た時に、そういうショックをうけたものの。

幼い頃から、かわんねーべや・・・。

そういう個人は、小学生の頃から、お前は大人だなぁ、と同級生どころか、教師や大人世代にもいわれるようになり。

こういう部分でも、「未熟な部分があるからまだまだ子供」と反論しても、ね?

周囲は「いや、お前は大人だ」と。

(´Д`)ハァ…

かと言って、都合が悪くなると「子供のくせに!」ですからね。

HSPなんか、丁度感染症の流行りと共に浮いてきたわけですが。

見方変えれば、研究や学術的な結果を無視してるという軽視ですし、だからこそ海外から入って来た言葉=日本は遅れてるになるし、何でそうなるか?というと情報が話題性ばかり重視するから、研究や学術の重要性が無視され、知れなくなり、それに惑わされるというね。

大学や研究施設を整えたところで、何かあれば軍事研究だとわけわからない文句を言う人でるくらいですから。

また、ね?

ワクチンが早く準備出来た国って、どちらも軍事大国だし、研究も盛んなんですよ。

研究って成功なんて少ないものだし、失敗の副産物から流用が出来て、更に別方面の研究が進むだけでなく、防御・防護のための研究もするので、ワクチンに限らず、薬なんかも早いんですよね。

で、こういう部分を上げずに。

批判したい、攻撃したいばかりを前面に押し出すメディア、と。

日本は税金高いかも知れないですが、徴兵制もないし、国民皆健康保険の精度もあるので、医療のサービスは受けやすいんですよ。

そういう保険がないから、企業負担だったり、そもそも福利厚生が無かったりで、うっかり病院にかかれねぇわ・・・なんてのは、先進国でもあるくらい。

ホントこう、無知の罪というか。

無知は罪という、無知だから罪なのではなく、その無知を認めないという、無知の様が罪だという、ね。

だから、無知の罪。

なんでか日本だと、無知は罪になったりするのも散見されますが。

これは恐らく、無知は罪なりや?という、無知に対しての問いから間違って取り上げたんじゃないですかね。

無知って、子供なんかは知らなさ過ぎるが故、純粋さや無邪気さとして表れる物。なので、知らない事は知らないと、ちゃんと認めるのは良いんですよ。

なので、無知は罪、にはならないんですね。

それなのに、日本では誤用の方も知られたからなのか。

知らない事を知らないと言うのは恥ずかしいとか、知らないのに知ったかぶりをするとか、そういう行動に出る人がいるというのも、何ともはや、です。

無知の罪って、無知であることを自覚しながら、認めないという在り方が罪って話です。

ホントこう、言葉の意味とか、ちゃんと考えないと、ね。

いけないとおもいます。

それでは。

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