自分が無いと言われてみて
果たして自分とはなんぞや?
を考えては見る物の。
自分が無いのが自分なんだよねぇ、どうしたもんかなぁ
というような、身も蓋もないというか、考えるの無駄なんだよね......みたいな答えに行きついてしまう、不思議と。
不思議と、とは言いながらも、実際の所は分かってたりするのも、実情で。
だから、適当に誤魔化しちゃうんだけど。
まぁ、その位に色々壊れてるというか、もう外側に立ってしまってるていうのも子供の頃からの常で。
何でか不思議と、悟り過ぎじゃね?とか言われる始末。
いや、悟ってないし、普通に見えてるから悟るってレベルには到底行きつかないし。
そして時折、見える見えないの押し問答。
そもそもだ。
自分が無くても問題ないし、居場所も無くても問題無いし。
自分が無いからこそ上手く乗り降りできるし。
居場所を求めないから朱に染まらないし。
自分の外に何かを求めるからには、外の存在との妥協は必須事項。
そんな自明の理を見ないふりして外に出ようとするから、痛い目みるんだよ。
ほんと、いい加減。
成長しない?
どうしてもそう思うわけなんですよ、ね。
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