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環境という言葉から

環境感受性。

環境からの影響を受けやすい。

とはいえ、意外とこう、なんのこっちゃ?な人もいるのかなぁ?と思いつつ。

その辺の個人の解釈みたいなのを出してみようと思います。


例えば学校という場所

言い換えれば、教師という大人たち。

生徒という子供たち。

そういう人達が集団生活を送る環境、ともいえると思います。

そういう環境の中で、

予冷が鳴る。

教師が来る。

号令がかかる。

という手順を踏むと、授業が始まるわけですが。

こういうのも「決められた基準、手順にしたがって、割り当てられた教科にたいし、授業を執り行い、学習をする環境。」と。

授業が始まる=状況の変化であると同時に、授業が執り行われるという環境の変化も発生させます。

なので、そういう環境に影響されて、粛々と授業を受ける。

個人としての真面目だなんだについて、学生時代の頃は、ここをそう言われてたんですよね。

そういう意味では、環境の変化に影響されやすかったんですよ。

というか、そういう空気感の変化って常に感じてました。

授業中、休憩時間、放課後、部活動と、空気が全部違いましたから。

また、ね。

個人としては運動が苦手だし、好んで行わないわけですが、それでも体育という授業が執り行われる環境になると、その影響で並と判断される程度にはなってました。

なので、オール真ん中。

体育はぱっとしない、でも可もなく不可もなく。+もなければ-もない。

普段は子供らしくない程に大人しい。なのに、体育の授業になるとそこそこ。

それは、まさに。

環境による影響を受けとってたから、と。

今なら言う事ができるんですよ。


環境の変化という視点

そういう視点の使い分けを行う。

そういうのも無意識のうちに結構やってしまうからか、家に居ても、

家族と過ごす。

トイレという個室に入る。

個人の割り当てられた部屋で過ごす。

空気感が全然違うし、環境の変化に影響されてしまうのか、体の内部が切り替わる感覚って毎回、毎日、年がら年中発生してます。

個人としては、自分自身がまず「何これ気持ち悪い」と感じてしまう程に切り替わる=影響を受けてたくらいです。

そういう環境の変化という部分も、細かくなりすぎてたんですよね。

学校、職場、家に限らず。

マイカーでも自分だけの環境か?家族友人という他者が居る環境か?という部分からすっごく影響を受けてるんですね。

他者が居るだけで、自然と見取り、聞き取り、感じとりモードになるというか。

そういう環境という影響があるからか、自然と気を抜かなくなってもしまうんですよ。

で、意識して気を抜こうにも、緊急車両の音とか聞こえても黙っておくなんて、出来ないですからね。早めに動いた方が、小さいとは言え事故を防げますので。


環境からのポジティブな影響として

幼稚園に通い始めた時点で、困ってる子のフォロー=話しかけ、問いかけ、聞き出し、対応するが出来てたので言語化と言う部分は成長した

という影響はあるかなー、と思います。

また、

自分自身が変ってたが故に、説明必須、そういう環境が多かったからこそ

という部分も否めません。

まぁ、どっちかっていうとネガティブをポジティブに変換してる、というのも否めないし、説明必須=個人を知ってもらえない、把握してもらえない、受け止めてもらえないからこそ、でもありました。

だからこそ自分の主張をするだけでなく、色々知っておかなきゃ、多少有利になったとしても、極端な個人だったので、多勢に無勢になってしまう。

そこに、気が付いた時には無駄に辞典を何度も読み返しては、何かを受けとろうと調べようとしてたという部分も幼稚園に通う前から持ってたので。

今ではこう、調べものスキーにもなったし、それこそ余計と言わんばかりに色々見えてしまう。

そうなってると思います。

とはいえ、これも一つの側面でしかなく、個人の一部なんですよ。

幼稚園児の時点で、同い年とはいえ、何故そんな対応ができたのか?

という視点の変更を行うと、やっぱり見る、聞く、気付くという部分が、細かくやれてた=抜きんでてた、と。

そして、それが様々に影響を受けて、成長すると「相談上手として頼れる人」という、ね。

更に一歩踏み込んでの、ポジティブな影響を受けての成長とも言えたりします。

ホントね。

楽をするのは良いんだけど、楽をするばかりで、環境に適応しようとしないと、成長見込めないと思います。

だからこそ。

HSPという言葉を知ったのなら、不得手とか、苦手ばかりに着目してたら、ダメでしょ?と。

じ~んせい、楽ありゃ、苦もあるさ。

楽を先に取れば、苦が来る。

でも、苦を我慢して涙を流せば、虹もでる。

水戸黄門の主題歌って、すごくいい歌だと思います。


あとがき

環境感受性って言葉は、これほどに、と。

まぁ、個人の解釈だし、言葉の扱い方という個人の持ち物も影響してるわけですが。

知っておいて損はないどころか、便利だと思います。



学校にしろ、職場にしろ、人が集う場にしろ。

そういう環境だから、環境に合わせて、やることをやる

それが、二つ目のサイトの冒頭に書かれてる、環境依存という話になろうかな、と思いますよ。


そして、目に映るという部分では光の影響もあるので。

自然からのポジティブな影響を受けての、絵画や写真。そして、クリエイティブという特徴に繋がる、と。

特徴だって、特徴になり得る根拠や理由があるわけで。

それを追わない事には、特徴すらも扱えない。

そう思います。

まぁ、何はともあれ、個人としての暗示をかける以前。

子供のくせに、進化とは何か?だったり、神や仏はどこいいるのか?だったりを質問するだけでなく、突っ込んで聞こうとするので、

「大人になったら分かる」

という、お茶を濁すかのような対応をされながら、

「偉そうに言う割に、大人も何も知らないじゃん・・・」

という頃に戻ってしまってる。そんな状態です。

さて、どうやって修正したものか?

1歳時点で、色々気づいてフォローして、甘えもしなかったくらい。

とはいえ、そこを受け止めてもらえなかったというのは、やっぱり深刻、です。

ということで。

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