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可能性という視点から

HSPのブームについて、言ってみようかな、と。

個人視点での考えかつ、「可能性の一つ」という側面もあるので何とも痒いところに手が届かない内容になるとは思いますけど。

という事で早速。

いくら時代が変わっても

そんなのは甘えだと言われるかもしれません。

そもそも、周囲からの評価って自分が思ってるのとは全然違ってたりしますし、繊細、敏感、生きづらいとか自分に言い聞かせるように言ってたら、今朝方も言いましたが、フィルターかかって井の中の蛙に自分で追い込んでしまうという可能性もあるでしょう。

現状、認知されてきてるとはいえ、何らかの形で興味が向く人が殆どだと思います。そうじゃない人に広まっていくと、それこそ玉石混交。

下手すると自分上げみたいな言葉にもなるので、周囲から見ると「大して頑張ってる様に見えないのに、自分に甘い奴だな」って見られるんですよ。

なんでそうなるか?というと周囲に比較対象がいるから。

そしてその比較の目は自分より、他人の方が厳しいという事が殆どです。というか、自分で言うのもなんですが自分に厳しい人は自分の頑張りも周囲の頑張りも余程のレベルに来ないと意に介さずってタイプも居るので、そういう事言ってこないと思います。

認知が広がる=自分の希望通り、理想通りに認知が広がる事はない

人間それぞれ価値観違いますしね。

そういう視点から、今のブームには疑問を感じますし、その言葉に嵌るのは警鐘は鳴らしたいと思います。

どんな事象も必ず終わりがある

そう。人の人生すらも。

ではないですが、ブームは流行りみたいなもので、絶対に廃りというか、目を向けられない、スルーされる、雑に扱われる、そういう事が後々発生するというのも割と世の常で。

なので、ブームに乗ること自体が諸行無常の一つ。常になる事は無いので、乗っかったまま流れていけるなんてのは甘いお話。

そういう意味での、自分を知れたなら、安心出来たならそれはそれで良いという側面もあります。

それは良いけど、先もちゃんと考えようね?終わった時にどうなるかわからないよ?ってね。

そういう終わりを考えると不安になる、かもしれないですが、そんな事言ってたら常に人生の終わりを考えて不安になってますか?っていう話でも合って。

都合のいい部分は見る、都合の悪い部分は見ない、だとせっかくHSPだって知ったのに自分の特性に向き合えてないし、扱えても居ないと思います。

そもそも、世の中の変化を感じるからこそ、先々の変化も先んじて感じたりする事もあるんですよ。だから先手を自然と打つ事にもなるし、その姿が気を遣いすぎ、配慮し過ぎと見えて、真面目過ぎとみられるのかな?と、個人的には感じてます。

まぁね、いつ終わるかわかりませんが、必ずブームには終わりがありますし、終わった先の可能性はどう転ぶかわかったもんじゃありません。

楽観視してたらまぁ、ね?

今、どうなってますか?ってお話にもなるんですね。

そもそも、それがネガティブ

繊細、敏感、生きづらい...

そういう言葉って安心させてくれる反面、ネガティブさも併せ持ってるといいます。

何で私はこんなに疲れてしまうのか?

敏感で繊細で生きづらいからだ...

こんな感じでね。知った時は、新しく見つかった感動みたいなので心が浮いてしまうので、そう感じられないかも知れません。

ですが、結局生活してれば他人と付き合いますし、そういう部分が理解されずに対人関係で悩むと思います。

そしてこうなると

「私は敏感で、繊細で、生きづらさを感じてるのに、配慮をしてもらえない...」

っていう、周囲に対して嫉妬だったり、憤怒だったり感じてしまい、結果として理解せず配慮もしない周囲をある種の敵視をしてしまうという傲慢な態度に自ら足を突っ込んでしまう。これもまた人間です。

すっごいネガティブの塊だとおもいあません?

嫉妬、憤怒、傲慢とかイラっと来るかもしれませんが、そろそろまとめますのでそこで話をしようと思います。

まとめ

嫉妬、憤怒、傲慢ってのは七つの大罪と言われる言葉です。漫画とかアニメじゃなくて、宗教的にそういう考えっていうかな、あるんですよ。

仏教なら、貪・瞋・痴という三悪みたいなね。

で、七つの大罪をモチーフに加えた作品が漫画とかアニメとか流行ってたし、興味が無くても文字を見たかもしれないし、それなのに何でこういう部分に関心いかないかな?と思います。

まぁ、個人差があるんですけどね。

進撃の巨人もさ。

壁にの中に囲われて暮らしてたら巨人が襲って来た。でもそれは、壁の外の世界に居る自分と同じ人間だった。あれ?壁の中の人って井の中の蛙大海を知らずじゃないかな?まぁ、巨人の脅威で知り得なかったのですが、他者からの攻撃によって自分の外に目を向けられないってのは同じ状態だとおもいます。個人的に。

そういう感じ方もしてしまうからね。

こういう作品が世に出てきた=こう言う事に注意しましょうねっていう、ものすごく遠回しの教訓みたいな面もあるんじゃないかなぁ?って感じ方もするんですよ、私の場合。

突き詰めるとね、なんでそれが今、なんで今ここに、なんでそんな形で存在してるのか?みたいな哲学チックな領域にも踏み込んだりして、気づけばすっごく掘り下げ過ぎてたりもします。

それ故に、人からズレた視点を持ったり、ベクトルが違う方に向いてたり、っていうね。理解されづらい人、周囲とズレてる人になるんですよね。

正直、高卒のパッパラパーだし、学術的な事を話せるような知能はもちあわせてないしで、話せる内容としたら「それっぽい人として感じてる物をさらけ出す」くらいしかなくて。

口は禍の元だし、過と禍は同音だしで、過ぎれば禍となるのはわかるのですが、それでも行動を起こす必要がある時みたいなのって、あるんじゃないかなぁ。

まぁ、そうはいっても、人によっては愚痴をこぼしてる様にしかみえなさそうですけどね。

感じれるなら、想像力も使ってみましょうー。

ということで。

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